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エライジャ・クレイグ


世界各地でウィスキーは作られていますが、特に、スコットランド、アイルランド、カナダ、アメリカ合衆国、そして日本は五大ウィスキーの産地と呼ばれています。中でも、スコットランドのスコッチとアメリカ合衆国のバーボンは、ウィスキーの代名詞と言えるほど有名ですが、バーボンを創ったとされる人物が牧師であったことはご存知でしょうか。今回は「バーボンの父」と呼ばれる牧師の名を冠した「エライジャ・クレイグ」を紹介します。

1738年、エライジャ・クレイグは英国領ヴァージニア植民地で生まれました。クレイグ家は熱心なバプテスト派の家であり、エライジャのみならず、兄弟のルイスやジョゼフも説教師になっています。しかし、当時のヴァージニアは英国領であったこともあり、英国国教会(聖公会)以外の教派には制限が加えられていました。1771年に牧師になったエライジャは、英国国教会の許可なく説教をしたため逮捕されてしまいます。ですが、こうした勇気ある行動が評価されたエライジャは、バプテスト派の伝道師として認められ、新天地への伝道の任を帯びました。また、エライジャより6歳年上の同郷人であるジョージ・ワシントンが中心となって、抑圧的な英国支配に対する抵抗運動が始まったことも、エライジャの活動を後押ししました。1776年にはアメリカ独立宣言が採択され、信教の自由の権利も認められるようになっていきました。といっても、人種差別や奴隷制度に反対するバプテスト派は、多数派から認められたとは言い難い状況でした。そうした苦難の中、エライジャの兄弟であるルイス牧師は、後にケンタッキーと呼ばれる地域に信徒と共に移住しました。

ルイスに倣ってケンタッキーへ移住したエライジャは、後にジョージタウンと呼ばれることとなる地域を開拓しました。牧師として開拓者の精神的支柱となりながら、同時に教育者として学校も設立したエライジャ・クレイグは、工場を設立することでジョージタウンの経済的な発展にも貢献しました。多様な事業を手掛けたエライジャは、1789年に蒸留所をも設立し、そこで世界初のバーボンを創ったとされています。なお、バーボンとは、よく勘違いされますが、アメリカ合衆国で造られたウィスキー全てを指すのではなく、「①トウモロコシを51%以上含み、②80度以下で蒸溜し、③内側を焦がしたホワイトオークの新樽で、④アルコール度数62.5度以下で熟成した、⑤40度以上のウィスキー」のことを指しています。このように複雑な定義づけをされるバーボンですが、一説によると、火事にあったクレイグ牧師が偶然発見したものといわれています。ちなみに、バーボン(bourbon)の名は、フランスのブルボン(Bourbon)朝に由来しています。英国と対立していたフランスは、アメリカ独立戦争でアメリカ側につき、それに感謝した後の大統領トマス・ジェファソンがケンタッキーの郡に「バーボン」という地名をつけたため、ケンタッキーで誕生したウィスキーをバーボンと呼ぶようになったのです。

エライジャ・クレイグとバーボン発祥に関する逸話には諸説あり、実は上述の話には批判が加えられているのですが、煩雑になるためここでは俗説のみ紹介することとします。いずれにしましても、バーボン誕生とされる1789年は、ジョージ・ワシントンが初代大統領に選ばれ、アメリカ合衆国が独立国家として本格的な歩みを始めた年でもありました。1792年にはクレイグ家が開拓に寄与したケンタッキーが、ヴァージニア州から独立した州として認められました。以来、ケンタッキー州はバーボン生産の地として世界のウィスキーファンを魅了し続けています。

石川雄一 (教会史家)


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