番外編 松橋輝子著「日本の教会に響く歌」を読んで考えた聖歌の歴史


土屋 至(SIGNIS Japan 代表)

私が洗礼を受けたのは196215歳中学年のクリスマスだった。いっしょに洗礼を受けたのは40人くらいいて、回ではできずに、回に分けて行った。まだバチカン公会議の前で、ラテン語のミサがおこなわれ、公教聖歌集が歌われていた。しかし、後に1966年に「カトリック聖歌集」に改訂され、「いつくしみふかき」などのプロテスタントの賛美歌が含まれるようになった。

 この書はその「カトリック聖歌集」のルーツをたどる書で、わたしにはとてもなつかしさとともに「へ~、知らなかった」という新たな発見もたくさんあり、とても興味深い本であった。

 

カトリック聖歌集のルーツ

カトリック聖歌集のルーツは3つあった。

1つめは「きりしたんのうたひ」で1878年に長崎で出版された「オラショ並びニオシエ」の付録として刊行された。ここには日本語聖歌の歌詞、並びにグレゴリオ聖歌のラテン語歌詞がひらがなでかれていたという。日本語聖歌の多くはフランス語聖歌からの翻訳であった。さらに200年以上つづいた潜伏キリシタンの用語を積極的に取り入れていた。

2つめは1915年に札幌知牧区がドイツのフルダ管区フランシスコ会に依頼して編纂された「公教會聖歌集」で日本の教会で初めて成立した。これはつまりドイツのカトリック教会で多く歌われていた聖歌集会衆歌で、なんと最初は数字譜が使用されていた。出版も札幌の光明社であった。ここは現在でも「カトリック聖歌集」の出版を継続している。

つめは「北緯代牧区で普及した『聖詠』と『日本聖詠』で、ここには長崎以外の教区が対象で「聖詠」は横浜で出版された。ただこの聖歌集の刊行にルマルシャル神父を中心とするパリ外国宣教会が主導した。つまりフランスの聖歌の翻訳を元にしたものが多く、歌詞も五七調の短歌形式のものも多く見られる。ただ、これは司祭・修道者や聖歌隊が歌うものとして作られており、一般会衆のうたう聖歌ではなかった。

このつの流れが1933年に統一され「公教聖歌集」として刊行された。出版社は札幌の光明社であった。ここではじめて五線譜に書かれることになる。

戦後になって1948年に増補改訂された。私が洗礼を受けたときにもっていたのはこれであった。歌詞もほとんど文語調でなじみがうすいものであった。

これが1966年に大幅に改訂されてた。600番台前半は部でうたう楽譜がついており、さらに650番台にはプロテスタントの賛美歌が11曲加わっていた。「いつくしみ深き」「あめにはさかえ」「まきびと」「もろびとこぞりて」「主にまかせよ」「主よみもとに」などの賛美歌が入っていることがとてもうれしかったことを覚えている。ただ一つだけいうならば賛美歌には「Amazing Grace」が入っていなかったのは残念である。この賛美歌がどういう基準で選ばれたのかについては続いての著者の研究に期待したいところである。

小学校の音楽の教科書に載っていた「星の界」が賛美歌の「いつくしみふかき」がもとになっていたというのを知ってとても感激したものである。

歌詞も1948年版に比べて歌いやすくなったと思われる。

 

現在のカトリック聖歌のルーツ

現在の「カトリック聖歌集」にのっているうたが、どういうルーツになっているのかも興味深いところである。巻末のふろくにその比較表がのっているが、これは現在のカトリック聖歌集の聖歌が、ドイツ系なのか、フランス系なのか、あるいは日本で作られた歌なのかがわかるように、カトリック聖歌集の番号順に並べられていたら、よりわかりやすいのではないかと思ったのでよく歌われていた聖歌の番号順に別表に編集してみた。

このリストをみて、気がついたこと、疑問に思ったことがいくつかある。

●公教會聖歌(ドイツ系)日本聖詠(フランス系)の両方に共通の歌は「われ神をほめ」と意外と少ない。

●そもそもカトリック聖歌集には作詞者名・作曲者名が書かれていないので、どれがの日本の教会のオリジナルなのかがわからない。1948年に改訂された聖歌は日本で作られた聖歌が多いのか?

●聖母マリアの歌は公教聖歌集で追加されたものが多いのはなぜか? 日本のオリジナルの聖歌が多いのか?

●賛美歌Amazing Grace はどうして加わらなかったのか? これはアメリカ系の賛美歌だからか?

 

日本文化へのインカルチュレーション

もう一つ興味深いことは、詞が五七調や枕詞など和歌の形式を積極的に取り入れていることである。この傾向は特に『日本聖詠』に顕著であるようだ。

さらに天皇制用語が多く取り入れていることも興味深い。これはプロテスタントの賛美歌にも見られる傾向である。神を示す用語も「きみ」「おほきみ」「みかみ」「おほみかみ」「ぬし」「みあるじ」「みおや」といろいろあるが、これらの多くは天皇を示すことばでもある。イエス・キリストを示すことばも「きみ」「みあるじ」「おほぎみ」「きみ」「みこ」「をんこ」などとある。

つまり「キリスト教の神が概念として天皇と重ね合わされていた」ことが読み取れる。軍部からの圧力へのいいわけとして「神をたたえる聖歌は天皇をたたえる賛歌である」と言い訳していたのであろうか。

それは「カトリック聖歌集」にも残っている。たとえば「主への賛美」というテーマのカトリック聖歌11番「すべてのたみよ」の歌詞は以下の通りである。

すべての民よこえあげよ すべての国ようたえかし み神の御稜威(みいつ)の尽きざるを 教えの真理(まこと)のたえざるを

この歌詞の「御稜威」はまさに天皇の威光をしめすことばであって、のちに神さまの強い力をしめす意味にもなったことばと考えられる。

 

私のもっていた公教聖歌集

さて、話は本題からはずれるが、今私の手にある「公教聖歌集」は1948年初版のものの1957年第刷である。定価160円とある。その聖歌集の裏表紙には「年日組 土屋房代」と名前があった。一昨年月になくなった妹の持ち物で、清泉小学校に通っていたときのものである。そこには「福者ラファエラ・マリアを讃う」という茶色がかったざら紙の謄写印刷の用紙が貼られていた。ただしこの歌は小学校でのみ歌われていたようで、中高に勤務していた私は全く聞いたことのない歌であった。

妹は中学は清泉ではなく、公立の中学校であったので、この聖歌集は必要なくなり、その後洗礼を受けた母へ受け継がれたものと思われる。妹もあのまま中学校に進学していたらm洗礼を受けたのは間違いないだろうと思われた。

もうひとつ、興味あるものが挟まれていた。これもざら紙印刷の茶色がかったもので、それは「聖週間の典礼」というもので、そのなかの「洗足式(12人の長老)」の氏名がかかれていた。懐かしい名前がたくさん書かれていて、なによりもその中に妻の父の「佐々木留治」の名があり、「聖週間の侍者」の中には妻の弟の「佐々木」の名前があったことである。イースターが10日であったのでこれは1965年のものであろうと思われる。ちなみにこの頃のカトリック鶴見教会では侍者はレジオ・マリエのメンバーが独占していて、多数いた栄光学園の信者の名前が坂本(弟)以外はなかったのである。


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