自分で選ぶことのできないものとして、自分が生まれる環境があります。ニュースなどの報道番組を観ていると、犯罪者の家族をまるで犯罪者のように扱うことがあります。犯罪者の家族は、犯罪者ではないと思うのですが、日本ならではの報道スタイルなのか、なぜ、犯罪者のように扱うのかとても不思議に思っていました。自分が生まれた環境を選ぶことができないという当たり前のことながら、そのことを強く意識せざるを得ないドキュメンタリー映画、「それでも私は」をご紹介します。
1995年3月、日本を震撼させた地下鉄サリン事件から30年、その首謀者の娘として生まれた松本麗華(りか)さんは、父親・松本智津夫が逮捕された当時12歳でした。当時の報道では、麗華さんはまるで松本智津夫の後継者のようにいわれていたのが印象的でした。
映画では、2018年2月、34歳になった松本麗華は34年前保険金殺人で弟を奪われた原田正治さんの訪問を受け、対話に望んでいました。原田さんは「あれだけの逆境の中で若いのに自分の信念を捨てずに力強く生きてきた麗華さんを、この目で実感しようと思った」とほうもんのりゆうをかたっています。全く立場の違う2人ですが、「当事者」としての痛みによって共感し合うことを目の当たりにして、麗華さんの取材を始めたと映画の中で監督は語っています。
麗華さんの苦難は、地下鉄サリン事件以降ずっと続いています。いのちの大切さを説いてきた教団の信者たちが起こした数々の凶行に,麗華さんは衝撃を受けます。なぜ父はあのような凶行を支持したのか、父の口から真実が語られることはなく、死刑が確定します。父から真実を知りたい、死刑の前に病気を治し、事実を語らせてほしいと願う彼女の願いに識者も賛同し、動きを起こします。それによりふたたびさまざまなところから彼女に対する攻撃を招くことになります。また、彼女は被害者遺族への環状にも苦しまなければなりません。
彼女は、人並みな生活を送ろうとしますが、国の「幹部認定」が取り消されないことにより、定職に就くことも、銀行口座を作ることも、定住することも許されず、転々とする生活を余儀なくされます。心理学を学びたいと願う彼女が大学に入学することも許されなかったのですが、弁護士に支えられ、なんとか入学を許されますが、海外への出国もできず、ふつうの人が当たり前に手に入れられる自由はなにもかも手に入れられない状況です。
当たり前の生活ができな状況に加え、家族との亀裂まで抱えながら彼女は、前を向いて生きています。
世間には2世、3世と親の七光りとかで活躍できる人間がいるかと思えば、麗華さんのように世間からの偏見と差別による排除されたなかで生きなければならない人間もいます。
「娘なことは、罪ですか?」
この言葉は強烈に訴えます。
麗華さんは、強くて危うい中で生きている姿に、「生きていく」ことの意味を深く感じさせられました。「バッシングに負けず、ひたむきに自分自身の人生を築こうとも学齢加算の姿は、苦しみながら生き続ける人々に大きな意味を見出し、希望は生まれるように思います。
「麗華さん、世間に負けるな!」と声を大にして語りかけたいそんな作品です。ぜひ映画館に足を運んで観てください。
中村恵里香(ライター)
6月14日(土)新宿K's cinemaにてロードショー
7月5日(土)より横浜シネマリン にて上映
ほか全国順次公開
公式ホームページ:https://www.iamhisdaughter.net/
監督:長塚洋/プロデューサー:長塚洋/撮影:長塚洋、木村浩之/編集:竹内由貴/整音:西島拓哉/音楽:上畑正和/チェロ演奏:大町剛/アニメーション:竹原結/特別協力:「それでも私は」上映委員会/配給協力:きろくびと/製作・配給:Yo-Pro
2025年製作/119分/日本/配給:Yo-Pro/©Yo-Pro