松橋輝子(音楽学)
「ガリラヤの風かおる丘で」をご存知の方は多いだろう。この曲を作詞作曲したのは、映像音楽や讃美歌、合唱曲などを多く手掛けた蒔田尚昊(別名;冬木 透)である。日本の映像音楽、そして現代音楽に大きな功績を残した蒔田は2024年12月26日に逝去された。
オルガン作品をはじめとする宗教音楽や合唱曲、讃美歌、そして《ウルトラセブン》に代表される映像音楽、実に幅広いジャンルにわたって活躍したことをこのコーナーを通じて心に刻みたい。
蒔田尚昊(まいた しょうこう)は、1935年満州で生まれ、戦後、14歳の時に初めて母親のふるさとである広島へ帰国した。1952年に、創学間もないエリザベート音楽短期大学(後のエリザベト音楽大学)の第1期生として作曲科に入学し、その後、宗教音楽専攻科を修了した。1956年に上京し、ラジオ東京(現TBS)の音響課に入社。さらに、国立音楽大学作曲科に編入し、髙田三郎に師事した。1961年以降は、TBSを退社し、作曲活動に専念するとともに、1964年から桐朋学園大学で教鞭をとり、後進の指導にもあたった。「蒔田尚昊」として多数のクラシック音楽を作曲する一方で、「冬木 透」としてウルトラマンシリーズをはじめとする映画、映像音楽を手掛けた。
敬虔なカトリック信者であった蒔田は日本の宗教音楽、オルガン音楽に多大な影響を与えた。オルガンとの出会いは、1954年に広島市内にある世界平和記念聖堂にケルン市からパイプオルガンが寄贈された際に、エリザベート音大の学生だった蒔田がその設置の手伝いをしたことであると語っている。その後、米軍キャンプ内で聖歌隊の伴奏をオルガンで弾くこともあったという。1970年大阪万博のキリスト教(バチカン市国)館が主催したオルガンコンクール作曲部門では、「オルガンのための黙示録による幻想曲」で最高位を受賞した。
蒔田のもう一つの顔は、映画やテレビの音楽を担当する際に用いていた名前「冬木 透」の功績として知られている。TBSで時代劇『鞍馬天狗』の音楽を担当した時に初めて用いられた名前である。「冬木 透」として『ウルトラセブン』や『帰ってきたウルトラマン』、1974年度のNHKの連続テレビ小説『鳩子の海』のテーマ音楽を手がけた。「宇宙の広がりはテレビのフレームでは表現できないから『音楽』で表現してほしい」と望んだ円谷英二監督の注目に見事にこたえる、壮大な音楽となっている。
蒔田には2つの名前とともに、クラシック音楽と映像音楽で分けるべき2つの顔があると考えるべきか。彼の音楽には、彼自身が持つ敬虔な信仰心がジャンルを問わずに透過され、その音楽は後世に歌い継がれていくことであろう。