映画『神の島』を制作した谷口広樹さんにお話をお聞きしました ②


 聞き手:鵜飼清(評論家)

映画『ジョニーは戦場に行った』から発想した

うかい:映画にしようとして『神の島』という映画作りに入るわけですが、物語は一人の戦没者の魂というか霊がこの島に辿り着いて生前の姿を取り戻すということになるわけですね。その霊が故郷へ戻っていくという筋書きなんですが、その霊を扱うということで神の島を発想されたのですか。

谷口:そこは苦渋の選択でして、もっと早く映画を作ろうとしていたんですが、はやく手を付けていれば戦争体験のお爺さんも遺族のかたも生きておられたんです。そういう話ができたはずなんです。孫が訪ねて行くとか、一緒に遺骨収集に行った時の話をそのままやればよかったのですが、時間ばかり過ぎてしまって、そのかたたちは亡くなられてしまったから、リアリティーがないんです。いま遺骨収集の話をしていても、元兵士のかたが居ないもので。そこで、亡くなった兵士を辿るしかないなと。

その時に『ジョニーは戦場に行った』という映画を観たんです。あれで興味深いのは、だいぶファンタジーが入っていて、途中でキリストが出てくるんですよね。ジョニーは身体を失ったけれども心を失わなかったという話なんですけど、それを日本でできないかなと思って。要するにある神さまがいて、その神が呼んで霊として現代に来たという設定で、ある意味リアリティーを出しながらと思ったわけです。

そうしたら宮古島にそういう島がまだあるんですよ。神さまと交信している島があって、そこに行ったときにああこれはできるかなと思って、それで「神の島」というのに呼ばれてということにして、ある日告白する。あの当時の人って話せなかったと思うんです、悲惨なことがあって、しかし神さまだったらそれができるんじゃないかなと思いまして。

うかい:ぼくらは簡単に戦争体験をと思うけど、広島や長崎の被爆体験をしたかたたちの話などでも聞くとたいへんなことだったんだなと思います。被爆したかたたちは特に差別されるということがあり、放射能の影響を生涯引きずるという三重苦のなかで戦後を生きてきたわけですから。こちらが話を聞きたくても、簡単なことではないですね。

「神の島」より

谷口:差別があって、結婚できない、就職できない。映画のパンフレットに載せさせてもらっていますが、大崎(おおさき)さんは広島で被爆して両親を亡くして埼玉の方へ貰われていくのですが、そのことは絶対に話さなかったと言ってました。90歳を超えてようやく話せるようになったそうです。

うかい:戦争がもたらしたとても暗い闇がありますね。なんで日本人同士なのに、差別してしまうのか。被爆した人たちは犠牲になっているわけです。非戦闘員で暮らしていたのですから。同じ戦時中に苦労している者同士が他者を排除してしまう。放射能の被害がどんなものなのか、感染するものなのか、そうした知識がないままに放置されてしまった。そこに、人間のだれしもが持っている善と悪の両面の部分を、戦争というものは容赦なく炙り出してきますね。そういう面をきちっと認識していくことで、戦争というものを考えないといけませんね。戦争ということは、年がら年中テーマとして考えるべきものだと思います。

映画では小山勲さん(谷英明)が島に辿り着いて、小山さんという一人の兵士を主人公として物語が展開していきますが、小山さんには実在の人物がいるのですか。

谷口:『農民の兵士の声がきこえる』 という、岩手県の農民出身のかたがたの手紙を集めた本があるんです。それを参考にしています。結構年配のかたが戦争に行ってるんです。農民兵たちは家族を持っていたりしますから、田んぼがどうだとか、生活のことなんかが手紙に書かれているんです。そこにヒントを得ました。

 

