私の信仰 第1章 高校時代の不思議な体験


岡村光章(詩人)

私の信仰は、詩作とともにありました。

以下、私の詩を紹介しながら、信仰の歩みを記したいと思います。

 

『原風景への道程 第一集』(文芸社、2021年)に収載した詩「人生の分岐点」(pp.166~169)は高校の頃の経験である。

そのころ、自分は相当ひねくれていて、ひねくれている自分を肯定し、人を傷付ける言動を、まるで英雄かのようにしまくっていた。嫌な奴だった。反動で、人から馬鹿にされ、すごく軽く見られていた。軽蔑もされた。悪人扱いされたこともある。

人生の分岐点

人を殴ったことなど
小学校以来、全く無かった
しかし、言葉による暴力は凄まじかった

これを言えば傷付くと分っている一言を
意図的に
はっきりと言ったりしていた

性格は暗くて、ひねくれていた
当然、
嫌われ者だった

暗夜、泥沼のなかで
息を潜めて
蠢いているようだった

ある晩
何かの働きかけがあった
曲がっているものを真っすぐに変えられた

元に戻すことはできない
絶対の力の
外からの働きかけだった

性格が次第に明るくなっていった
闇の国から光の国に
移住したかのようだった

あの力は何だったのだろう
自分ではないものの
外からの働きかけだった

神さま、キリスト、聖霊、他の何か
分からない
区別などつけようがない

新しい人生の出発点だった
啓示の一瞬だったのかもしれない
そう名付けたこともある

信仰生活の出発点でもあった
大学の頃、カトリックの教会に通ったのも
何ものかの正体を知りたかったからである

不幸なことに神父さんと
仲違いしてしまった
全面的な理解を求めた私が悪かったのかもしれない

形式的なことではなく
飾りのない
心と魂に響く導きを求めていた

今また教会に通っている
人生の終わりに近づくにつれ
分かるような気がしている

言葉は要らないのかもしれない
神父様は、カトリック教会は
私を包み込んでくれそう

既に道は開けている
もっと光がほしい
もっと信仰の道を照らしてほしい

幻覚だったのかもしれない。誰にでも起きる入眠時幻覚だったのかもしれない。

神秘的な現象だった、神さま、聖霊のお導きだった、という説明も可能だろう。どっちが正解か誰にも分からない、と思う。

問題は、そのことを今に至るまで、忘れぬことができなかった、ということである。

だから、約五十年も経っているのに、詩として表現したまでである。

やはり、今の認識では、聖霊の力が働いたのだと思う。素直にそう思いたいし、そう説明するしかない。

「ルカによる福音書」第三章第五節に“また、曲がったものを真直ぐされ”とある。

 


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