復活祭と聖歌


復活祭はキリスト教で一番盛大で大切なお祝いですが、日本ではクリスマスほどなじみがありません。その理由はおそらく、クリスマスが日付で決まっているのに対して、復活祭は毎年、日付が異なる(移動祝日と言います)からでしょう。さらに、年によって、欧米を中心とする西方教会と中東や東ヨーロッパを中心とする東方教会で、使っている暦の違い(西方教会はグレゴリウス暦、東方教会はユリウス暦)から日付が一週間異なることも一因と思われます。教会音楽でもクリスマスキャロルはたくさんなじみがあるものがありますが、復活祭の聖歌はあまり耳にするものもありませんし、「イースターキャロル」という言い方も耳にしません。

どうして教会音楽でも復活祭の音楽はあまりなじみがないのか定かではありませんが、いくつか考えられることがあります。

まず、降誕祭(クリスマス)の場合、降誕祭の前の準備の期間(待降節といいます)にも、降誕祭を待ち望むいろいろなシンボルがあります。例えばアドベントカレンダー、クリスマスツリーもそうかもしれませんね。

ところが、復活祭の前の準備期間はそういうこととは無縁のものになっていました。本来この時期は復活祭の前の夜に洗礼を受ける人々の準備の期間だったのですが、ヨーロッパがキリスト教化されると、ほとんどすべての人が生まれてすぐに洗礼を授けられたことから大人になって洗礼を受ける人もほとんどいなくなってしまいました。その代わりに復活祭の前はすでに洗礼を受けている人々がイエスの死を思い起こし、自分たちも少しでもその苦しみをしのぼうとして、断食とかいろいろな節制をする期間となっていきました。復活祭の46日前の水曜日からがその期間になります(四旬節と言います)。ですから、待降節が降誕祭(クリスマス)をワクワクして待つのに対して、四旬節は復活祭を楽しみに待つというより、それまでじっと辛抱するという時間だったのですね。

そのために、音楽も四旬節には華やかな音楽を奏でることもしなかったことが復活祭の音楽が広まらなかった一因なのかもしれません。その代わりといっては何ですが、復活祭の前の一週間(聖週間と言います)の特に木曜日の晩からは、教会ではイエスが捕らえられ、裁判にかけられて殺され、そして復活することを三日間かけて盛大に記念する、主の過越(すぎこし)の典礼が行われます。大きな祭儀は三つあり、そのほかにも毎日の祈りもありますが、この三日間はそれぞれの祭儀でしか歌わない歌がいくつもあります。ただ、これらの聖歌もクリスマス・キャロルのように華やかなものではなく、むしろ地味なものばかりです。

復活祭は盛大なお祝いですが、準備の期間の四旬節が節制や犠牲といった、華やかなことを控える期間だったことが、やはり音楽にも大きな影響を与えているように思えます。それと同時にもう一つ、復活祭と並んで教会に大きな影響を与えていることがあるのですがこの話は来月のお楽しみにしておきましょう。

(齋藤克弘/典礼音楽研究家)


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