石井祥裕(典礼神学者)
今年の8月号の特集は、カトリック教会の暦で8月15日が「聖母の被昇天」の祭日にあたることにちなんでいるようですが、現在の教会暦でマリアに関する祝祭日がどれぐらいあるか、ご存じでしょうか。その全貌、由来、意味を探ると古来、現代に至るまで、マリアに寄せられてきた崇敬の様子が浮かび上がってきます。
現在のカトリック教会では、祝祭日のランク付けがあり、①祭日、②祝日、③義務の記念日、④任意の記念日となります。また、全世界のカトリック教会が共通に祝う日をまとめる「一般ローマ暦」に対して、地域や修道会が固有に祝う祝日をまとめる「固有暦」というものもあります。このような区分で、マリアの祝祭日を示すと次のようになります。
祭日 | 12月8日 | 無原罪の聖マリア | |||
1月1日 | 神の母聖マリア | ||||
8月15日 | 聖母の被昇天 | ||||
祝日 | 5月31日 | 聖母の訪問 | |||
9月8日 | 聖マリアの誕生 | ||||
(日本固有) | 3月17日 | 日本の信徒発見の聖母 | |||
義務の記念日 | 聖霊降臨の主日後の月曜日 | 教会の母聖マリア | |||
聖霊降臨後第2主日後の土曜日 | 聖母のみ心 | ||||
8月22日 | 天の元后聖マリア | ||||
9月15日 | 悲しみの聖母 | ||||
10月7日 | ロザリオの聖母 | ||||
11月21日 | 聖マリアの奉献 | ||||
任意の記念日 | 2月11日 | ルルドの聖母 | |||
7月16日 | カルメル山の聖母 | ||||
8月5日 | 聖マリア教会の献堂 | ||||
9月12日 | マリアのみ名 | ||||
12月10日 | ロレトの聖母マリア |
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ほとんどの季節に何かが記念され、祝われていることがわかります(図も参照)。これら全体を眺めながら注目点をあげていきたいと思います(『新カトリック大事典』[上智学院編、研究社]電子版、カトリック中央協議会のサイトなどを参照)。
カトリックとプロテスタントという対比で、キリスト教を考えると、マリア崇敬はカトリック教会の専売特許のようにイメージされるかもしれませんが、祝祭日の伝統を見ると、その多くが東方由来であることがわかります。事柄の関連がわかるように見ていくと:
まず、9月8日の「聖マリアの誕生」の祝日は、5世紀、エルサレムに聖マリアの誕生大聖堂が建てられ、2世紀半ばに書かれた『ヤコブ原福音書』という外典に伝えられるマリアの誕生が盛大に祝われるようになっていたことがわかります。7世紀にはビザンティン典礼、ローマ典礼でも9月8日が聖マリアの誕生の祝日と祝われており、現在に至ります。
これに関連しているのが、12月8日の「聖マリアの無原罪」の祭日です。マリアがその母の胎内に宿ったときから原罪の汚れを免れていたことを記念する祭日ですが、8世紀の東方教会で、マリアの誕生の祝日9月8日の9か月前として、東方では、12月9日がマリアの受胎日と祝われ、西方に伝わってからは12月8日となりました。11世紀以降は、マリアの原罪の汚れを免れての受胎日(無原罪の御宿り)として定着します。そして、1854年、教皇ピウス9世によって、無原罪の御宿りが信ずべき教理として宣言されたのち、1863年にローマ教会暦の正式な祝祭日とされました。
8月15日の「聖母の被昇天」の祭日も、東方の崇敬の移入から形成されます。東方教会では、7世紀の初めから、8月15日にマリアが死の眠りについたことを記念する祝日(ギリシア語「コイメーシス」)がありました。そしてその中でマリアがやがて天に上げられたことを祝う日(同「アナプレーシス」)となります。西方教会にもこの崇敬慣習が導入され、7世紀末以来、マリアが死の眠りについたことを記念する祝日(ラテン語「ドルミティオ」)が祝われ、やがて8~9世紀からは、東方と同じように天に上げられたことを祝う日(同「アスンプシオ」)となり、この名称で現在も受け継がれています。
