自分とあらゆるものがどこかで繋がっているんだ


若手現代美術家・加藤翼さんのアメリカでのアートプロジェクトを追いかけたドキュメンタリー映画が2014年12月に公開されました。今もアメリカの居留地に生きるネイティブ・アメリカンとの出会いから参加型アートプロジェクトが展開されます。江藤孝治監督に映画『ミタケオヤシン』についてお話をうかがいました。

 

映画のタイトル「ミタケオヤシン」とはいったいどういう意味なのか

「ネイティブ・アメリカンのスー族のかたがたが、祈りの儀式のときに使う言葉で、『すべては連環している』という訳にさせていただいています。」

 江藤監督は、「自分とあらゆるものがどこかで繋がっているんだ」という意味にも解釈していると言う。それは、ロープを使って力を合わせるという加藤翼さんのアートと共鳴している。映画では、加藤さんの《引き倒し(ひきたおし)》あるいは《引き興し(ひきおこし)》という参加型のアートプロジェクトが紹介される。加藤さんのアートは、巨大なオブジェ(建造物)をつくり、それを集まった人々がロープに手をかけて引き倒すか引き興すというものだ。

「参加型というのは、ロープを引っ張るところから参加するわけです。鑑賞者を巻き込むアートであり、翼はそれが何かを生み出すことだと信じています。3.11の後の福島では、震災で壊された灯台のオブジェを、離散した地元の住民、ボランティア、観光客などおよそ500人がロープで引き興しました。灯台は地元の瓦礫を使ってつくっています。倒されるか興されるオブジェは、その土地に根差した象徴的な《何か》でなければなりません。」

 加藤さんは福島から、土地の持つコンテクストを反映したプロジェクトをやっていこうと思ったのだった。そして、関わった人の気持ちをメッセージとして表に出すことが、いろんな土地でアートしていく使命だと思っている。

 江藤監督と加藤さんとは武蔵野美術大学の同期で、探検家・関野吉晴氏の授業に出ていたことが機縁で映画づくりがはじまった。映画の主な舞台はアメリカのスタンディングロック・インディアン居留地である。

 「翼はアメリカにすごく興味を持っていました。グローバリズムが力を持ち、ローカリズムを飲み込んでいくという現象にとても恐怖を感じていました。アメリカを旅しながら、その真髄はなんなのかと考えていたのです。そのときに彼のアーティストの仲間の紹介で、ネイティブ・アメリカンの友達ができたのです。」

 加藤さんは、インディアンの友人の住んでいるところがスタンディングロックであることを知り、居留地に赴くようになったという。

「ネイティブ・アメリカンのいろいろな話を聞くうちに、翼は彼らが合衆国の中でただ絶滅するのを待たれているだけの存在だということを知り衝撃を受けたのです。」

 

引き興すティピと引き倒すボーディングスクール

 まだアメリカという国が存在しない頃から住んでいたネイティブ・アメリカンたちは、開拓の名のもと、ヨーロッパ諸国から海を越えて入植者してきた移民たちによって迫害され虐げられていく。その凄惨な歴史を、映画は丁寧に解説していく。

「翼のアートで、最初に引き興すオブジェはティピと呼ばれるものです。ティピとは、ヨーロッパの入植者に侵略される前の部族たちが、平原で狩猟していたときの移動用住居です。翼は、ネイティブの学生を制作に関わらせたいと思いました。それでネイティブのための大学UTTCのキャンパスでオブジェをつくりははじめました。」

 UTTC(ユナイテッドトライブス工科大学)は、アメリカ中からさまざまな部族出身者が集まって来て学んでいる大学だ。学生たちは少しずつ参加し始め、やがて大勢の力でティピが引き興される。

 居留地とは部族ごとの地区で、アメリカ全土に点在する。連邦政府と部族側の代表者の間で結ばれた条約により地区が設立されたが、連邦政府が条約を破るなどして土地はほんのわずかなものになっていた。その土地も貧弱であり、耕作や産業には向かず、失業率や貧困率が高い。ネイティブ・アメリカンたちは、補助金や年金をあてにしながら、アルコール依存症になっていく。

