《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 16:ゆるしを告げることば


ゆるしを告げることば

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答五郎……さて、ミサの始まりにあたっての回心のことを勉強しているけれど、「……わたしは、思い、ことば、行い、怠りによって……」という告白の祈りをするのとは別のやり方に出会ったことはないかな。

 

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問次郎……そういえば、「主よ、あわれみたまえ」と組み合わさっているやり方もありました。週日だったか夕方の少人数のミサだったかですね。

 

 

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答五郎……それは、開祭で回心を行うときの三つの形式の第3形式と呼ばれているものだよ。第2形式といっしてもっと短い場合もある。第3形式で「主よ、あわれみたまえ」と組み合わせるときには、「主よ、」や「キリスト、」の前に言葉を加えて主キリストを賛美するかたちになる。

 

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問次郎……回心というと罪の告白というイメージがあるのですが、神を賛美するという形もあるのが不思議ですね。

 

 

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答五郎……罪の告白とか懺悔というとキリスト教らしい、あるいはカトリック教会らしいと思われるようだが、「回心」というのは「心を神に向け直すこと」を意味するので、神を仰いで賛美することはまさしく回心を果たしたすがたともいえるのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙………回心とは罪を意識するということよりも、神を意識することが大事なのですね。

 

 

 

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答五郎……そう、告白とは実は神への賛美だからだよ。ところで、この開祭での回心の三つの形式ともに、共通していることがある。それは、締めくくりに「全能の神がわたしたちをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように。」「アーメン。」というところだ。

 

女の子_うきわ

美沙………ミサの初めに、回心というのは少し敷居が高いようにも感じたのですが、この祈りのことばは、神様のことをわかりやすく教えてくれるのかなとも感じます。

 

 

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答五郎……ほう。神のことをわかりやすくね。どんな点だろうか。

 

 

 

女の子_うきわ

美沙………告白の祈りのときの「全能の神」と言うときには、神がちょっと怖い感じがしたのです。ところが、ここでの「全能の神」は、それぞれの動詞が解説してくれているなと思いました。神とは、「あわれんでくれる方、罪をゆるしてくれる方、永遠のいのちに導いてくれる方」なのだなと。これが神の全能の意味なのだろう……と。

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答五郎……そういう意味でミサの中でキリスト教の神とはどのような方かも明かされていくのだね。

 

 

 

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問次郎……ところで、『ミサ典礼書』でここの部分は、「司祭は罪のゆるしを宣言する」という注記がありますね。

 

 

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答五郎……たしかに。ただ宣言というと、「わたしはあなたの罪をゆるします」という言い方を想像しないだろうか。ところがここでは、あくまで希求法といって「……してくださいますように」と願う文型になっているね。

 

 

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問次郎……「司祭は神にゆるしを願う」と記すほうが正確なのではないでしょうか。

 

 

 

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答五郎……いや「宣言する」という注記にもやはり意味があるのだと思うよ。ここの「わたしたちをあわれみ」……のわたしたちとはだれのことだと思う。

 

 

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問次郎……あっ、司祭が自分も含めて「わたしたち」と言っているようですね。

 

 

 

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答五郎……司祭が信者たちの先頭に立って、「わたしたち」の一員かつ代表として祈っているよね。神のあわれみ、ゆるし、導きを願うかたちで。そして、その中で、「神はあわれみ深い方、罪をゆるしてくれる方、永遠の命に導いてくれる方」であることがしっかりと宣言されているのではないかな。神がここにいて、罪のゆるしが果たされるということが言われている……と。

 

女の子_うきわ

美沙………それに対して、皆さんが「アーメン」と声を合わせて、そのことを一緒に宣言しているのですね。

 

 

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答五郎……信者たちは、慣れっこになると、意味をあまり考えないで「アーメン」と答えたり、ときには答えるのを忘れたりもするのだけれど(自戒をこめて)、今二人と一緒に式文を調べてみると、とても深く重要なことが告げられているのだなと、ほんとうに気づかされたよ。

 

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問次郎……でも、「……してくださいますように」と願うことばなのに、これが宣言といわれるのには、どうもしっくりしないのですが……。

 

 

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答五郎……あせらずに、ミサに参加しながら式文のことばを味わいながら考えていこうよ。実は、このように願う形式の文言なのに、実は、神のこと、神のありさまや神がすることをはっきりと宣言して、神を賛美するという形式の表現がミサの中では多いものだよ。それも聖書の祈り方、信仰宣言の仕方を受け継ぐものなのだ。
次に見る「主よ、あわれみたまえ……」はその典型ともいえるものなのだよ。

(つづく)
(企画・構成  石井祥裕/典礼神学者)


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