自分を生きる


あき(横浜教区)

2024年度の日本人の平均寿命は男性81.09歳、女性87.13歳だそうです。これはあくまで平均なので個々の寿命は別のもの。富士登山の最年長は前橋の男性102歳の阿久澤さんとの事。すごいっ。

平均寿命で自分の余命を計るのはやめましょう。 ()

わたしは、会社員生活47年。万年ひらの取り締まられ役を続けてきました。けど、あと半年で70歳の定年。

60歳を過ぎたころから「死ぬのは怖い。自分がなくなるのかなっ。」「どこにいくの」「どうなるんだろう」と考え始めましたが、自分なりの理解を深めた結果、今はそれほど怖くなくなりました。いずれ書きたいと思います

今考えているのは、「定年を過ぎて自分の時間を持つようになった時、自分はどんな生活を送るのだろう」ということ。

私が毎月通っている床屋さんはわたしと同じ年。私の通った中学校の隣の中学校出身で、会社生活を始めた頃からのお付き合い。いつも冗談話や世間話に花を咲かせながら散髪していただいています。

彼に「いいよなぁ。床屋さんは自分が辞めると決めるまで仕事ができるんだから」と問いかけると、「おかげさまで、いつも同じお客さんに来ていたただいていますし、日中立っているので足腰は強いです。」

「わたしはお酒も飲めないですし、毎年スキーにも行きます」

「まだまだできますよ」とにこにこしながら返事が返ってきました。

自分の生き方に迷いがない。ひとつの長生きの秘訣だと感じました。

わたしは若いころ多趣味でした。囲碁・将棋、釣りやスキー、陶芸、ギターなどなど。また、高校時代は楽譜も読めないのに音楽部に入り歌を歌いピアノを弾きました。皆ものになりませんでした。

社会人になってからは出張が多かったためか、もともと無口だった私が、自分からまわりの人に話しかける性格に変わっていきました。ある意味忌憚なくいろいろな人と話ができるように変貌しました。これは面白い先輩に鍛えられたからですが、どんな先輩だったかについては、「閑話休題床山語録」をみてやってください。

わたしは、子供のころから絵がへたくそ。絵具で色を塗り始めると、下書きの線をはみ出さないように注意するのですが、なかなかそうはいかず、そのうち隣の色と混じって。いらいらして、ぐちゃぐちゃに。 

絵でも習おうかなぁ。

わたしの父は定年後、毎日自宅にいて庭の木を剪定していました。いつしか庭の木は丸裸になりました。

こんなわたしが、定年後何をするのだろう。

1年前、「おっさんネットワーク」という地元のグループを見つけました。「おっさんネットワーク」は私のような定年後のおっさんの集まりです。その活動は、「そば打ち」や地元のフィスティバルで「焼きそばや」、ボランティア活動や地元紹介の歩け歩け活動。工場見学など、多岐にわたります。自由参加で興味のあるイベントに参加します。わたしは現在、「そば打ち」「焼きそばや」「朗読の会」に参加しています。そんなグループ活動も第二の人生の色になります。

今、考えているのはグループ活動とは別に個人としての自分。若いころ極めることのできなかった趣味や、全く能力の欠如していたものの再チャレンジ。 自分は何をしたいのだろうと考えています。

 そして忘れてならないことがもうひとつあります。わたしの妻は女性なので、平均寿命から推し量るとわたしより長くこの世に憚ります。 

わたしは妻に「わたしより長く生きるんだから。 自分でやることをどんどんやって友達をたくさん作らなきゃだめよ!」と声をかけています。妻は「わたしのいうことをきいて」というか元々外交的なので、どんどん自分の世界を広げています。夜もZOOM会議をしたり土日もイベントに出かけたり。孫の世話に外出したり。

わたしはいつしか家にひとりきり。これではだめです。 ()

ということで、「自分を生きる」ひとつの方法を考えました。いろいろな方を話の輪を広げ、見聞きしたこと。 感じたことをエッセイにまとめる。

本日の結論。

エッセイはこれからも書いていこう。読み返したとき、自分の心の変遷や、時々の今をどう感じたかをたどることができる。文章を書くのは好きなので、こんな駄文ですが皆さんが自分を振り返る一助になればうれしいです。


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