広島には、もう一つ忘れられた悲劇がある

うかい:パンフレットには「広島には、もう一つ忘れられた悲劇がある」とあり、「広島」を主軸にされています。それはどのような思いからでしょうか。

谷口広樹さん

谷口:それには宇品港があるというところが一つあります。ここは軍港としての歴史があって、日露戦争のときにも兵隊たちを外地へ送っている港です。

それとポートモレスビー作戦を題材するに当たって、福山に行ったのですが、福山に遺族会があるんです。一方では人権問題をやっている団体がありまして、福山はどちらかというと人権問題が強いんです。だからバラを福山の町のシンボルとして薔薇園に力を入れて、「世界バラ会議」を開催したりして、薔薇を通して平和を訴えているんです。ポートモレスビーに行った遺族会の方はある種の肩身が狭いと言いますか、あまりスポットが当たらないんです。人権の方が強い町なのでね。そういうこともあったし、福山は広島の第五師団があり、南方に行くと他の師団と一緒になったりします。それと広島は移民も多いんです。なんか豊かなように見えたんですけど、移民の人がいたり、戦争ではとんでもない戦地に行かせられたりと大変苦労している地域なんだなと思ったんです。広島は原爆だけではなくていろいろな面を持っていることが分かったんです。

ただ原爆ドームの近くにスペイン料理屋なんかができたりとか、スペインの小川にカフェみたいな感じで、現在の観光地化している面が少し首をかしげたくなるようなところもあるんです。そうじゃなくて、ちょっと取り残されてるところにスポットを当てていきたいなという思いがありました。

 

「ポートモレスビー作戦」にスポットを当てた

うかい:神の島から身体を得た小山さんの霊は故郷へ帰りますね。そこで戦争に行く前のことをわれわれが知ることになります。小山さんは農民で、奥さん(関口理紗)と子どもと米作りしながら暮らしていた。そこへ徴集令状(赤紙)が来る。そして奥さんと一人息子の誠一(子どものころは山田海人、大人になってから若林豪)を残して戦地に往くことになりますね。小山さんはポートモレスビー作戦という戦いに加わることになりますが、この「ポートモレスビー作戦」について説明ください。

谷口1942年にオーストラリアへの進出拠点とするため、南太平洋・ニューギニア島にあるポートモレスビーの攻略を目指したんです。「ポートモレスビーとは「モレスビー港」という意味です。

この作戦を取り上げたのは、この作戦が当時の日本人というものを表現しているんじゃないかなと思ったからで。作戦自体は、日本軍が海からの上陸を計

谷口広樹さん

画して、海軍がラバウルに居るので、海軍がモレスビーを押さえにかかるんですが、米豪連合軍との珊瑚海海戦で負けてしまうんです。

それで今度はスタンレー山脈を越えての陸路から行こうということになって、それじゃあ陸軍に任せろということになり陸軍の兵士たちが行くのですが、当時の参謀は調査をした方がいいのではないかと言ってたのですが、ほかの上層部が陸軍は強いから決行のみだということになって、現地の地図がないままスタンレー山脈を越えて、山脈を越えれば首都があるから、越えて攻撃しようということになるんです。

しかし、周りの兵士たちはちょっとやばいんじゃないかと思ってるんです。とにかくいままで誰も越えたことがない山脈ですから。しかし行かされるわけです。ガダルカナルに近いんですよ。それで行ったんですが、ポンチ絵を辿って行くのですが、モレスビーが見えた瞬間に撤退命令が出るんです。ここまで辿り着くまでに兵士が相当亡くなっているんですが、撤退してからも亡くなっていくわけです。生き残って何をするかと言うと、上陸した地点のブナというところを守れという命令が出るわけです。それでそこを目指すわけですが、そこもほぼ米軍によって玉砕するんです。

そのとき、日本軍はまだ勝ち続けている場所もあったので、大本営発表では転進しましたと発表されてるんです。ラジオにも残ってます。だから当時の日本人はポートモレスビー作戦があってブナで玉砕して撤退したということを知らないんです。転進という言葉で、とりあえず陣地は確保したので移動しますというラジオ放送があったんです。現実のことは戦後になってからようやく知られるようになるわけです。

