今、この世界でどう生きるか――クリスマスの意味を捉えて


鈴木和枝(宗教科教員)

私の奉職しているカトリックの学校では、授業や課外活動のすべてが「平和な世界への祈り」につながっていると感じています。私はその学校で宗教と理科を教えています。

宗教の授業では、最初に心を落ち着けるための短い瞑想の時間をもち、宗教音楽や、ウクライナなど戦禍にある地域を思い起こす音楽を流すこともあります。聖書の学びに入る前から、平和を願う心で授業が始まります。

そして理科の授業。一見すると「理科と平和」は結びつきにくいかもしれません。さすがに瞑想の時間はもちません。しかし、私が専門とする化学には、宇宙の神秘から人類の倫理まで、神が創られた世界を理解し、守るための大切な視点が詰まっています。地球という「ともに暮らす家」を神さまが望まれる姿のまま保つために学ぶ学問として、生徒たちに伝えています。もちろん、知識や計算が多くて大変な時期もありますが、生徒たちはそれぞれのミッションに向かって懸命に学んでいます。

 

今年、私は奉職約30年目にして初めてクリスマス行事の担当となりました。キリスト教主義の学校では、クリスマスの迎え方が一般的な「サンタ中心のクリスマス」とは異なり、特に私の勤務校では「平和」を強く意識した現代的な取り組みが行われています。

クリスマス前の準備期間である待降節には、主イエスを静かに迎えるため「沈黙と落ち着き」を大切に過ごします。各クラスでは発達段階に応じて、「授業の始まりを沈黙で迎え、丁寧に挨拶する」といった基本的な目標から、「SDGsの目標を一つ選んでアクションプランを立てる」「世界のニュースに目を向け、苦しむ人々のために祈る」などの取り組みを行い、終礼で達成度を確認します。これらを学校では「プラクティス」と呼んでいます。

私の担任するクラスではSDGsをテーマに取り組み、クリスマス行事の日までの達成度に応じて文房具を集め、外国にルーツをもつ子どもたちの学習教室に届けることにしました。また、プラクティスとは別に、待降節には学校全体で、日雇い労働者の支援施設や、難民・障がいのある方々の施設に向けて、防寒具や衣類を集めて送る活動も行っています。

クリスマス・キャロルの行事は、主イエスの御降誕を、聖書朗読と無言劇(タブロー)、そして学年ごとの聖歌で祝うものです。体育祭や文化祭ほど大規模ではありませんが、音楽が得意な生徒にとっては輝ける場であり、コンクールではない「クラス合唱」の時間は、生徒たちが卒業時に「大好きだった」と振り返る行事の一つです。

聖劇では、旧約聖書の創世記や預言書、新約聖書の御降誕の場面が読まれます。クリスマスは、過去に主イエスが生まれたことを祝うだけではありません。人類の救いのために来られた主イエスの誕生を今も祝うとともに、世の終わりに再び来られるキリストの再臨を待ち望み、私たちが「今、この世界でどう生きるか」を問いかける時でもあります。生徒たちはその意味を胸に、混迷する現代世界を見つめ、平和を祈りながら歌います。

 

今年のテーマは「Luminous(光)」。行事委員の生徒たちは巻頭言に次のように記しました。

いま、私たちの世界もまた暗闇を抱えています。パレスチナやウクライナで続く悲しみ、男女の不均衡、貧富の差、声を上げられない人々の痛み。けれどその中にも、確かに光は息づいています。瓦礫の上に再び学校を建てようとする人々の手、避難所で子どもに本を読み聞かせる教師の声、傷ついた命を支え続ける医療者のまなざし。それらは大きなニュースにはならなくとも、世界のどこかで闇を照らす「小さな希望の灯」です。

「Luminous」とは、その希望の光を生きるということ。誰かを思う小さな祈りや歌声が、やがて世界をやさしく包む光となることを信じて、聖年の喜びとともに、すべての人の心に希望の光がともされますようお祈りいたします。

学校での日々の学びや活動が、世界の平和につながるものであることを、生徒たちは自然と体験しています。歌と祈り、そして学校で培った自分の使命(ミッション)を一人ひとりが果たしていくことで、その望みが神さまに届き、世界に平和がもたらされますように。

 


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