パブリックアートという言葉


AMOR編集部

今回の特集を通じて、AMOR編集部としては初めて「パブリックアート」という言葉に出会っています。直訳すると「公共芸術」になるかと思いますが、片仮名で記される言葉であることも含めてその意味を探ってみようと思います。今回、導きとしたのが次の書です:

松尾豊著『パブリックアートの展開と到達点アートの公共性・地域文化の再生・芸術文化の未来』(水曜社 2015年)

著者は(奥付紹介欄によると)1953年新潟県出身、東京教育大学教育学部芸術学科彫塑専攻を卒業。新潟県、富山県で中学高校の教諭をしつつ、1987年『新潟 街角の芸術―野外彫刻の散歩道』(新潟日報事業社)、1991年『富山の野外彫刻』(桂書房)を出版。美術教育の現場にありつつパブリックアートについて長く問い続けてきたことの集約ともいうべき労作が本書です。このなかの「I:アートの定義とパブリックアート概念」(12-27ページ)という章で、著者はさまざまな説との対話を展開しています。それをもとに興味深く思われるところを整理して紹介してみます。

 

パブリックアートとは? その一般的説明

著者は、出発点として、ウィキペディアの説明に触れています。2014、15年当時も今も冒頭の概括説明は同じです。「パブリックアート(Public_art)とは、美術館やギャラリー以外の広場や道路や公園など公共的な空間(パブリックスペース)に設置される芸術作品を指す」と。今回の特集でも紹介されている作品は、ひとまずこのタイプの例と考えられます。ただし、この通念的理解では「公共空間」という要素に偏りすぎているのではないかとも指摘されます。

 

そもそもバブリックとは?

それに対して、空間にこだわる見方の前に、別な意味の「パブリック」を考慮する理解が紹介されます。宮城教育大学教授の新田秀樹氏(1952~)のものです。この方は公的機関での文献で「パブリックアート」という用語を最初に紹介した人といわれます。1988年のことでした。その新田氏は、パブリックアートを2つの側面から定義しようとしています。すなわち、一つは援助主体が公的(パブリック)であるという側面、もう一つは、観衆が不特定多数の一般市民(パブリック)という側面です。

前者は必要条件ではないが、後者は、欠かせない条件で、これにふさわしいのは都市の中の人々に解放されている公共的な空間(パブリック・スペース)ということになっています。場の公共性の前に公的主体の支援があるという面、そして不特定多数の一般市民が鑑賞するという面が取り出されているのが重要でしょう。

 

芸術的な“何か”を公共空間の中で感じさせるもの

1987年に「パブリックアート・ライブラリー」なるものを開室し、1992年にパブリックアート研究所を創立、1994年に「パブリックアート・フォーラム」を創設した杉村荘吉氏(1936~)には『パブリックアートが街を語る』(東洋経済新報社 1995)という本があります。その中でパブリックアートについて、「一言でいえば、“街角や広場などの公共空間に置かれた、芸術的価値のある作品(アートオブジェ)”のことです。その代表的な例がブロンズ(青銅)や石の彫刻です」としています。

やはり公共空間ということを土台に考えていることは同じですが、その中でも「芸術的な“何か”を公共空間の中で人に感じさせているもの、それがパブリックアートなのです」という言い方で「芸術的価値」を強調しています。一般には「美」ということでしょうが、「価値」とか“何か”という言い方をしているところが面白いと思います。宗教芸術などが「美」とだけでは収めきれない内容と価値を含んでいるとすれば、このような理解は応用力に富むものといえるかもしれません。

 

「パブリック」とは「社会性」

次に紹介される、竹田直樹氏(1961~)は、景観学者、ランドスケープアーキテクトで、兵庫県立大学大学院准教授という人物。その著書『日本のパブリック・アート』(誠文堂新光社 1995)で、「パブリックアートとは、公的な場所に置かれた芸術作品の意ではなくて、『社会化』したアートである」と説明し、空間という要件から離れた説明を試みています。

 

人と環境のコミュニケーションの営み

彫刻家の谷口義人(よしと)氏は、1995年開催の「第5回全国パブリックアート・フォーラム・高岡」で、パブリックアートとは「ただまちに彫刻やオブジェを設置すれば、こと足りると云うのではなく、人と空間全体に係る環境全てを捉え、その関係が組み立てられ、新しい意味と場が生まれる概念を云う」と発言しています。松尾氏は、ここでいわれている関係性とは要するにコミュニケーションだと受けとめています。人と空間を含む環境との関係が時間の中で生成し、新しいものが生み出される時間過程にも注目するという意味で、視野を広げる説明と評価しています。

 

芸術はそもそもパブリックなのでは?

