江戸・元和の大殉教400年記念「ローマ・シチリア巡礼」のこと


千葉悦子(吉祥寺教会所属・キリシタン史研究者)

一枚の写真

「このパレードに参加したいなー」

そう思ったのは何年前のことだったろう。インターネットでたまたま目にしたその一枚の写真〝福者・デ・アンジェリス祭〟を見て以来、そう思い続けてきた。場所は神父の故郷、シチリアの中央高地エンナである。同時にエンナの美しい風景にも魅了された。

アンジェリス神父との出会いは当サイトに書いた通りだが(→「1、アンジェリス神父を知るまで」)、1623年の江戸・元和の大殉教から400年目にあたる2023年が近づくにつれ、「日本からパレードに参加する絶好の機会だ!」と胸も高鳴るのだった。

その一念が実り、昨年(2023年)12月に参加者約30名(+同行司祭デ・ルカ・レンゾ神父)でローマ・シチリア巡礼を行うことができた。

「AMOR」スタッフから「巡礼の内容と顛末を」との原稿依頼があり、ここに書かせて頂いた。

エンナからの眺望

さて、企画段階からお話しすれば、2021年頃、企画を練る段になって、シチリアはデ・アンジェリス神父の他、4名もの著名な宣教師を輩出した地であることを知った。年代順に言えば、福者デ・アンジェリスを先頭に、マテウス・アダミ、聖ジョルダーノ・アンサローネ、ジョゼッペ・キアラ、ジョバンニ・シドティ。

キリシタン史に関心ある方ならば即座に、彼らがいかにキリシタン史の重要な人物であるかを了解されるだろう。以前、当サイトにその内の2人の略歴を書かせて頂いた。

実際の巡礼の概略は次の通り。

 

12月1日

羽田発→ローマ着。ローマに2泊し、多くの宣教師が日本を目指すきっかけとなった「天正少年使節団」の足跡をバチカン、ローマに辿った。バチカンの要所を見学した後、ラテラノ教会、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、ジェズ教会(旧イエズス会本部。使節団の宿舎)を訪問する。ジェズ教会では長崎・元和の大殉教画など3点を特別に拝観させて頂く。

 

12月3日

ローマからシチリアに飛び、まず南西部の港町マッザーラ・デル・ヴァッロ(マテウス・アダミ神父故郷)へ。アダミ神父列福運動に情熱をかける人々に会う。貴族だったアダミ家旧宅跡の公会堂でミサに与る。司教館、文書館などにも案内され、アダミ神父の肖像画や洗礼証明書、そこに追記された〝日本で殉教〟の文字等々の貴重な記録を拝見する。

 

12月4日

山また山を越え、キウザ・スクラーファニ(ジョゼッペ・キアラ師の故郷)へ。キアラ師の苦難の生涯は遠藤周作『沈黙』でよく知られているが、その故郷は実にのどかな美しい村であった。聖ニコラス教会のベルナルド神父のミサに与り、巡礼団はキアラ師に聖歌「主よみもとに近づかん」を捧げた。

その後、サント・ステファノ・キスキーナ(ドミニコ会の聖人、聖ジョルダーノ・アンサローネの故郷)へ向かった。マードレ教会で地元の方々の歓迎の聖歌で迎えられる。我々の手を握り、肩を抱き、中には涙を流して下さる方までいた。日本から献上品を差し上げ(その中には主任司祭アロット神父が切望された殉教地・西坂の土も)、訪問団の紹介をし、最後に「あめのきさき」を歌い出すとオルガニストが伴奏を始め、信徒さん達がイタリア語で唱和し、最後は教会中に聖歌が響き渡った。

思い出深い一日であった。

 

12月5日

いよいよエンナでの「福者デ・アンジェリス祭」の日である。午前中はシチリアの名所アグリジェントを巡り、その後エンナに向かう。

巡礼の間中、我々は天候に恵まれたが、この日の予報は雨。雨天を心配しながら午後5時にエンナの丘の上に到着する。幸い、天の計らいか雨は降らず、霧がこの古都を覆い尽くしている。パレードの人々は中世風の衣装。足元は湿った石畳。エンナの霧の中で幻想的なパレードが始まる。

さて、ジェロニモ・デ・アンジェリス神父が品川・札の辻で火刑により殉教した日、その遺体は信徒が命がけで守った。遺骨は後にマカオに運ばれ、更にエンナに里帰りし、聖バルトロメオ教会に安置された。祭りでは、その聖遺物(頭蓋骨)とデ・アンジェリス像が神輿に担がれ、2キロ先の大聖堂までパレードするのである。大聖堂で司教様によるミサが挙げられた後、再び教会へ戻るという行程だ。