マリアの被昇天の理解に関しては議論が持てますが、16世紀にはマリアは魂も体も共に天に上げられたと一般に認められるようになり、この理解と崇敬の高まりを踏まえて、1950年、教皇ピウス12世によって「マリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光に上げられたことは、神によって啓示された真理である」として、信ずべき教理として宣言されました。
ちなみに、一覧表中の8月22日の「天の元后聖マリア」の祝日は、15日から8日目にあたり、天に上げられたマリアをさらに追憶し崇敬する日という位置づけです。
いずれにしても、マリアの生涯の始まりと終わりに関する「無原罪の聖マリア」と「聖母の被昇天」が東方に由来するもので、東西共通のマリア崇敬の伝統を表していることを銘記したいと思います。
これらに対して1月1日の「神の母聖マリア」の祭日は、ローマ教会が発祥のもので、いちばん古いものですが、これは、同じくローマでキリスト教公認後、4世紀半ばまでに形成されていた12月25日の「主の降誕」の祭日との関連が考えられます。すなわち、1月1日が12月25日から数えて8日目にあたることが意味をもったと考えられます。この日の福音朗読ルカ2章16~21節で、イエスが誕生から「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた」(21節)ことが思い起こされており、マリアの祭日でありますが、幼子イエスの世の中で最初の歩み(命名)が刻まれるのもこの日の意味であることが浮かび上がります。マリアの祝祭日が主の祝祭日と連動していることを示す日でもあります。
マリアと主の祝祭日の連動という点で、注目されるのは、長くマリアの祝祭日と考えられてきたもので、現代になって(第2バチカン公会議後の教会暦の刷新により)、主の祝祭日であると規定されたものが二つあることです。
一つは3月25日の「神のお告げ」の祭日です。記念されるのは、ルカ1章26~38節に書かれている、いわゆる「受胎告知」の出来事です。天使ガブリエルがマリアのところに遣わされて、イエスの誕生を予告するところです。マリアに起こった出来事ですが、あくまで神の子の誕生がテーマであるというところから、現在では、主の祝祭日に数えられ、「神のお告げ」という日本語の名称になっています。原名を直訳するなら「主のことのお告げ」、「主に関するお告げ」という意味です。
もう一つは2月2日の「主の奉献」の祝日です。これは、やはりこの日読まれるルカ2章22~40節で、幼子イエスが神殿に連れられて行き、献げられる出来事が記念されます。その冒頭に、産後の清め(レビ12:2~6参照)の期間が終わってのこととして記されていることから、この日は中世以来、「聖マリアの清め」の祝日とされていました。それが、この祝日の由来は、12月の主の降誕から40日目にあたること、この神殿での奉献の出来事も主の生涯をあかしする意味があることから、名称もずばり「主の奉献」となり、主の祝祭日に数えることとなっています。
一覧表の中で、いくつかの祝祭日には、その日付や動機の前提に主の祝祭日があるものがあります。
5月31日の「聖母の訪問」の祝日は、この日に読まれるルカ1章39~56節にちなみ、イエスを身ごもるマリアが、洗礼者ヨハネを身ごもるエリザベトを訪問する出来事が記念されます。これも東西に共通する崇敬の産物で、東方では7月7日に祝われていました。洗礼者ヨハネの誕生(6月24日)の8日目にあたる7月1日の翌日ということで選ばれていたものと考えられています。ローマでは8世紀から待降節の間に祝われる慣習があったとも言われていますが、16世紀に7月2日の祝日としてローマ暦に入っています。現代において5月31日に変更されたのは、3月25日の「神のお告げ」(マリアへの受胎告知)と洗礼者ヨハネの誕生(6月24日)の間に位置付けるという意味からでした。
そして、聖霊降臨の主日後の月曜日にあたる「教会の母聖マリア」の記念日(義務)は2018年に定められた新しいもので、聖霊降臨を待つ使徒たちと共にマリアがいたことを思い起こし(使徒言行録 1:14 参照)、教会の誕生ともいえる聖霊降臨の主日に続いて次の月曜日を「教会の母」としての聖マリアを記念し崇敬する日となっています。