このように公共空間という場の観点へのこだわりを捨てると、アートそのものと本質に立ち返ろうという視点に戻ります。造形芸術を例に見ても、たんに個人趣味のものでなく、作品として発表され、鑑賞されていくところに本質的にパブリックな価値があるのであり、アートとはそもそもパブリック(公共)性が内包するという指摘です。

そこで、ある論者・暮沢剛巳氏(1966~)は、こう述べています。――パブリックアートの最大の逆説は、そもそも公的な価値を持っているはずのアートに、敢えてパブリックと被らせてその公共性を二重に保障している点にあると。これは、パブリックアートという現象を評価するためにも、アートそのものを全体として考えるためにも重要な指摘になっています。

 

アートとは?

ここで結局、振り出しに戻るというか、そもそも「アート」、芸術とは何か、というところに立ち返る必要があります。今回、導きの書とした松尾氏の書でも、冒頭で、「アート」の定義的理解が言及され、そこで引照され、評価されている説があります。佐々木健一著の『美学辞典』(東京大学出版会 1995)の説明です。

「人間が自らの生と生の環境とを改善するために自然を改造する力を、広い意味でのart(仕事)という。そのなかでも特に芸術とは、……技術的な困難を克服し常に現状を超えて出てゆこうとする精神に根差し、美的コミュニケーションを指向する活動である。この活動は作品に結晶して、コミュニケーションの媒体となり、そのコミュニケーションは、ある意図やメッセ-ジの解読というよりも、その作品を包越性としての美という充実相において現実化する体験となるのが、本来のあり方である」というものです。

この説明は、人間と環境の関係ということを主軸に考えつつ、一方で、従来型の美術館で接する造形芸術をも含み、他方では、舞台芸術系の音楽や演劇等をも想定し、さらに現代型のアートイベントをも理解できるようにする、とても包括的な定義だと評価されています。なによりも、「コミュニケーション」や「媒体」(メディア)がキーワードになっている点は、重要です。

 

「三つのパブリックと三つのC」

さまざまな説明の事例を比較しつつ、松尾氏は、自説の形成に向かいます。2014年段階の書においてもなお成長過程のようですが、次のように、狭義のパブリックアートのパブリック性についてパブリック・スペースにあるばかりでなく、作品の設置前・中にも市民参加があり、設置後にも教育文化的な支援があるという意味で、市民に開かれたアートとしています。その意味で「空間のアート、民主主義のアート、教育のアート」という三側面を提示します。

別な観点からそこには、住民のコミュニティがあり、その住民間のコミュニケーションがあり、そして、自覚的なコラボレーションがある、というところで、三つの「C」も、パブリックアートの要素であると指摘しています。著者が美術教育に携わりつつ、またさまざまなアートイベントにもかかわりながらの思索の姿がここに要約されています。

 

人類と芸術、とくに宗教芸術を見ていくためにも

以上、松尾豊氏の著書を導きとして、パブリックアートという言葉の意味理解から、アートそもそものパブリック(公共)性まで、思索が展開されてきました。実際、この書では野外彫刻の歴史を日本史に限ってみるときに縄文時代への言及からスタートしています。人類史的にもこのテーマは古代からの芸術の歴史を見直させるものとなるはずです。

とりわけ、西欧中世のゴシック建築の聖堂などは、そこに造形される彫像、浮彫、ステンドグラスまで、教会と社会が一体だった時代のパブリックアートの最たるものだったはずです。パブリックアートとしてのアートのさまざまな姿は、こうしてキリスト教芸術、聖堂建築をはじめ、典礼、演劇、音楽と多彩に展開されています。そうであった歴史の振り返りとともに、今現在の教会の姿、宗教の姿を考えていくためにも、「パブリックアート」という言葉は、とても刺激豊かな、価値あるものとなりつつあるようです。

 


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