町の至る所にイルミネーションが飾られている。楽隊の音楽と教会の鐘の音。町を挙げてのお祭りはまるで映画のようだ。あの写真の中を自分の足で歩いていることに感慨もひとしおだった。

今回の参加者は、北は北海道から南は鹿児島まで。プロテスタントのご夫婦や無宗教の若者まで加わる多彩な巡礼団である。エンナではアンジェリス神父ゆかりの江戸と蝦夷からの参加者にパレードの先頭で殉教画を掲げたり、大聖堂で献上品を奉納して頂いたりした。

ミサの中でギサナ司教は福者デ・アンジェリスについての説教をし、最後にレンゾ神父がエンナと日本との交流を願うスピーチで結んだ。何か高揚する熱気といったものが大聖堂にあふれていた。

 

12月6日

パレルモへ向かう途中、世界遺産「モンレアーレ大聖堂」に立ち寄る。世界一の黄金のモザイク聖堂とも言われ、その美しさに圧倒される。5人の宣教師も訪れたに違いない。この日、モンレアーレのイサッキ大司教がミサの司式をして下さるというサプライズがあった。大司教も日本のキリシタン史に関心をお持ちだという。その後、パレルモ近郊の洞窟教会、ジェズ教会を訪問する。

モンレアーレ大聖堂

 

12月7日

左から、マリオ神父、恵比寿さん、著者

シチリアの首都パレルモは、ジョバンニ・シドティ神父の故郷である。ここでは、シドティ神父の研究者であり、列福運動の代表者マリオ・トルチヴィア神父がご案内下さる。神父は『ジョヴァンニ・バッティスタ・シドティ』(教文館、2019)の著者でもある。

今回のシチリア巡礼が実現できたのは、ひとえにマリオ神父、そして神父の秘書的役割を担う恵比寿なみ香さんのおかげだった。マリオ神父の案内でデ・アンジェリスやシドティが学んだセミナリヨ跡やコレジヨ・マッシモ跡を巡る。

その後パレルモ大聖堂でロレフィチェ大司教による荘厳ミサが行われた。巡礼団にはシドティ神父列福運動の日本側の関係者がお二人(川島義人さん [蒲田教会] と長野宏樹さん [枕崎教会] →別稿参照)がいらっしゃった。奉納の儀の時、長野さんから大司教様に中野裕明司教(鹿児島教区。鹿児島はシドティ神父上陸の地)からの手紙が渡された。それは、大司教様の日本来訪を待ち望むメッセージだった。

ロレフィチェ大司教によるミサは、今回の企画でアンジェリス祭に次いで決定した聖なるイベントであった。マリオ神父のお骨折りの賜物である。

私は、これまでの長い道のりを思い、そして30名の参加者と無事全行程を完遂できた安堵感もあり、ミサの間中、涙が止まらなかった。神様への感謝の涙だった。

 

以上が今回の巡礼の概略だ。

今、私は「記念誌」の準備を進めている。内容としては、訪問地の詳細と写真、後日届いたシチリアの神父様方からのメッセージ、参加者の感想文や論文、レンゾ神父の講演録等々からなる約100頁ほどの本(動画付き)で、今年8月に出版予定である。

前述の長野宏樹さんは、12月3に日に訪問したマッザーラでアダミ神父列福運動での日本側の協力を教区司祭達から乞われていた。パレルモではシドティ神父列福運動の今後について、マリオ神父、レンゾ神父、長野さん、川島さん、恵比寿さんが場所を設けて熱心にmeetingされていた。

今回の巡礼は、400年の時を越えて、日本とシチリアが再びつながるきっかけになるだろうか?

シチリアの大司教様、神父様方が日本訪問の意向を持たれている、そんな便りも聞こえてくる。

昔見たアンジェリス祭の一枚の写真…。あれはデ・アンジェリス神父のメッセージだったかなぁ。

そんなことを思っている。

 


江戸・元和の大殉教400年記念「ローマ・シチリア巡礼」のこと” への1件のフィードバック

  1. 悦子さんそして巡礼団の皆さま、お疲れ様でしたと同時に
    おめでとうございます。
    12月3日からの行程中は心だけは同行させて頂き、共にお祈りしていました。
    この投稿は拝見していましたが、プライベートでも色々あり
    コメントが遅れてしまいました。
    体験された内容を感慨深く拝見しました。
    1枚の写真から始まった隠れた奇跡のような出来事
    ふと星野道夫さんがシシュマレフの1枚の写真からアラスカとの
    生涯の縁を結んだことを思い出しました
    そして400年を経た今、命を賭けた信仰を自分の生き方と
    比べ思い直すきっかけとなりますよう祈っています
    記念誌の発行、大変な作業だと思いますが首を長くして待っています
    気候不順なこの頃健康に気をつけてお過ごしください  山本安津子

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