『音楽教程』


ボエティウス『音楽教程』伊藤友計訳、講談社学術文庫、2023年、1,360円+税

教育の場で「リベラルアーツ」という言葉が叫ばれるようになり久しいですが、その本来の意味をご存じでしょうか。「自由な」という意味の「リベラル」と芸術・技巧を意味する「アート」が組み合わさっている「リベラルアーツ」は、「自由学芸」と翻訳することができます。「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハ8・32)という聖書の言葉があるように、「自由学芸」には人々を無知の束縛から自由にする教養という意味が認められます。ですが本来の「リベラルアーツ」という言葉は、そうした曖昧なスローガンのようなものではなく、もっと具体的な学問体系を指していました。つまり、古代ギリシア時代から続く基礎教養の体系、つまり、「文法」「修辞学」「論理学」ら「言語三科」と「算術」「幾何学」「音楽」「天文学」ら「理数四科」から成る七科目のことを「リベラルアーツ」(ラテン語でアルテス・リベラーレス)と呼んだのです。こうした「リベラルアーツ」の伝統はプラトンやアリストテレス以前の時代にまで遡ることができますが、これを体系化したのは古代末期から中世初期にかけての学者たちでした。なかでも、6世紀初頭に活躍したボエティウスの影響は計り知れません。

5世紀末、名門貴族の家に生まれたボエティウスは、哲学の本場アテナイでプラトンが創設したアカデメイアに留学した当代きっての学者でした。また、ボエティウスは父が執政官(首相のような職)であっただけでなく、義理の父も執政官であったため、政界でも将来を期待されていました。実際、彼自身も執政官を経験し、二人の息子までも執政官に就任します。このように学界においても政界においても頂点に上り詰めたボエティウスでしたが、当時の困難な時代背景が彼の後半生を辛く苦しいものとします。最終的にボエティウスは政争に巻き込まれて逮捕され、処刑されてしまうのです。

内憂外患の困難な状況の中で395年に東西に分裂したローマ帝国の内、東ローマ帝国は危機の時代を乗り越えますが、西ローマ帝国は5世紀に滅亡してしまいます。ボエティウスが生きたのは、ローマ帝国が滅亡して既存の秩序が大きく揺らいだ時代だったのです。古代ギリシア=ローマの豊かな遺産が忘れ去られることに危機感を抱いたボエティウスは、書物を収集して翻訳することに心血を注ぎました。その一環として、ボエティウスは古代の「自由学芸」の手引書を著すこととしました。その中の一冊が今回紹介する『音楽教程』です。

「自由学芸」に含まれるそれぞれの学問に関する指南書を書こうとしていたと推測されるボエティウスですが、残念ながら断片しか現存しておりません。『音楽教程』も完全な形では残っていませんが、残された断片は中世から近世にかけての音楽理論に多大な影響を与えることとなります。その『音楽教程』の日本語訳が初めて文庫という形で読めるようになりました。ですが、日本語で文庫化されたとはいえ『音楽教程』は簡単に読めるテキストではありません。というのも、「自由学芸」で「音楽」が「理数四科」に含まれていることからも推測できるように、『音楽教程』には難解な用語や計算が多数登場するからです。それでも『音楽教程』は挑戦してみる価値がある本であると思われます。なぜなら、本書は近世までの音楽理論の基礎となっただけでなく、中世のスコラ学的技法を用いた哲学書でもあるからです。『音楽教程』は音楽に関心がある人だけでなく、中世の思想に興味がある人も惹きつける本であるといえます。これまでは外国語でしか読むことができなかった『音楽教程』ですが、文庫化した今、専門家以外も気軽に手に取ることができるようになりました。これを機に「自由学芸」の伝統の一端を学んでみませんか。

石川雄一(教会史家)

(ここでご紹介した本を購入したい方は、ぜひ本の画像をクリックしてください。購入サイトに移行します)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

twenty + one =