今年も四旬節の時期となりました。四旬節の間、信徒は節制と愛のわざに励みますが、特に灰の水曜日と聖金曜日には大斎と小斎を守って肉食を控えます。今回は四旬節期間の断食に関する伝説にまつわる「イェーガーマイスター」を今回はご紹介いたします。
7世紀半ば、貴族の息子として生まれたフベルトゥスは、皆に好かれるような魅力的な若者で、伯爵の娘と結婚して幸せな夫婦生活を送っていました。王様からの信頼も篤く、フベルトゥスは得意の狩りで周囲の人々を喜ばしていました。ですが、愛していた妻が出産でこの世を去ると、快活だったフベルトゥスは絶望し、人が変わったようにふさぎ込んでしまいます。最愛の人の死を受けて生きる意味を見出せなくなったフベルトゥスは、信仰も失ってしまい、教会にも足を運ばなくなりました。そんなフベルトゥスは、聖金曜日の典礼に出席しなかっただけでなく、断食を守るべき日にあえて狩りをするという冒涜的行為に走りました。
神様も、神様がお創りになったこの世界も嫌いになったフベルトゥスは、自暴自棄に狩りをする中で一頭の巨大な鹿と出会いました。「素晴らしい獲物だ」と思ったフベルトゥスは、その鹿を追いかけます。すると、突如としてその鹿が足を止め、フベルトゥスの目をじっと見つめました。「これはチャンスだ」と思ったフベルトゥスは、矢をつがえ、鹿に狙いを定めました。獲物を凝視したフベルトゥスは、その鹿の驚くべき姿を目にすることとなります。というのも、その鹿の角の間に十字架が燦然と輝いているのです。あまりの異様な姿にフベルトゥスが困惑していると、「フベルトゥスよ、回心しなければすぐに地獄へ落ちるだろう」という言葉が聞こえてきました。突然の破滅の宣告に恐怖したフベルトゥスは、「主よ、どうすればよろしいのですか」と無意識のうちに答えます。すると「ランベルトゥスのもとへ行け」という返事があり、鹿と声は消えてゆきました。
リエージュの司教であったランベルトゥスは徳の高い人物として知られていました。すぐにランベルトゥスのもとを訪ねたフベルトゥスは、その司教に弟子入りし、聖職者の道を歩みだします。信仰を擁護して不道徳な権力者と対立したランベルトゥスが殺されると、フベルトゥスはその後を継いでリエージュの司教になりました。今日でも聖ランベルトゥスと聖フベルトゥスはリエージュの保護の聖人として地元の人々に崇敬されています。また、狩りを通じて回心したフベルトゥスは、狩人の保護の聖人でもあります。
狩人の保護聖人フベルトゥスの回心に関する逸話に敬意を表して名づけられたお酒が「イェーガーマイスター」です。様々な薬草を調合して作られている「イェーガーマイスター」は、「養命酒」のような味のドイツのお酒で、そのドイツ語の名前を直訳すると「狩りの達人」となります。パッケージには、角の間に輝く十字架を戴く鹿の絵が描かれています。角の間に十字架を輝かせる鹿の伝説は、今回紹介した聖フベルトゥスの物語の他にも存在します。それが2世紀の伝説的殉教者エウスタキウスのお話です。聖エウスタキウスは古代の人であるため、聖フベルトゥスよりも彼が先に例の鹿を見たことになりますが、中世以降、これらの物語は混交し、やがて聖フベルトゥスが最も有名な“鹿の人”になりました。
石川雄一 (教会史家)