今やすっかり当たり前になったクラフトビールですが、日本での歴史はあまり長くありません。かつて日本では小規模なビールの製造は認められていなかったからです。それが1994年の酒税法改正により、ビールの醸造免許取得に必要な年間生産量が、それまでの2000キロリットルから60キロリットルへ大幅に引き下げられたのです。この法改正により多数の小規模醸造がビール業界に参入することができるようになり、いわゆる地ビールブームが到来しました。しかし、その地ビールは長続きせず、一時期クラフトビールは低迷しますが、2010年代にはいると人気が再燃し、今日に至っています。そんな日本における小規模醸造ビールの歴史を語るうえで欠かせないのが「サンクトガーレン」という会社です。
日本で小規模醸造が禁じられていた時代から、大手のビールとは異なるビールを造りたいと思っていた創業者の岩本伸久は、なんとわざわざアメリカへわたってビール造りを始めます。そのアメリカで作ったビールを日本に輸入するという形で提供していた岩本は、日本におけるクラフトビールの先駆者といえるでしょう。そんな彼は免許の不要なノンアルコールビールの醸造も日本で始め、酒税法改正以降は高く評価されるクラフトビールを国内でも造っていきました。地ビールブームの低迷により岩本のビールも影響を受けますが、ビール醸造の夢を諦めなかった彼は「サンクトガーレン」を立ち上げ、苦くない「スイーツビール」など様々な商品を世に送り出してきました。
ところで、なぜ「サンクトガーレン」という社名が選ばれたのでしょうか。「サンクトガーレン」と聞くと、世界遺産に登録されているスイスのベネディクト会修道院が思い浮かびます。そして「サンクトガーレン」のラベルには修道士が描かれているため、このビールの名前はスイスの有名な修道院に由来することが伺えます。気になって調べてみますと、「サンクトガーレン」のホームページには次のようなことが書いてありました。「スイスのサンクトガーレン修道院。そこは、世界で1番最初に醸造免許を取得した場所。当社の社名とブランド名はその原点を引く継ぐべく〝サンクトガーレン〟と名付けました。」[1]なんと、ザンクト・ガレン修道院(サンクトガーレンのドイツ語読み)は、世界で最初に醸造免許を取得した場所だというのです!その真偽のほどはわかりませんが、いずれにせよ、日本のクラフトビールの先駆者である「サンクトガーレン」は、世界で最初にビールの醸造免許を取ったとされる場所にあやかった名前をつけたのですね。
最後に、ザンクト・ガレン修道院について簡単に述べます。6世紀末から7世紀初頭にかけて、アイルランドからヨーロッパ全土へ宣教の旅に出た聖コロンバヌスという聖人がいます。その聖コロンバヌスの弟子であった聖ガルスもまた、アイルランドからヨーロッパ大陸へ宣教に向かった一人でした。聖ガルスは、今日のオーストリアや南ドイツ、スイスといった地方で宣教し、晩年はその地で隠遁生活を送りました。そして、その聖ガルスの墓があるのがザンクト・ガレン修道院になります。カール大帝を筆頭とするカロリング朝の君主は、このザンクト・ガレン修道院を保護し、そこは文芸の中心地として発展していきました。その一環として、きっとビール醸造も発展したのでしょうね。
[1] https://www.sanktgallenbrewery.com/