主と共に歩む 詩編37編1~6節


佐藤真理子

悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらむな。彼らは草のように瞬く間にしおれる。主に信頼し善を行え。この地に住み着き信仰を糧とせよ。主に自らをゆだねよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい、あなたの正しさを光のように あなたのための裁きを真昼のように輝かせてくださる。

(詩編37編1~6節)

新しい年が始まりました。

今年はどんな年になるでしょうか。信仰とは、神様に心から信頼することです。必ず何か良いことが起こると神様に期待することです。信仰によって歩むのなら、希望の年となります。

神様と共に歩むうえでとても大切なことは、「神様の声をきく」ということです。何か難しいことに思えるかもしれませんが、そんなことはありません。神様と親しく歩みたいと願えば、その人には必ず神様から聖霊が与えられます。聖霊は神様の喜ぶ方へと人を導く人の内なる神です。正しい方向には必ず「平安」、安心感や喜びを与えます。神様と共に歩みたいと常に願っていれば、必ず正しい扉を神様は開きます。

私にとって、神様の声を聴くことの大切さを教えられたことの一つは礼拝説教です。ご存知の方も多いかと思いますが、プロテスタントの礼拝において説教はかなりのウェイトを占めます。それゆえ神学生になると、プロテスタントの神学生は数年かけてかなり念入りに説教の訓練を受けます。日々の説教演習や教会での実習などで、牧師先生からは勿論、教会員の方や同じ神学生から様々な指摘を受け、そのころ、私はひたすらアドバイスからの改善に勤しんでいました。長年説教をし続ける牧師先生からのアドバイスなど大変参考になりました。

しかし、あるとき気づかされたのは、人からの意見をひたすらに反映させると、もはや説教ではなくなってしまうということでした。

説教とは人の言葉であって人の言葉でないという不思議な性質を持っているのです。

説教は神様の言葉を伝えるツールです。神様の言葉だからこそ、人を励ます力があります。それゆえ、あまりにも人のことばかり考えてしまうと、語る方にも空虚さが残り、もはや人を励ます力がなくなってしまうことがあるのです。

これを読んでくださっている方の中には、説教からあまりにも自分の状況にぴったりとあてはまる言葉をきいたことがある方もいらっしゃるかと思います。私もその一人で、そのような経験は数えきれないほどあります。例えば、親しい方が亡くなった直後、復活についてのメッセージを聞き大変励まされたことがあります。それを語った先生は、一切私の状況を知らなかったのに、私の状況にぴったりあてはまる言葉を語ったのです。

このように、説教には人の理解を超えた領域があります。それを理解してから、何よりもまず神様の声をきいて聖書のメッセージを語ることが、人にとって最良の言葉を語ることにつながるのだと分かったのです。

他にも、教会やキリスト教学校から頼まれたことであっても、どうしても平安がなく断ったとき、後になっていろいろな事が起こり、断ったことによって自分が守られたと感じた経験が何度かあります。

神様はそばにいる人を用いて道を示してくださることもあります。ただ、私たちが真っ先に耳を傾けるべきは、人の声以上に、神様の声なのです。聖書を読むことが大切なのは、そこに、純粋な神様の声が込められているからです。

神様と親しく歩むとき、人は神様の喜ぶ道を歩みます。必然的に、神様の願いと自分の願いが一致するようになります。だからこそ、神様と親しく歩むとき、祈りや願いは神様によって必ず聞かれ、実現するようになります。大切なのは、時がくるまで失望せず神様を信じ続けることです。

神様を信じて生きるとき、様々な試みにあうこともあると思います。

先日読んでいた本からとても良い例えを見つけました。それは古井戸に落ちたロバの話です。

ある日、年老いたロバが誤って古井戸に落ちたのを見た飼い主は、もう役に立たないからそれを生き埋めにしようとどんどん土をかけはじめました。しかし、ロバは土をかけられるたびにそれを振り払い下に落としました。そのようにしてロバの下にある土はどんどん厚みを増し、ロバを高い場所へと引き上げていったのです。そしてある時ついに、ロバは井戸の外に出ることができたのでした。

(ジョイス・マイヤー『困難な時にある希望』Lifehouse Media in Japan訳、 Joyce Meyer Ministries、2021年、19~20頁)

希望をもってまっすぐに生きようとしても、何度も何度も土をかけられることが人生にはあるかもしれません。しかしその土を何度も振り払い神様を見つめて信じ続ければ、信じたことの結果を必ず得るのです。必ず神様は私たちの祈りに報いてくださる方であると信じれば、時がくると必ずその実を得ることができます。

去年、また過去にそれぞれ、いろいろなことがあったかもしれません。しかし、それを振り払い、一心に神様の声に耳を傾け生きていけば、きっと素晴らしい年になります。あなただけのための特別な扉が開かれます。

神様はあなたを祝福したいという願いをもった方だからです。

今年一年も、ただ神様の手を離さず、神様の声に耳を傾け歩んでいけば、困難に負けずに、希望に満ち溢れて歩むことができるでしょう。

 

佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団所属。
上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
ホームページ:Faith Hope Love

 


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