戦後80年を迎えて~ある学校の平和に纏わる宿泊行事について~


小澤遥(宗教科教員)

今年は戦後80年です。終戦から長い時間が経つことで、戦争経験者の方のお話を伺う機会が減り、積極的に戦争について考える時間を持たなければと感じています。

今の子どもたちは、戦後60年以降を生きています。子どもたちに、どのように平和について考える機会を持ってもらうかは、とても大切なことだと感じます。

今回は、その一例として、田園調布雙葉学園の宿泊行事で行っている平和学習の一部をご紹介したいと思います。

*今からご紹介するのは、本校の平和学習の中の宿泊行事に纏わる内容の一部です。また、この宿泊行事も様々に形を変えて現在に至ります。今後も内容が代わっていく可能性があります。全ての内容を書くことが難しいので、今回は現在の宿泊行事における平和学習について書ける範囲で記載させていただきます。

 

宿泊行事での平和学習

私たちの学校は、幼稚園か小学校から高校までの一貫教育です。その間に中学受験などはないので、ほぼ同じメンバーで、12年・14年を過ごします。従って、長い時間をかけて平和について皆で考え、同じ場所に行き、互いの考えを深める機会を持つことができます。

平和学習として最初に宿泊行事に行くのは、広島です。広島では原爆について触れ、原爆資料館や被爆者の方のお話を伺ったり、平和記念聖堂でミサに与ったりします。戦争の恐ろしさや残酷さを知り、平和がどれほど大切なものなのかを考えさせられる時間となります。

中3の宿泊行事では、長崎に行きます。長崎では、原爆資料館、浦上天主堂での講話、そしてグループに分かれて、山里小学校や永井隆博士が過ごした如己堂などを見学します。黒崎教会や外海地区などの潜伏キリシタンの迫害の歴史を知り、原爆に縁のある地を訪れ、最終日はコルベ神父様の聖母の騎士修道会が持つ本河内教会でミサを行います。原爆の恐ろしさだけでなく、長崎の祈りやゆるしの心に触れ、平和とはどのような状態かを考えたり、自分が大切に思うものを大切にできる平和についても考えたりします。

高校2年生の宿泊行事は、小学校から続く宿泊行事の最後となり、沖縄に行きます。ひめゆりの塔、糸数壕、佐喜真美術館、そして米軍基地を外から見学します。また、最終日には安里教会でミサを行います。米軍基地がある沖縄では、戦争が終わった後も、その痕跡を感じながら生きている人たちがいることを知って、自分たちがどのように平和をつくっていくのかを考える機会を持ちます。

それぞれの宿泊行事では必ず事前学習などがあります。内容は、年によって異なることもありますが、実際に学んだことを現地で見て知り、当時に思いを寄せ、平和の作り手としてどのように働けるかを考えることは、とても大切な時間だと思います。

 

長崎の宿泊行事について

私自身は、長崎の宿泊行事に携わることが多いため、それについて詳しく書かせていただきます。長崎の宿泊行事では、先述の通り、潜伏キリシタンや原爆関係の地を巡ります。この宿泊行事の前には、様々な教科で長崎の事前授業を行います。私が担当している宗教の授業でも、二十六聖人、ド・ロ神父様、コルべ神父様、永井隆博士などに触れ、それぞれの信仰や使命、そして「自分らしく生きていくとは」「自分の使命とは何か」を考える時間を持っています。

信仰を持つことで殉教の道を辿る二十六聖人や、地域の人と共に生きていくド・ロ神父様の生き方に触れた後、コルベ神父様や永井隆博士の生き方など平和について考える時間を持ちます。

この授業の中で、私は「愛がどれほど戦争への抵抗になるのか」ということと、「愛は自分たちがつくっていけるものだ」ということを意識しています。

コルベ神父様は、長崎での宣教活動を終えると、祖国ポーランドに戻り、そこでナチスの活動に賛同しなかったために、アウシュビッツに送られます。彼はそこで最後に見せしめのために餓死刑になった1人の父親の身代わりになって死を迎えます。コルベ神父様の生き方において、この最期は有名ですが、本などを通して、コルベ神父様と関わった人の話などを読むと、その行為にのみコルベ神父様は愛を込めたのではなく、マリアを大切にし、様々な苦難に耐える中で、日々の小さな事柄に、コルベ神父様の温かさや愛の眼差しがあることが伝わってきます。