「ネイティブ・アメリカンに追い打ちをかけたのが、同化政策というものです。部族の子どもたちは、『インディアン寄宿学校』というボーディングスクールへ強制的に入学させられます。そこの学校では、部族固有の文化や言語を禁じられました。学校を出て都会に行っても、差別されます。居留地に行っても、親たちと言葉が通じなくなっています。それに働き口もない。閉鎖的な絶望感みたいなものが蔓延しています。」

加藤さんは、次なる対象としてボーディングスクールをオブジェにした。

「全てのネイティブ・アメリカンにとっての忌まわしい記憶としてのボーディングスクールを、もう一度記憶の中から起き上がらせ、今度は引き倒そうとしました。」

 

分からない者でも分からないままに愛する

 江藤監督は、アイデンティティーという言葉に関心があり、テーマ性を感じているという。

「この映画には、アイデンティティーが失われたときの悲惨さが出ていると思います。日本人の側面から顧みると、ぼくらも生物学的に伝承遺伝子が絶たれていっているのではないでしょうか。核家族化して、割と均質な生活をしているという何とも言えないグローバリズムに飲みこまれてしまっています。ネイティブ・インディアンの生活文化は、自然と調和しながら無理のない暮らしをしていました。映画では、ラドンナという女性がチョークチェリーの実をお茶にして飲むことを、物心ついたときから家の習慣だったと言っています。おばあちゃんから教わったのかもしれないし、息をするようなものよと話します。日本でも同じようなことが行われていましたよね。翼は、ネイティブ・アメリカンを『優しい人たち』と表現しています。」

 映画を観ていると、インディアンの人たちに親近感を感じる。それは、いまや失われつつある日本の伝統文化に対する思いと重なるからだろう。

 「ぼくの興味としては、民族間が争ったり、迫害し合ったり、差別し合ったりすることがどういうことで、どのようにそうしたことへ付き合ったらいいかということです。翼には、どんな人でも助け合うことができるという思想があります。何かを解決しようとこぶしを振り上げるわけではなく、ぼくらは手を携え合うという本質的な遺伝子を持っているんだ、という彼の考えにぼくは共感するんです。それで彼を追いました。最後にボーディングスクールを倒したときには、そういった光景が映せたかなと思っています。」

 独自の民族文化を反映するものが言語だと言えよう。映画のタイトルの聞き慣れない「ミタケオヤシン」は、ネイティブ・アメリカンなら誰もが知っていた言葉であり、あなたが知らなかったならば知ってほしい、というメッセージとして受け取れよう。

「翼が言っているもので、印象に残っているのが『分からない者でも、分からないままに愛する』という言葉です。これが、現代アートが担っていける分野なんだということを話しています。翼がこだわるのは、『人が力を合わせる瞬間』『信じ合う姿』を表現することなんです。」

江藤監督が向かう先にはどんな作品があるのか。加藤さんのアートと共に大いに期待している。

鵜飼清(評論家)

江藤孝治 (えとう・たかはる)映像作家・ドキュメンタリー映画監督
(2009年度 武蔵野美術大学大学院視覚伝達デザインコース修了)
1985年、福岡県生まれ。
大学在学中、探検家・関野吉晴氏に師事し、同氏の探検プロジェクトに帯同しながらカメラを回したドキュメンタリー映画『僕らのカヌーができるまで』(芸術文化振興基金助成作品/武蔵野美術大学卒業・修了制作展優秀賞)を制作。
大学院修了後、映像制作会社「グループ現代」に所属し、NHKのドキュメンタリー番組や、企業PR映像制作などを手がける。
2014年、若手現代美術家の加藤翼を追ったドキュメンタリー『ミタケオヤシン』が公開された。
2016年10月より、映像制作会社「ネツゲン」に所属。
【代表作】
◎『僕らのカヌーができるまで』 2009年公開/109分
総合演出:江藤孝治
監督:江藤孝治、水本博之、木下美月、鈴木純一
出演:関野吉晴(探検家・武蔵野美術大学教授)、武蔵野美術大学学生・卒業生ほか
https://www.mmjp.or.jp/pole2/bokurano-canoe-gadekirumade.html
◎『ミタケオヤシン』 2014年公開/80分
監督:江藤孝治 出演:加藤翼(現代美術家)
http://mitaoya.com/


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