エリナー・リグビー~~街のアートとの出会い


石井祥裕(上智大学非常勤講師)

今回、街の中のアート、いわゆるパブリックアートということがテーマになって、気づかされ、思いだされた、いくつかの出会いを綴ってみたいと思います。

 

今、麴町で

上智大学のあるJR四ツ谷駅麹町口を出て、ロータリーの向こうに行くと「プラザエフ」というビルがあります(かつては「主婦会館」とだけいって、自分の卒業した学部の謝恩会も行われたところでした)。その前に、よく待ち合わせにも使うベンチがあります。そこに座ろうとすると“先客”がいることに気づきます。それが写真のフルートを吹いている女性のブロンズ像です。よく見ると女性ですが、最初は男性の青年のように感じられました。犬も横に。

大した先客だな、がっちりしているなと思いつつ、どこかどっしりとした伴侶感が漂い、待っているのは一人ではないのだなと思わせてくれます。笛を吹いているなんて優雅だな~~このたくさんの人が行き交う通りに……こんな作品がよくあるものだ、と、なにげに自問自答。このテーマを受けて、あらためて気づいている次第の街のアートです。表示があり、「春 1998年 黒川晃彦」と刻まれています。黒川晃彦氏(1946~ )のことも初めて知ります。Wikipediaから、野外彫刻、しかも楽器を手にしている人物のブロンズ像を多く手掛けている方であることを知り、検索画像を見ると、確かにサックスを吹く男性、トランペットを吹く男性の像がたくさん出てきます。日本全国各地に作品のある、有名なパブリックアーティストであることを今、知ることになりました。

 

麹町大通りの歩道をさらに歩いていると、また、もう一つの野外彫刻に出会います。

「聴く」と題された少女像。作者は冨田憲二(とだ・けんじ 1947~)氏。国際的な活動をしている芸術家です。なによりも、日々、仕事や用事で通り過ぎるばかりの路上に、静かに座り、じっと何かを聴いている少女がここに「いる」という存在の重みは、このようなテーマをもって目を向けなくてはまったく気づかなかったものでした。

“私の街”の二つの人物像は、あわただしく動きまわっている自分に、存在の根底を問いかけるような、静かな力を湛えています。

 

35年前のリバプールで

フルートを吹く女性と「聴く」少女の像と今、出会ううちに、まったく個人的な思い出がよみがえっています。1899年8月、イギリスのヨークで開かれるある学会に参加する前に、せっかくイギリスに来たのだし、自分の青年期にとってとても大きな存在であった、あの(!)ビートルズの町リバプールに寄ってみようと、一人心細くも訪ねていったのでした。マシューストリートには若き彼らが世界の飛び出そうとするような様子の像があります。あのビートルズの町に今立っているのだ、という感慨に包まれました。

その近くの通り(スタンレー通りとのこと)でふと気づくとベンチに一人の女性が……。それがエリナー・リグビーでした。アルバム『リボルバー』の一曲。孤独な人々のことを歌われるなか登場する老女の姿です。弦楽奏の厚みあるサウンドと相まって、深く心に残る(そんな説明も要しない)名曲の詩の世界が、リアルな街の中に現出しているさまに、思わず吞み込まれそうな気持ちになったものでした。

リバプールにはその後、街を闊歩する青年ビートルズの像ができているようで、観光案内情報にもたくさん画像が出てきます。ただ、ビートルズの像でしたら、それは、どこの国、どこの街にもいるその土地の有名人の記念像、モニュメント作品ということで片付けられるでしょう。ところが、心に残るエリナー・リグビーの姿は、詩というアートと彫刻というアートが合体した、より奥深い作品に思えます。

疲れ果てたようにベンチと壁に身を寄りかける彼女の姿が、私にとっては、パブリックアートとの出会いでもありました。今も、心に影を落としています。

 


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