『マルキオン 異邦の神の福音』


アドルフ・フォン・ハルナック『マルキオン 異邦の神の福音』津田謙治訳、教文館、2023年、5060円

前回のbook-zoom-inでは、近代ドイツのプロテスタント神学を代表する偉大な学者ハルナックの伝記を紹介しました。今回はそのハルナックの主著『マルキオン』を紹介します。

2世紀に活動した神学者マルキオンは、一般的にはキリスト教最初の異端とされる人物であり、グノーシス主義と呼ばれる二元論的思想との関係で説明されます。旧約聖書の神とキリストが教えた神を対比させ、創造主と救済者を別の神であると主張したマルキオンは、独自の聖書を編纂し、分派を形成しました。旧約から続く救済史の連続性を否定し、一神教からも離れ、福音書を勝手に切り貼りするマルキオンは、キリスト教の本質を損ねる危険思想家として聖エイレナイオスら様々な教父に非難されました。結果としてマルキオン派は消滅し、旧約の神と新約の神を別とみなす脅威は過去のものとなりました。以上が教科書的なマルキオンの説明です。しかし、ハルナックはこうした理解に真っ向から挑戦し、マルキオンこそが使徒パウロの正当な後継者であり、最初のプロテスタントであったという見解を示します。

ナザレのイエスが活動した時代のユダヤ教は、周知のとおり、サドカイ派やファリサイ派、エッセネ派など様々な派閥に分かれていました。言い換えるならば、キリスト教の母体となった後期ユダヤ教は、統一された一つの教団ではなく、むしろ様々な相反する教説を内包する矛盾に満ちた宗教だったのです。キリスト教は、その中のいずれかの具体的な教派に根を有するわけではありませんでしたが、同時に、そのいずれからも影響を受けていました。キリスト教は誕生の時から、種々の対立する教えをはらんでいたのです。

そのキリスト教は拡大する中で、ギリシア文化と接触します。ロゴス、即ち理性の文化であるギリシア文化に触れたキリスト教は、そのロゴスの力を使って、自らの内にあった様々な矛盾対立を解決しようとしました。「ロゴスに屈服した」(23頁)ともいえるキリスト教は、こうして後期ユダヤ教から受け取った矛盾だけでなく、拡大の途中で出会った様々な宗教的伝統を調和させました。それはもはやキリスト教ではなく、普遍的宗教、つまりカトリシズムとなったのです。民族宗教であったユダヤ教を母体としたキリスト教は、異邦人を教会に加える中で様々な文化を吸収するようになり、それらをロゴスの力により一致させることによって、人類普遍の宗教、カトリシズムへと成長したのでした。

こうしたキリスト教からカトリシズムへの混交主義的変質に抗い、福音、特にパウロの説く教えに従順であろうとしたのがマルキオンでした。彼は矛盾する諸要素を調和させるのではなく、むしろ取捨選択により純粋な教えを保とうとしました。キリスト教はその初期から福音を改竄してきたと考えるマルキオンは、原初の福音を見出すため、共観福音書以前の原福音を探求しました。18世紀後半から19世紀にかけて勃興した聖書学的な研究を、マルキオンは2世紀に既に行っていたのです!また、パウロ書簡の真筆性を疑うなど、マルキオンは最初の聖書学者と言えるかもしれません。

最初の聖書学者……。そう、マルキオンは“新約聖書”を初めて編もうとした人物でした。マルキオン以前にも福音書と書簡は重要な教典としてキリスト教に知られていましたが、それらが旧約聖書に対する新約聖書として一つの文書群として集められてはいませんでした。旧約を敵視するマルキオンの教会は、キリスト教の母体であるユダヤ教と縁を切ったため、根無し草の宗教となっていました。そこでマルキオンは、罰を与える怒りの義神を説く旧約聖書に対置する形で、イエスが教えた愛の神を示す文書群、即ち新約聖書を作る作業に取り組んだのです。こうして、様々な伝統を内に収めるカトリシズムに対し、聖書に依拠するマルキオンの教会が誕生したのです。この意味において、マルキオンを最初のプロテスタントと呼ぶことができます。

ハルナックの『マルキオン』は、大変な物議を醸しました。今日においてもハルナックの洞察はキリスト教の本質を問い、様々な議論を提供してくれます。刺激的な『マルキオン』は、21世紀においても、キリスト教の思想や歴史を学ぶ者にとって必読書であると言えるでしょう。

石川雄一 (教会史家)


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