ローマ帝国衰退後、ゲルマン系の西ゴート王国が建てられたイベリア半島には、711年、北アフリカを経由してイスラーム勢力が流入してきました。瞬く間に西ゴート王国を滅ぼしたイスラーム勢力は、その勢いでイベリア半島の大部分を征服しました。その後、今日のフランスへも進出したイスラーム勢力は、トゥール=ポワティエの戦いでカール・マルテル、つまり、あのカール大帝の祖父に敗北し、それ以上の拡大を食い止められました。その後、キリスト教徒の領土回復を訴えて「レコンキスタ」(再征服運動)がおこり、イベリア半島は中世を通じてキリスト教勢力とイスラーム勢力の対立の場となりました。徐々に進展していったレコンキスタにより、イベリア半島でキリスト教徒の住む地域は拡大していき、修道院も建てられていきました。今回は、レコンキスタの時代にまで遡る由緒ある修道院にゆかりのあるワイン「アバディア・レトゥエルタ」を紹介します。
レコンキスタが進む11世紀後半、キリスト教勢力の一つであるカスティーリャ=レオン王国の支配者アルフォンソ6世は、バリャドリッドの街を忠臣のペドロ・アンスーレス伯爵に任せました。12世紀、ペドロ・アンスーレス伯爵の親族は教会に土地を寄進し、創立されたばかりのプレモントレ会の修道院が建てられました。こうして建設された「レトゥエルタの聖母マリア修道院」は、イベリア半島で最初のプレモントレ会修道院として重要な役割を果たしただけでなく、当地におけるワイン生産の発展にも寄与しました。レトゥエルタの修道院は、中世から近代にかけて、キリスト教およびワイン生産の重要な中心地として機能していったのです。
時は流れ19世紀前半、教会を迫害したフランス革命の影響はイベリア半島にも及び、スペインでも伝統派と革新派の争いが激化していました。特に、1833年に国王フェルナンド7世が没し、娘のイサベル2世が3歳で王位を継承すると、スペインはカルリスタ戦争という内戦状態に突入してしまいます。革新派の自由主義者が幼いイサベル2世に代わって実権を握ろうとすると、伝統派はフェルナンド7世の弟カルロスを支持し、両勢力の対立は武力衝突にまで発展したのです。イサベル2世を支持した自由主義者のフアン・アルバレス・メンディサバルは、カルリスタ戦争の最中に首相に任じられ、急進的な改革を断行していきました。カルリスタ戦争の勝利と自由主義改革のためにメンディサバルは、「財産没収令」を1836年に発布し、教会財産を没収して自らの支持層である裕福な市民に売却しました。レトゥエルタの修道院もメンディサバルにより民間に売られ、中世から続いてきたキリスト教とワインの伝統は途絶えてしまいます。その後もスペインは複雑な歴史を歩み、レトゥエルタ修道院も荒廃していきました。
20世紀後半、スイスを拠点とする巨大企業ノバルティスは、レトゥエルタの優れたテロワールと歴史に着目し、修道院跡を買収しました。そしてそこで作られたワインは、「レトゥエルタ修道院」を意味する「アバディア・レトゥエルタ」という名前で売り出され、ワイン評論家のロバート・パーカーをして「今世紀最大の発見の一つ」と言わしめるほどの評価を得ました。21世紀には修道院跡は高級ホテルとして改修され、訪れる人々は、歴史ある建物の中で、美しい自然とともにワインと食事を楽しむことができます。
石川雄一 (教会史家)