てまり寿司
紹介書籍:
ミヒャエル・エンデ著、上田真而子/佐藤真理子訳『はてしない物語 上・下』(岩波書店、2000年)
ファンタジー小説を読む際に、主人公に自己投影してしまう人は多いだろう。誰もがうらやむ容姿や力、名誉を手に入れ、多くの人に喜ばれ慕われる姿を見て、自分もこのようになれたらどんなに幸せだろうと思う。だが自分の身にそれを当てはめてみて、本当にそれだけで満たされるだろうか。人間の欲は限りなく、塩水のように飲めば飲むほどますます渇く。自分の本当の望みとは一体何なのか、主人公バスチアンと共に『はてしない物語』を旅する中で見つけてほしい。
母を亡くし、いじめられっ子だったバスチアンが手にした本『はてしない物語』には、「幼ごころの君」が支配する国「ファンタージエン」の崩壊の危機が描かれていた。「虚無」の拡大の中で「ファンタージエン」を救う手立てを求めて、少年アトレーユは救い主を探す旅に出る。この救い主が自分のことだと気づいたバスチアンは物語の世界に飛び込み、「幼ごころの君」から授けられた「アウリン」の力で「ファンタージエン」を再建した。
その後、現実世界の記憶と引き換えに持ち主の願いを叶える「アウリン」によって、美貌や力、勇気を思いのままにしたバスチアンは、次第に周囲に対して高慢な態度をとるようになった。彼の立ち振る舞いを憂いたアトレーユは、「ファンタージエン」の帝位を握ろうとしたバスチアンを阻止すべく戦争を起こす。負傷したアトレーユを追ってバスチアンが辿り着いたのは、「アウリン」によって望みを叶え続け、その結果記憶を完全に失ってしまった元帝王たちの国だった。我に返ったバスチアンは残り少ない記憶を抱えて、元の世界に戻る方法を見つけるべく旅に出る。果たして、彼は記憶を完全に失う前に現実の世界に帰れるのか。
私たちは自分の思い通りに生きることを「自由」な状態だと考え、それを欲する。しかし自分の願いがすべて叶ったとしても人は満足せず、それどころかこれでは足りない、もっと欲しいと求め続け破滅に至ることもある。自分の良さも欠点もすべてを直視してはじめて自分が本当に愛されていることを知り、相手を愛することができる。「受け取るものの内にはなく与えることの内に本当の幸せはある」というパラドックスを、道徳的な教えとしてではなく物語を通して自分の思いとして悟ることができるのは、『はてしない物語』の最大の特徴である。
またこの物語を読んで驚くのは、私たちが今まさに読んでいる『はてしない物語』が、バスチアンが手にしている『はてしない物語』と同じものだということである。特徴的な表紙や色使い、中世の聖書のように章ごとにアルファベットが振られた本文は、著者エンデの特別なこだわりによるものである。バスチアンが本の世界に入りこんでいったように、自分も『はてしない物語』にぐっと引き寄せられていくのを感じられるだろう。
他にも、この本では様々な場面で聖書的な要素や表現が用いられている。「人の子」という呼称、七枝の燭台、「アウリン」の裏に書かれた「汝の欲することを成せ」、命の水。これらの箇所に注目しながら読んでみるのも面白いだろう。