酒は皆さんとともに

マキャヴェッリ


様々な利害が入り乱れる政治の世界において、倫理や理想を重んじるのではなく、目標を達成するためには手段を択ばない姿勢のことを「マキャヴェッリズム」と呼びます。「現実政治」の場においては不可欠なマキャヴェッリズムの名は、ニッコロ・マキャヴェッリという近世イタリアの政治家に由来しています。政治と宗教が密接につながっていた中世を脱し、動乱の最中にあるフィレンツェで活躍したマキャヴェッリは、近代以降の政治史を考えるうえで欠かせない人物です。宗教すらも統治の道具と考えた冷徹なマキャヴェッリは、中等教育でも言及されるほど有名な人物ですが、彼が政治だけでなくワイン造りにも力を注いでいたことはあまり知られていません。今回は、マキャヴェッリがワイン造りをした地でワインセラーを受け継いでいるワイン、その名も「マキャヴェッリ」を紹介します。

政治思想史に名を残すニッコロ・マキャヴェッリは、1469年にルネサンス時代のフィレンツェで産声をあげました。文芸を愛する母と弁護士であった父との間に生まれ、古典の本に囲まれて成長しました。そんなマキャヴェッリが生まれ育った15世紀後半のイタリアは、芸術の面ではルネサンスが花開き、学問の面でも人文学が発展していたのですが、戦乱の絶えない激動の時代でもありました。一つの国として統一されていなかったイタリアには様々な小国が割拠しており、中世から続く皇帝と教皇の争いに加え、フランスといった諸外国の食指も動いていました。

マキャヴェッリの住んでいたフィレンツェでは、メディチ家という豪族が政治を壟断していましたが、彼らは1494年に権力の座を追われました。代わって、かねてよりメディチ家の退廃ぶりを非難していたドミニコ会士サヴォナローラが、民衆からの支持を受けてフィレンツェにある種の神政を敷こうとしますが、教会史上最も腐敗した教皇として悪名高いアレクサンデル6世と対立し、結局は処刑されてしまいます。こうした政治的混乱を経験したマキャヴェッリは、サヴォナローラの処刑の後の1498年、共和制を確立しようとするフィレンツェの国政に書記官として携わることとなりました。政治の中枢で外交にも関与したマキャヴェッリは、その経験を基に、様々な人々や政体を観察・分析し、怜悧な政治理論を形成していくのです。

16世紀に入ると、マキャヴェッリの努力もむなしく、フィレンツェの置かれた政治的状況は日に日に悪くなっていきました。そして1512年にはメディチ家が帰還し、共和制は事実上の終わりを迎えることとなります。共和制の中心人物であったマキャヴェッリは、当然失脚し、フィレンツェの市街地から追放されました。田舎に追いやられたマキャヴェッリは、中央政界への復帰の夢を諦めませんでしたが、同時に、これまでの経験をもとに様々な論文を著していきました。主著とされる『君主論』など歴史に残る作品を書き進めたマキャヴェッリは、同時にワイン造りにも精を出しました。政治の中心でも活躍したマキャヴェッリでしたが、彼の名を後世に伝えるもの、即ち著作とワインを生み出したのは、この晩年の田舎においてでした。

石川雄一 (教会史家)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

1 × 1 =