枝川葉子(「ピタウ先生を語る会」代表)
私はカトリックの信者ですが、2009年まで「被爆マリア」の存在を全く知りませんでした。ところがそれ以来、「被爆マリア」の導きとも思えるようなドラマが次々と身の回りに起きて大きく展開するようになりました。
2012年暮れにはクリスマスの数日後から、「被爆マリア」のお供としてイタリア、サルデーニャ島で毎年末に開催される平和行進に参加し、各地の聖堂で大歓迎をうけました。お供の一行は長崎・浦上教会主任司祭(当時)の小島栄神父と上智大学元学長ピタウ先生の「ピタウ・ファミリー」とも言える上智大学の卒業生6人の仲間です。
そして2013年1月2日には思いがけずバチカンのパウロ六世ホールで、「被爆マリア」と共に教皇の特別謁見という栄誉にあずかることになったのです。
「被爆マリア」とは
今、「被爆マリア」(The “bombed” Mary)の存在をどのくらいの人が知っているでしょうか。
長崎の30年の年月をかけて建てられた浦上天主堂は、1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾のために崩壊しました。爆心地から500メートルしか離れていない教会のすべては失われたと思われました。しかしそのガレキの中から中央祭壇の上に設置されていた寄木造りの聖母像の頭部だけが発見されたのです。
奇跡的に見つけ出された聖母像のそのお顔は、「被爆マリア」と呼ばれています。被爆後の火災で頬と髪も焼け焦げ、ガラス製の眼球は溶けて黒い空洞になっています。そのような惨めなお姿になってもなお、私たちに、世界の平和を訴え続けているのです。
サルデーニャ島での第26回平和行進に参加
この「被爆マリア」の平和巡礼行進は、ピタウ神父の弟アンジェロ・ピタウ神父の教区デットリ司教が、マリア像のある長崎浦上教会に派遣要請され実現したものです。サルデーニャ島は、四国ほどの大きさでローマの西の沖に位置しています。
到着した翌日 28 日は、サルデーニャ島のカリアリ大司教区ボナリアの教会で集会が持たれました。小島神父が「被爆マリア」を掲げて入場すると、聖堂を埋めた大勢の方が立って、その視線は一斉にマリア像向けられました。イタリアの人々に強く温かい信仰心で迎えられました。私は、この光景に感動して鳥肌が立つほどでした。原爆投下にもかかわらず永らえた「被爆マリア」のことは、新聞やテレビで報道されていて、来島を待ちかねていたのだそうです。
翌29日私たちは、サン・ガヴィーノ・モンレアーレへ移動し、サンタ・キアラ教会での歓迎会、ミサに出席しました。第26回平和行進は、3時から聖職者と州知事、市長と市民5、6千人が参加して、ブラスバンドの演奏に合わせて村道をのんびり行進しました。
さらに翌30日、「被爆マリア」と一緒に島内のサン・ニコロ教会、サクロ・クオレ教会そしてピタウ先生の故郷ヴィラ・チドロのサンタ・バルバラ教会を訪れ、大歓迎を受けました。素朴なサルデーニャの人々の篤い信仰心に心打たれました。
サルデーニャからローマへ
ローマ教皇との謁見があるかもしれないことは、東京でスケジュールの打ち合わせをしているときから聞いていました。しかし、正式に決まったと聞いたのはサルデーニャでのことです。それも一般謁見とは別の特別謁見だというのです。それは一体、どういうものか。分からないながらも緊張が高まりました。31日のうちにローマへ移動し、正月1日はジェズ教会で新年のミサに与りました。
教皇ベネディクト十六世との謁見
そして2日は、いよいよバチカンでの教皇謁見の日です。
謁見の場所はパウロ六世ホールという1万人も収容できそうな広間でした。新年の教皇のメッセージを聞こうと集まった世界中からの信者でごった返すホールに着くと、「被爆マリア」と代表4人は特別謁見ということで、最前列の座席に案内されました。
その時です、檀上から大きな大司教がこちらへ向かって降りていらして、「みなさん、こんにちは」と挨拶してくださるではありませんか。それは上智大学元副学長でルクセンブルク大司教のオロリッシュ先生でした。余りの偶然の出会いに何かのお計らいを感じました。
それから間もなく、万雷の拍手で教皇が迎えられ、クリスマスメッセージが伝えられました。檀上の30人ほどの神父たちが各国語に訳された教皇スピーチを読み上げます。
そしていよいよ8グループほどの特別謁見が始まりました。教皇の前に20名ほどが2列に並び順番に階段を上ります。代表の一人が白手袋をはめた手で「被爆マリア」を抱え持ち、わたしたちは横一列に並んで教皇様に拝謁いたしました。
そこでもオロリッシュ大司教が教皇の傍に立ち、ドイツ語で長崎からいらした小島神父と私たちを紹介してくださいました。彼らは上智大学の卒業生です、と。教皇も「SOPHIA UNIVERSITAET」と繰り返され一人一人と握手してくださいました。教皇のお手は、とても温かく柔らかかったです。
教皇様はそっと両手を添えられて4、5秒じっと被爆マリアの目を見つめ対話されているご様子でした。教皇ベネディクト十六世は、1月11日に2月28日をもっての退任を発表されましたが、この時どのような思いで被爆マリアと対話なされたのか・・・すでに退任のことを決意されていらしたのではと推察いたします。
ベネディクト十六世との謁見が、ほとんど最後という機会に恵まれましたことも大きな喜びになりました。この時、教皇からいただいたロザリオは、お恵みのお裾分けとして、病気で入院中の仲間、友人たち、沢山の方に触れてもらいましたし、私自身が祈るためとお守りとして日々持ち歩いて大事にしています。
最後に
私たちにとってマリア様に使っていただいたこと、この経験は大きなお恵みでした。今回巡礼団ではサルデーニャでのピアノコンサートや原爆資料展など、思いがけず多くの方々の尊い協力に支えられ実現することができました。それから特筆しなければならないのは、元上智大学長のピタウ先生という大樹あってすべてが可能になった事です。ピタウ先生という存在の偉大さを改めて感じる巡礼でした。
「被爆マリア」は、過去3回海外へ平和巡礼をされました。1985年バチカン市国での原爆展、2000年ベラルーシ共和国ミンスクでの「世界の核被害展」、2010年のローマ、ゲルニカ(スペイン)、そしてニューヨークへ世界平和の使者として巡礼の旅をされ、この度は4回目の平和巡礼でした。そして「被爆マリア」の平和の祈りが叶えられるまで、「被爆マリア」のご意志によって平和巡礼はつづいていくことになるでしょう。
(写真提供:「被爆マリア」平和巡礼団)