うかい:軍部の発表というのは、中国へ侵略して行ったときも、満州事変というような言葉にして戦争を事変に代えて表現していますから。日中戦争は日支事変になっています。撤退も転進に代えてます。

谷口:それでも生き残った人たちがいまして、その人たちは一旦いまの北朝鮮の方に行って隠されるんです、負けてるからです。ガダルカナルもそうなんですが、軍部は都合の悪い余計なことを話させないように、変な場所へ飛ばすんです。兵士たちは飛ばされた後にフィリピンのレイテに送られるんです。レイテでまた敗北する。悲惨な戦地ばかりに行かされてるんです。そういう事実を残したいと思ったんです。

福山と四国の部隊が行ってるんですけど、福山と四国って声が小さいというか、あんまり知られてないんです。福山と四国の人たちはどういう戦場に行ったのかが知られてません。

うかい:ぼくはNHKのドキュメンタリー番組でインパール作戦を観て愕然としました。牟田口廉也中将が「あと何人殺せばいいか」と側近の兵隊に聞くのですが、それは敵の兵隊ではなくて自軍の兵隊のことで、日本兵を何人殺せばいいかということでした。これには驚いたというか、滅茶苦茶ですね。

谷口:インパール作戦でも牟田口廉也と辻正信が指揮を執っているわけですが、その前がポートモレスビー作戦なんです。

一応従軍記者もいて、記録を本にしています。ただ内容は宣伝になっていて、負けたということは書いていません。

うかい:戦後には何回か戦記物と言われる本がやたらに作られています。最初は生き残りの兵隊たちが威勢のいい勝ち戦のような書き方をしていましたが、そのうち悲惨な現実を描くものが出てきますが、ポートモレスビー作戦については初めて知る人が多いのではないでしょうか。

谷口:ニューギニアというのは分かりにくいんですよね。戦争の後半になるともう訳が分からくなってしまって。

うかい:戦争については、大岡昇平さんの戦争文学で知らされたりはしていますが。『野火』とか『レイテ戦記』とかでね。

南方戦線の全体については、軍部で資料は焼却しているでしょうし、あまりにも悲惨な体験をして復員してきた兵隊さんは、戦争トラウマもあるでしょうから、当時のことを詳らかに記録として残そうという気持ちになれなかったとしても止むを得ないようにも思います。

南方戦線で戦死した兵隊の7割近くが餓死とマラリア伝染と言われます。飢えでやせ細った兵たちの写真が残ってますね。生き延びるには、死んだ兵たちの人肉を食べざるを得ない現実があったでしょう。

この映画でも出てきますね、戦友が「おれが死んだらおれの肉を食って生き延びてくれ」と言います。戦争とはなにかと言えば、戦争とはこういうことが起きてしまうんだということを、よーく知らないといけませんね。

谷口:本当はオーストラリア兵を先に食べてるんです。敵から食べるという話になっているんです。オーストラリア兵はあまりにも日本兵がオーストラリア兵を食べるので、アナウンスで頼むから止めてくれと。戦争だから殺すのは仕方がないけれども、ちゃんとその遺骨を持って帰らないといけないから、君らが食べるとそれができなくなるから止めてくれという話が出たという手記があるようです。

日本兵は敵兵を食べることができなくなって、自軍の兵士の死んだ肉体に手を付け始めたということのようです。

うかい:米軍にしても、外国の軍隊は兵士たちが戦死したら、遺体を引き取って本国に返すんですよね。なぜ日本軍は自国の兵士たちの遺体に無頓着なのかなと考えてしまいます。

谷口:米軍とかオーストラリア軍とかにはそういう部隊が作られています。亡くなった兵士を引き取る部隊です。日本軍にはないんです。

うかい:国家としての形を成してないということですね。死んだら靖国神社で会おうとか言うわけですが、霊が靖国神社に行くわけで、骨は戦地に置き去りになっている。

谷口:国のために戦った人を回収するという思想がありません。

神の島公式ホームページ:https://www.kaminoshima2025.com/

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