そう考えると、コルベ神父様の生い立ちの中で、既に愛を教えられる機会があったことも感じることができるのです。彼は、餓死室の中でも、自分や仲間のために祈りを唱えていた、という話も残っていますが、そのような状況の中でも、愛を作り出す選択をすることができるのだと思い出させてくれます。ナチスはアウシュビッツで人間らしさを奪う環境を作り出していましたが、それはコルベ神父様の生き方とは真逆のものであり、そういった愛に気づいた人にとっても、生きる希望になり、それが戦争への抵抗になっていったという側面を想像できます。

永井博士の授業では、彼の人生の中で信仰と出会い、平和についての考えに触れます。特にゆるしについて考える時間を持ち、自分や他者をゆるす体験や、ゆるしがもたらす愛やその意味について、私自身の体験を交えて生徒に話します。そして、ゆるしの体験が、自分の存在も他者の存在も、受け入れることに繋がり、それが平和に繋がっていくこと皆で考えます。

長崎という地を通して、平和について考える時間では、内面的に平和と向き合う時間が多くなります。しかし、その後の沖縄での平和学習では、理想論や綺麗事だけでない現実について考える機会を持ちます。その際、平和とは何か、ということや自ら実践できることがある、という意識を持つことはとても大切なことだと思います。

 

平和学習を通して知ってほしいこと

戦後80年を迎え、戦争を体験した世代が日本から少なくなる今、体験談を語ってくださる方も減っています。だからこそ、生徒たちには、平和を希求する気持ちと共に、想像力と、自分がどのような世界をつくり、そのためにどのように行動したいか、という考えをしっかり持ってほしいと考えています。

例えば、原爆資料館で被爆者の方が持っていたお弁当を目にしたとき、どのような人がどのような気持ちでお弁当を持って外に出たのかを想像すること。また、糸数壕の中で電気を消して暗闇を体験し、その中で死の恐怖と戦いながら生活しなければならない恐怖を想像すること。戦争体験者から直接お話を聴く機会が減る中で、想像によって、戦争は生命を破壊し、人々の日常を奪い、誰かにとって友達であり、大切な息子や娘であっただろう人の命を奪うものであることがリアルに伝わってきます。そして、それを自分の生活に当てはめて考え、戦争がどれだけ残酷なことかを感じることがとても大切だと感じます。

また、生徒の感想などからは、実際にその地を訪れ、同級生が皆一緒にその空間を体験し、感じることで、「戦争はいけないものだ」というメッセージをより深く理解し、自分の生活に照らして考える時間がとても貴重なものだと感じます。

平和学習の際、私はキリスト教学校でよかったと思うことがあります。それは、祈りを知っていることです。もちろん、ただ祈っていれば、平和が実現するわけではないでしょう。しかし、「祈る」という行為には、実際に自分ができる行為があることを意識させてくれますし、単に学習を「怖い」という感情で終わらせず、もっと深い平和を求め、考える時間を持つという点でも大切な意味を持っていると感じます。

例えば、長崎の原爆資料館では、祈りの空間が併設されており、そこで皆で祈りのひとときを持ちます。そういった時間が、原爆の恐ろしさを心の中で整理しながら、平和を求める強い願いに繋がっていると思います。また宿泊行事では毎晩お祈りがあります。夜のお祈りを担当する生徒が、同級生に向けて語る言葉も、平和学習をより深めることに繋がっていると感じます。

同時に、平和学習においては、過去の戦争の恐ろしさを単に知るだけではなく、今世界で起こっている現実やこれからの世の中にも目を向けなければなりません。学校では祈りの時間が毎日あり、その中で今起こっている戦争について触れることもよくありますが、人々の命や、日常が壊される戦争の残酷さを知り、平和を小さなことからでもつくり、それを強く願う心は、今でも、これからの世の中でも、必要とされるものだと思います。学生のうちにできることは、あまり多くないかもしれませんが、それでも自分にできる日常的なことを考える姿勢と、世界に目を向け、自分にできることを探す力は、生徒の中に大切に育てたい力です。

 


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