石井宏『モーツァルトは「アマデウス」ではない』、集英社新書、2020年、880円+税
石川雄一 (教会史家)
今回紹介する本のタイトル『モーツァルトは「アマデウス」ではない』とは、なかなか衝撃的ではありませんか。ピーター・シェーファーの戯曲で、後にはミロス・フォアマン監督により映画化もされた『アマデウス』のおかげで、クラシック音楽に興味がない人でもモーツァルトの名前はアマデウスであると誰もが知るようになりました。ですが、本書はその常識に挑戦状をたたきつけているのです。
モーツァルトのフルネームはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだと思われていますが、洗礼台帳を確認してみると実はそうでなかったことが明らかになります。モーツァルトの実際の戸籍上の名前は、ヨハン・クリゾストムス・ヴォルフガング・テーオフィール・モーツァルトなのです。なんと聞きなれない名前でしょう!1月27日に生まれたモーツァルトは、その日の聖人であるヨアンネス・クリュソストモスから霊名を与えられ、ヴォルフガングというドイツ的な名前とテーオフィールというギリシア風の名前も付けられていたのです。この長い名前の内、洗礼名がほとんど用いられなくなり、ヴォルフガングとテーオフィールという名前だけが残るようになりました。そして「神」「愛」という意味のギリシア語「テオ」「フィロス」に由来するテーオフィールという名が、ラテン語化されることで「アマ」「デウス」となりました。しかし、著者の石井宏によると、モーツァルトが「アマデウス」と署名したことは(ほとんど)なく、ほとんどはアマデやアマデーオとサインしていたようです。そしてその背景には単なる言語的な差異だけではなく、もっと重要な理由が隠されているというのです。
本書はモーツアルトの署名を細かに調べた難しい研究書ではなく、むしろ、モーツアルトの名前を巡る推理小説のような伝記となっています。『反音楽史 さらば、ベートーヴェン』などでドイツ中心の音楽史を批判した著者は、本書でも同様の立場からモーツァルトの人生とその後の需要を再評価しようとしています。多くの頁は名前を巡る謎よりもモーツァルトの人生、特に父レーオポルトとの関係を軸とした伝記に割かれているため、モーツァルトについて詳しくない人でも楽しく読めると思います。また、基本的な情報も丁寧に書かれており、読者によっては目から鱗が落ちるような話も含まれているのではないでしょうか。モーツァルトが好きな人も、そうでない人も楽しめる一冊となっています。
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