弾薬庫はいらない


FUJIKO(シンガーソングライター)

デモの様子(写真提供:筆者。以下同)

「アメリカ世から大和の世」…
沖縄本土復帰から今年で50年…
「基地のない平和な島を!!」には程遠い現実…
希求した平和はなおなお遠く…
これが望んでいた本土復帰なのか…
一体何を祝えと云うのか…
胸が痛い…

私は2019年12月「島じまスタンディング」の仲間達と初めて宮古島保良の抗議行動に参加する事に。保良弾薬庫着工2ヶ月後の事である。その時、知りあった方にLINE「保良だより」に誘って頂き仲間入りを――。

当時(2020年5月)宮古島駐屯地(千代田)の抗議活動の様子、状況はFB等で知る事が出来たが保良の状況は殆ど知る事が出来なかった。LINEを通して保良の状況を少しずつ知るにつれ、雨の日も風の日も1分1秒でも工事を遅らせようと、毎日毎日ゲート前で立ち続けている人達の事を一人でも多くの人に知って貰いたい!! 伝えなければならない!! と云う思いに駆り立てられた。

コロナ禍で思うように身動きが出来ず、年に何度か「島じまスタンディング」の仲間と行っていた島じまにも行く事がままならず、思いついたのが遠隔リポート「保良だより」。これだったら何処にいても心は飛んで行ける! 応援が出来るはず! と…私の「保良だより」が始まった。

「基地のない平和な島を!」には程遠く、南の島じまには戦争に繋がる軍事基地が着々と造られている。島じまの人達の大切な故郷が壊され、抑止力の為と軍事の島に変えられようとしている。民家から200mしか離れていない所に弾薬庫が造られ、一体どうやって安心して眠れと云うのか! 枕元に爆弾を置いて眠るようなものだ。有事の際の避難方法も自治体任せで何処へ逃げろと云うのか!

海に囲まれた島じまでは逃げ場所などない。保良ゲート前で毎日抗議活動を続けている「ミサイル・弾薬庫反対住民の会」下地博盛代表は言っていた。「島の人達の命と 本土の人達の命の価値は違うのか!!」と…。そんな事はないです… どちらも大切な命です! そんな事を言わせてしまう私達本土の責任はとても大きいと思う…

今年2022年2月24日。ロシア・ウクライナ戦争が始まってしまった。すぐに終わるだろうと誰もが思っていたのではないだろうか。でも…そうはいかないのが戦争。始めるのは簡単だが終わる事が難しいのが戦争。それを私達はいま目の前にしている。戦争は防衛を名目として始まると云う。南の島じまでも防衛と云う名目で軍事基地が着々と造られている。沖縄本土復帰から50年…

そして終戦から77年…
二度と島じまを戦場にしてはならない!!
二度と哀しい歴史を繰り返してはならない!!
全国の人達に島じまの状況を知って貰いたい…
そして自分の事として捉えて貰いたい…
基地のない平和な島を!!
命どぅ宝…

 


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