河崎靖『ドイツ語のことわざ: 聖書の名句・格言の世界』、松籟社、2023年、3200円+税。
聖書は名言、格言にあふれています。その影響はユダヤ=キリスト教世界のみならず、遠い日本文化にすら及んでいます。代表的なところでは「豚に真珠」(マタ7・6)や「目から鱗」(使9・18)などは、自然に統合された日本語として、もはや聖書由来とは意識されずに使用されているのではないでしょうか。この一例が示すように聖書の格言は、非キリスト教文化圏にも受け入れられる普遍性と柔軟性、そして魅力があるといえます。今回紹介する『ドイツ語のことわざ: 聖書の名句・格言の世界』は、聖書の言葉がいかにドイツ語に受け入れられているかを紹介する本です。
ところで、なぜドイツ語なのでしょうか。古代オリエント世界で始まったキリスト教は、ユダヤ教の枠組みから超脱して、非オリエント世界にも拡大していきました。旧約聖書がユダヤ人の言語であるヘブライ語で書かれているのに対し、新約聖書が当時の公用語であったギリシア語で書かれているのは、この変化を端的に象徴しています。こうしてギリシア語文化圏で発展していったキリスト教は、4世紀にはいるとローマ帝国で公認され、ラテン語文化と合一していきます。つまり、古代のキリスト教はギリシア=ローマ文化圏で発達したのです。そのギリシア=ローマ文化を脅かし、古代から中世へと時代を動かしたのがゲルマン人(ドイツ人)でした。非キリスト教徒のゲルマン人は、キリスト教勢力となっていたギリシア=ローマ世界に侵入し、古代の秩序を根底から揺るがしたのです。言い換えるのであれば、古代末期から中世初期にかけてのゲルマン人は非キリスト教を代表する民族だったのです。そんなゲルマン人も様々な宣教師たちの努力の末に、次第にキリスト教を受け入れていくのですが、もともと非キリスト教であった文化にキリスト教文化が溶け込むのは容易ではありません。それでもゲルマン人は長い年月を経てキリスト教を受容していきました。この元来非キリスト教的であった文化がキリスト教を受け入れていったかについて、「ことわざ学」(Paremiology)という観点から一つの見地を提供します。この試みは、ある意味で、日本におけるキリスト教文化の受容という課題と無関係ではないといえましょう。
上記のような意識のもとに展開される本書は、大学生を対象の読者水準としていることもあり、ドイツ語の聖書語句とことわざが丁寧な背景知識の解説と共に列挙されています。そのため、聖書や文化、歴史のみならず、ドイツ語の勉強にもなる一冊です。
なお、ボンヘッファーに関する著書もある著者らしく、補章として現代人の心に響くボンヘッファーの言葉がドイツ語との対訳で紹介されます。20世紀ドイツを代表するプロテスタント神学者の一人であるボンヘッファーの名句は、中世にキリスト教化しながらも、近代においてナチスを生んでしまったドイツの戦後キリスト教を、ひいては今日のキリスト教を考えるうえで重要であることを再認識させてくれるでしょう。