第2回 音楽家について考える


山田寛幸(六郷土手駅前こころとからだの痛みクリニック 院長、「こころとからだの痛み研究会」 代表世話人)

 音楽家は大勢の人前で演奏するので、華やかな世界にいるとの印象があります。しかし、一般的に、彼らは幼少期から、楽器などの練習やレッスンに追われた厳しい生活を送っています。 例えば、ピアノの場合、歳頃からピアノの先生について毎週レッスンに通って、家では母親の監視下で毎日、練習をさせられる。音大に受かったとしても、同期の学生は競争相手。極端な例として、米国の名門ジュリアード音楽院では、学生がピアノ練習室を確保するために、早朝から並んで開門と同時に他人を押しのけてでもダッシュで順番取りをする、という話を聞いたことがあります。

 ミュージシャンズ・クランプという症状があります。医学的にはディスキネジアといって、何らかのストレスが原因で自分の意思通りに身体が動かない症状の事で、よくギターリストに見られます。これはゴルファーのイップスに相当します。ピアニストにも現れることがあり、更に、練習過多のために腱鞘炎になったり、筋肉を痛めたりして演奏出来なくなることもあります。

 世界的に著明なピアニストは年に100回以上の演奏会に出演する機会に恵まれます。一方、日本の場合、一流の方でも毎週のように演奏会があれば良いほうでしょう。経済的な理由からプレッシャーを感じて、精神的に追い詰められる事もあるようです。そもそもピアノには鍵が88個もあり、これを両手で弾くのですが、楽譜を見れば判るように音が多すぎる事も精神的な負担に感じると思います。

 本番の出番前に、緊張のために中々ステージに出てこれらないピアニストがいます。例えば、米国のウラディミール・ホロビッツが有名でした。イタリアのピアニスト ベネディッティ・ミケランジェリも完璧主義者で、キャンセル魔として有名でした。また、ポーランド人のクリスティアン・ツイメルマンは、自分のピアノを演奏会へ持参して、自ら調律をするピアニストです。他にも、完璧主義的なピアニストは多々いて、例を挙げるとキリがないくらいです。

 演奏会が終わっても、一切、その後の会合には出ないという音楽家がいます。例えば、往年のフランスの名チェリ

「葉山マリーナから見た夕景」画:山田寛幸

スト ピエール・フルニエは日本へ演奏旅行に来ても、一切、接待には応じなかったと言われています。ちなみに、歌舞伎の坂東玉三郎氏も同様で、公演後の付き合いには参加しないそうです。これをどう考えるか。演奏後にホテルで黙々と練習をする真面目な人と考えるか、あるいは、余裕がなくて心が狭いと捉えるか。もっとも、過度の緊張を強いられる演奏会の後に、人と会いたくないという気持ちは判ります。

 大家で引退演奏会を開く人がいます。例えば、かつて大バイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツは72歳で引退演奏会を開きました。その時の録音を聴くと、「何でこんなに弾けるのに引退するのか?」と言うほどの演奏です。また、最近亡くなったピアニストのアルフレート・ブレンデルの引退演奏会のCDを聴くと、「今までと全く遜色がないのに?」と思えるほどの出来映えです。引退を決める演奏家は、完璧主義的で自身の衰えを許せないからかなと思います。

知人の50歳代のバイオリニストに「引退演奏会を開く予定は?」と聞いたところ、「僕は引退演奏会を開けるほどの大家ではありません。」と答えられました。確かに、多くの演奏家は人知れず表舞台から去って行くのでしょう。一方で、往年のミェチスワフ・ホルショフスキー、シューラ・チェルカスキー、メナヘム・プレスラーなど90歳を過ぎても演奏会で楽しそうに弾くピアニストもいます。ただし、若い頃のような完璧な演奏ではありませんが。

 さて、強迫性障害という疾患があります。強迫的という意味は、自分で「こうあらねばならない、こうしなければいけない」という固定概念から、思考や行動に制限が生じる疾患です。例えば、戸締まりとか火の始末で何度も(病的に)確認する。あるいは、不潔恐怖から何度も手洗いをする、電車のつり革に触れない等の症状が現れます。また、自分なりのルーティンが決まっていて、順序通りにならないと気がすまないために仕事が遅くなり、完璧に終わらないと次へ進めない。音楽家は幼少期から練習に追われて、完璧に弾かなければという強迫観念が付きまとうようになる。その根源は「不安」です。

実例を挙げます。40歳代の男性。小学校の音楽教師。普段は何ともないが、学校や演奏会でピアノを弾く前にパニック(動悸、発汗)になる。過度に緊張すると言います。一般的によく見られるパニック障害は、「広場恐怖」といって電車や人込み、エレベータ―などで“閉じ込められる恐怖”を感じて、パニックが起きます。この方の場合は、演奏前のみに症状が出るので分類上は「社会不安障害」に相当します。パニック障害の治療法としては一般的に薬物療法で、抗うつ薬と抗不安薬を毎日、定時で飲む。この方の場合は、毎日の抗うつ薬+頓服の抗不安薬で演奏は問題なく出来るようになりました。

 ところで、不安についてですが必ずしも否定的に捉える必要はなく、痛みを感じるのと同様に、危険を察知するために必要な感覚だと考えるべきです。もちろん、過度な不安は厄介ですが、逆にまったく不安を感じないと危険な行動をしてしまう事になります。強迫的な性格は、例えば、成育歴に過度なストレスがあって不安の閾値(この値以上になると症状が出る)が低下するためと考えられます。

 現在、“性格は変えられる”という心理学の考え方があります。その方法は難しいのですが、先ず性格診断を行ってから心理療法(カウンセリング)を行う方法です。実は、これを当院で近く始める予定です。一種の予防医学で、多少のストレスには耐えられえるようになる事が目的です。

 強迫的な性格の治療法として、意外な方法もあります。長年、漢方外来をやって来た経験から、柴胡加竜骨牡蛎湯(竜骨 リュウコツ:哺乳類の化石、牡蛎 ボレイ:カキ殻)という薬で、強迫的な考えが軽くなる事があります。この薬は、中国の古典医学書「傷寒論」に記載があり、そもそもは熱病に罹って意識が朦朧となった状態に使う、とあります。確かに、現代の漢方のマニュアルには、不安障害、強迫性障害、対人恐怖症などに有効と記載があります。だたし、全ての強迫性障害に有効とは限りません。

 最後に、例外的なピアニストがいます。例えば、スペイン人のピアニスト ガルシア・ガルシア氏は演奏中に楽しそうに歌い出すことで有名です。また、日本人の阪田知樹氏は、以前、演奏会で目撃したのですが、リストのピアノソナタを弾いていて途中で止まってしまいました。その時、頭を掻きながらニコニコしてペコリとお辞儀をしたら、観客からドッと笑いが出て、その後、最初から見事に弾き直しました。彼らからは緊張しているような様子は感じられないので、観客はホノボノとして癒されます。

六郷土手駅前こころとからだの痛みクリニック HPhttps://rokugo-dote-mental.clinic/


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