新宿コズミック通りの小さな彫刻たち


鵜飼清(評論家)

人は故郷を想う時どのような光景を瞼に映じるのでしょうか。
あの『故郷』という歌詞にある

♬兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川……

なのでしょうか。

私は東京都新宿区西大久保(現大久保)に生まれて育ちました。周りにはそのような光景はありませんでした。ただ保善高校のグラウンドの傍に三角山という小山があり、子どもたちの遊び場になっていました。しかしその山も私が小学校の低学年の頃に崩されて、跡地には国鉄アパートが建設されました。

小学校、中学校の頃に思い出す光景は、校舎や校庭や夏の学校プールではしゃいだショットでしかありません。

私の中学校は新宿区立戸山中学校で1963年に創立された新しい学校でした。私は3期生として入学しました。1年生のときに、東京オリンピックが開催されました。テレビで開会式を観ていて、空に五つの輪が描かれたとき、あわてて外に出て大きな輪が出来上がっているのを眺めました。

中学校の前には早稲田大学の理工学部があります。1年生のときから高層の建物が少しずつ出来上がっていきました。高くなっていくのと学年が上がっていくのとが一緒だったような感じがします。

戸山中学と早稲田大学理工学部の間に道があります。私は家から中学へ通うのにその道を通りました。現在は「コズミック通り」と名付けられています。戸山中学校は2005年に閉校され、建物は新宿区中央図書館になって改装されて使われています。

「コズミック通り」には、小さな彫刻群が飾られています。図書館への道すがら、その彫刻群を楽しみむことができます。その彫刻群のなかに軍靴と巻き脚絆の彫刻があります。私が子どもの頃に、父親が軍隊から持って来た脚絆がありました。木箱の中には軍隊で使っていたカーキ色の水筒や飯盒もありました。そうした幼い頃をその彫刻は思い出させてくれます。

また絵具や筆の彫刻は、中学2年生からの担任が美術の先生だったので、美術室での授業を思い出させてくれます。先生は芸大の彫刻科を卒業されていました。中学の先生を退官されてからも彫刻家として活躍されていました。

古稀を過ぎて、図書館へ通い、新聞や雑誌に目を通したり本を借りたりしています。母校はいまでも学びの場として私を支えてくれています。

『故郷』の歌詞にある

♬志をはたして いつの日にか帰らん

のようなわけではありませんが、私の故郷はこのような形で私と共に在ります。

 


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