それから「聖母のみ心」の記念日(義務)ですが、これが聖霊降臨後第2主日後の土曜日となっているのは、その前日、聖霊降臨後第2主日後の金曜日が「イエスのみ心」の祭日であることを踏まえるものです。聖母のみ心はイエスのみ心(聖心)の信心とともに近世・近代に高まってきた霊性をともに代表するもので、このことが、これらの二つの日において続けて記念されています。
これと似たつながりは、9月15日の「悲しみの聖母」の記念日(義務)にもあります。これはその前日9月14日の「十字架称賛」の祝日に続くものです。悲しみの聖母への崇敬は、十字架のイエス、受難のイエスに対する礼拝心の高まりとともに、12、13世紀から開花するもので、16世紀に9月第3日曜日を記念日とする慣習が一部で生まれ、17世紀後半に一般化されました。20世紀の初めに9月14日の「十字架称賛」の翌日に位置付けられ、現在に至ります。主の受難を記念する秋の祝日に続くマリアの祝日として、マリアはここでも十字架のイエスの傍に立っており、この日は、「スタバト・マーテル」という聖母賛歌が歌われます。
そのほかの記念日の成立のきっかけはさまざまです。
歴史的出来事から:10月7日の「ロザリオの聖母」(義務)は、レパントの海戦(1571年10月7日)の勝利をロザリオの聖母の加護と信じるロザリオの信心から。2月11日の「ルルドの聖母」の記念日(任意)は、1858年のルルドでのマリアの出現から。9月12日の「マリアのみ名」の記念日(任意)は、1683年のオスマン帝国軍からのウィーンの解放に由来するものです。
修道会の祝日から:7月16日の「カルメル山の聖母」は、カルメル会の祝日が1726年に全教会の記念日となったもの。
教会献堂から: 11月21日の「聖マリアの奉献」の記念日(義務)は543年にエルサレムに建設された聖マリア教会の献堂から。8月5日の「聖マリア教会の献堂」の記念日(任意)は、352年、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会の献堂から。そして、12月10日の「ロレトの聖母」の記念日(任意)も、広い意味で聖堂建設にちなんでいます。1291年聖地エルサレムが陥落したとき、5月9~10日に、サンタ・カーサ(聖母マリアの家)が天使によって運ばれ、1294年12月10日にイタリア、マルケ地方のロレトに到着し、それを記念して聖堂が建てられ、有数の巡礼地となったという経緯に基づくものだからです。
マリアの祝祭日の中で、日本固有の祝日があるというのは注目すべきことです。これは、以前から1865年3月17日にプチジャン神父の前にキリシタン信徒がやってきて信仰を告げた出来事が、「長崎信徒発見の記念日」として任意に行われていたものです。しかし、2015年の信徒発見150年の記念年に、この出会いに至るまでの信徒の信仰の道が聖母マリアの保護のもとにあったことを思い、その再宣教の始まりとなったこの出会いを祝う、日本固有の祝日として認められ、2015年から行われています。
最後に8月15日の「聖母の被昇天」の祭日について、もう一度、考えてみましょう。東西の霊性のしるしでもあるこの祭日は、日本のキリスト教にとっても重要な意味をもっています。8月15日は、フランシスコ・ザビエルが1549年鹿児島に上陸し、聖母の保護のもとにあると感謝し、その宣教活動をマリアにささげたという意味で、日本におけるキリスト教の始まりを刻む日でもあるからです。
このことは、歴史意識の高い司祭方の説教の中で、いつも重要なこととして告げられていますが、もっとその意味は広く伝えられてよいのでは、と思います。
この8月15日は、1576年に京都で教会が建設され(=都の南蛮寺)、被昇天の聖母に献げられた日でもあり、1878年、東京の司教座聖堂となる築地聖ヨゼフ教会が献堂された日でもあります。都の教会の始まりの日としてこの日が選ばれてきたところにも、ザビエルによる宣教の始まりの日が大切に思われてきたことがうかがえます。そしてもちろん、それがアジア・太平洋戦争、第二次世界大戦の終わりを刻む日ともなった事実を事実として、そして摂理として、受けとめ、マリア崇敬の世界に、そのもとにある主の祝祭日の世界とともに、浸り、親しみ、味わうことを、一つの方法としてお勧めしたいと思います。