蛍の光


松橋輝子(音楽学)

さて、前回の「むすんでひらいて」記事からしばらく間があいてしまったが、今回も『小学唱歌集』に収録された讃美歌に注目したい。今回は、現在にいたるまで親しまれている《蛍の光》を取り上げよう。まもなく卒業の季節を迎え、耳にする機会も増えてくるのではないだろうか。唱歌として、讃美歌として、明治期以来親しまれてきた旋律である。

 

原曲、スコットランド民謡

《蛍の光》の原曲は、スコットランドの口承により伝えられてきた民謡に、愛国詩人ロバート・バーンズ(17591796)が1788年に改作した《Should auld acquintance be forget》である。この旋律を現在よく知られている形にし、普及させたのが、スコットランドの出版業者ジョージ・トムソンでわった。彼はこの曲を《Auld Lang Syne久しき昔》として『スコットランド歌曲集』(1799年)に収録した。この時点での歌詞の内容は、「蛍の光」とは全く異なり、旧友と再会し、親しい付き合いを祝って、酒を飲みかわす情景を描いたものである。ハイドン(Hob. XXXIa:218)やベートーヴェン(WoO156/11)による編曲を始め、さまざまな編曲版が広まり、替え歌としても流行していった。

(ハイドン)

(ベートーヴェン)

 

唱歌集に収録

日本では《蛍の光》は『小学唱歌集初編』の第20番に、「蛍」の題で収録されている。その歌詞は、第一番は中国の故事「蛍雪之功」を踏まえた内容、第二番は学業の成就と別れ、第三番は南の「筑紫」(九州)と北の「睦奥」(東北)を対置し、国土の広がりを示すものとなっている。そこでは、国土の分散の中に精神的統一を見出し、国家意識の重要性が歌われる。最終の第4番では、国境線が明示され、国土防衛という課題までもが言及される。この歌詞は、「業」や「事」を成し遂げて学校を去る際に、友に別れを告げ、国家のために協力を誓う姿を描いたものであり、卒業のときに歌われるべき歌として認識されたのは、すでに唱歌集出版の前年の1881のことであった。卒業に際して歌われた最古の記録としては、1883年の音楽取調掛の卒業証書の授与後に歌唱された例が知られている。その後も東京師範学校附属小学校を始め、多くの学校で卒業の歌として定着していった。

 

讃美歌「目覚めよ我が霊」

『小学唱歌集』は、そもそも西洋の音楽教育を導入するためにつくられた機関「音楽取調掛」によって編纂されたものであり、その選曲には、お雇い外国人教師ルーサー・ホワイティング・メイソンが深く関わっている。《蛍の光》は、キリスト教の讃美歌集から採られたものとされている。この旋律は、いわゆるヨナ抜き音階(音階の4番目と7番目を欠く五音音階)によって構成されており、日本人にとっても親しみやすい響きを持っていたことは疑いない。日本では、この旋律は讃美歌《目覚めよ我が霊》としても歌われてきた。元の讃美歌《Awake my soul, stretch every nerve》は、イギリスの非国教会系の学校で神学を学んだ牧師であり、讃美歌作者でもあったフィリップ・ドッドリッジ(17021751)によって作詞された。(彼は『もろびとこぞりて』の原作者でもある。)彼の死後に出版された『Hymns Founded on Various Texts in the Holy Sprictures by the late Reverend Philip Doddridge, D. D(1755)に収録され、「信仰の道を走りぬく」(フィリピの信徒への手紙312–14節)を主題としている。なお、『讃美歌21』では、この旋律が日本において卒業式や送別会のイメージがあまりにも強く定着していることを考慮し、新たな旋律が付され、歌詞も改訳されている。

1. めさめよ、わが霊 こころ励み

 ちからの限りに いそぎ進め いのちの冠は

 わがためにぞ 天にゆく駆場に そなえらるる

 

2. 見物のひちびと 雲のごとく むらがり

 囲みて われを眺む 腋目もふらずに

 走りすすめ さかえを授くる 主は呼びたもう

 

3. 見よ、その栄えの かがやけるを 並ぶべきものは

 またとあらじ この世の君らの 花のかざり

 黄金のかむりも ひかりぞなき

 

4. みめぐみ豊けき 救いぬしの み声のまにまに

 走るこの身 かちの日来らば そのほまれは

 わが主の力と 歌いまつらん


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