坂口聖子(日本キリスト教団宮古島教会牧師)
「沖縄」と聞くと、皆さんはどんなイメージをするでしょうか? キレイなエメラルドグリーンの海、青い空、鮮やかな赤い色のハイビスカス……というように南国のゆったりした時間の流れる島というイメージが出てくるのではないかと思います。もちろんそのような美しい風景はわたしが暮らしている宮古島の日常の風景です。その一方で、辺野古で起こっている米軍新基地建設の問題などは何も解決していません。沖縄県民の声を無視し、自然環境や人々の思いをないがしろにして強行的に基地建設がなされています。またそれは沖縄島だけではなく、南西諸島(琉球孤)の島々に次々に基地建設がなされ、島々が大きな変化を迎えています。
宮古島をはじめとする「南西諸島」の島々はいま、大きく変わってきています。日本の中央から見て、端の南西に位置するので、地理的には「南西諸島」と呼ばれていますが、そこに連なる島々は約1100キロメートルにもわたり、島々の文化や元々の言葉、歴史は異なりますが、「南西諸島」と一言に括られてしまっているので、この言葉にはかなり雑なイメージがあるのも否めません。いま、これらの島々で、戦争への準備が進められています。沖縄の辺野古や高江の米軍基地建設の影に隠れるような形で、連動する形で多くのメディアには取り上げられない中で静かに軍事化が進んでいます。大きく島のあり方、あるいは自分が肌で感じる空気感が変化しています。
いま、「南西諸島」の島々では陸上自衛隊のミサイル基地が次々に建設され、稼働しようとしています。目に見えない国境線を作り、対中国との軍事的対立構造が作られ、目には見えない国境線に位置するのが与那国島、石垣島、宮古島、沖縄島、奄美大島などの島々です。第三次世界大戦のような世界的な戦争は誰しも望んではいませんが、中国対日本、中国対アメリカの全面的な戦争を避ける形で、制限的な戦争を模索していることが日本の防衛省の「中期防(中期防衛力整備計画)」やアメリカの「オフショアコントロール」と呼ばれる方針から明らかになっています。宮古島においてもたった3年余りで、ミサイル基地建設を始め弾薬庫や実弾での射撃訓練場、海上保安庁の施設拡大、あるいは空港の軍事利用優先などの整備が進められ、今後は米軍海兵隊と陸上自衛隊水陸機動団の実弾を使った合同訓練が行われるビーチも整えられていくことが決められています。
当初、防衛省や沖縄防衛局は自衛隊駐屯地には「弾薬庫とヘリパッドは作らない」との住民との約束がなされましたが、実際は弾薬庫も事実上のヘリパッドも建設されました。基地を建設する前から御嶽(神を祀る聖地)も「手をつけない」という約束が実際には大幅に削られ、祈りの場としてとても重要な井戸も埋められてしまいました。基地は空洞のある軟弱地盤で南北に断層が走り、その下には飲料水の資源ともなる地下水があるにもかかわらず、補強工事はされていないまま、700トンにもなる燃料タンクが埋め込まれ、もし何か起こり、地下水に汚染物質や重油が流れ込めば直ちに水道が出なくなる危険もあります。また弾薬庫ともっとも近い民家は100メートルも離れていない場所もあり、約束の放棄と法律違反がまかり通っています。声をあげれば逮捕されることもありうる状況になってきています。
アジアや世界の将来を左右する問題が、日本の端っこの島々で進んでおり、これが日本全体の問題ではなく、日本の端っこの「地域」の問題として小さく扱われていることに疑問を感じます。島々の人々は孤立感と危機感を覚えており、直接国を相手に闘うこともしています。島の暮らしは大きく変化しています。宮古島の人口は約5万5千人弱ですが、そこに基地警備隊380名がすでにご家族と共に入り、さらに今後はミサイル部隊800名と家族が暮らすことになるでしょう。島の経済面では一見豊かになるかもしれませんが、今後大切な何かを私たちは失うことになるかもしれません。
島内でも様々な意見があり、一致するのは非常に困難かつ自分の地域には建設されないと無関心になってしまうこともあり、問題を共有するのは難しくもあります。この問題をキリスト者としてどのように受け止め、またほかの島々と連帯していくことができるのかは今後の大きな課題です。「平和は1日にして成らず」です。しかし島々だけでこの問題に取り組むのは疲労も絶望も虚無感もあります。大きな力には敵わないのではないか。常にわたしは矛盾と葛藤を抱えています。多くの人々が宮古島をはじめとする日本の端っこの島々に訪れ、実際にご自分の目で見て、感じていただければと思っています。地域を超え、何か繋がっていけるのだとしたらそれが「主の平和」を実現する第一歩となることを信じます。