『著名者列伝』


聖ヒエロニュムス『著名者列伝』瀬谷幸男訳、論創社、2021年、4,180円。

9月30日、カトリック教会は偉大な教会博士である聖ヒエロニュムスを記念します。先月紹介した聖アウグスティヌス、そして聖アンブロジウスと大教皇聖グレゴリウス1世と並んで四大ラテン教父の一人とされるヒエロニュムスは、カトリック教会の公式聖書であるヴルガタ訳の翻訳者として知られています。

ところで、教会には多くの聖人がおり、そうした人々は典礼暦の中で記れています。そうした聖人たちについて知るには聖人伝を読むことが勧められますが、そもそも聖人伝はいつからあるのでしょうか。歴史上最も有名で影響力のある聖人伝は、ヤコブス・デ・ヴォラジネの『黄金伝説』でしょうが、それは13世紀に編まれたものであり先行する多様な聖人伝が参照されています。こうした聖人伝の起源を辿っていくと、キリスト教以前の古代ギリシア=ローマ世界で流行した「名士列伝」(De viris illustribus)と呼ばれる文学類型に行き着きます。古くはヘシオドスの作とされる『名婦列伝』(Ἠοῖαι)などのヘレニズム文学にまで遡れる「名士列伝」の中でも、プルタルコスの『対比列伝』(Βίοι Παράλληλοι)は、日本でも『プルターク英雄伝』として親しまれてきました。

聖ヒエロニュムスは、このようなギリシア=ローマの「名士列伝」をキリスト教に適応しようと考え、『著名者列伝』(De viris illustribus)を著しました。新約聖書の時代からテオドシウス大帝の時代に至るまで、教会の発展に寄与した人々を列挙する『著名者列伝』は、ペトロから始まりヒエロニュムス自身の紹介で終わっています。その途中には、キリスト教思想の発展に多大な影響を与えたアレクサンドレイアのフィロンや古代ユダヤ史について貴重な情報を提供するフラウィウス・ヨセフス、ペトロとパウロを殉教させたネロ帝の犠牲者であったセネカといった非キリスト者も登場します。また、ノウァティアヌスやドナトゥスといった異端も登場する他、ヒエロニュムスと神学的に対立していたアウグスティヌスが言及されず、その師であるアンブロジウスに関しても「わたしの評価は差し控えよう」としているなど興味深い点が多々あります。他にも、キケロのことを「貴方(キリスト)のキケロ」と呼ぶ記述は、アウグスティヌスと同様に、キケロを“名誉キリスト教徒”とする風潮を看取でき、古代から中世への知的伝統の継承などの観点から興味をそそられます。

『著名者列伝』は、エウセビオスの『教会史』などを参照しつつも、同時代の人物に関しては自身の見識をもとに執筆されており、美しいラテン語で綴られた古典的作品です。このたび邦訳が刊行されたことで、ラテン語に不慣れな日本の読者にとっても手に取りやすくなりました。これを手に取って、古代におけるある種の聖人伝として読んでもいいでしょうし、ヒエロニュムスのラテン語を読解する手助けとしてもいいでしょう。

石川雄一 (教会史家)


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