山内志郎『中世哲学入門――存在の海をめぐる思想史』
ちくま新書、2023年、1150円+税
石川雄一 (教会史家)
『中世哲学入門』というタイトルを聞いて皆様はどのような本を思い浮かべるでしょうか。「中世における哲学の歴史を勉強できる」とか「アウグスチヌスやトマス・アクィナスの思想を学べる」といった期待を持たれる方が多いかもしれません。しかし、この本を読んだ後には、そういった内容が書いてある本は「概説」書であって「入門」書ではない、という事に気づかされます。入門の語源に思いをはせてみると、確かに、道場の門をくぐって最初に習うことは、その流派の歴史や総合的な稽古ではなく、基礎的な型の習得やトレーニングではないでしょうか。本書は、まさにそういった意味で、正当な『中世哲学入門』であると言えます。
この本は教父の時代から宗教改革前夜の時代までの哲学史を追う本でも、特定の思想家や潮流の考えを学べる本でもありません。そういった巷に溢れる概説書ではなく、著者と共に、四苦八苦しながら中世哲学の世界に足を踏み入れようとする本なのです。随所に基礎用語の解説があるとはいえ、ある程度の歴史的・思想的教養があることが前提とされていますし、何よりもこの本は、著者の他の作品の続編的著作であり、登山に例えると六合目にあたるような本なのだそうです。つまり、概説書を期待して読み始めると、面食らうことになるでしょう。しかし、以上のような覚悟を持って読んでみるならば、興味深い中世哲学の世界の入り口を探ることができると思います。
本書が対象とするのは、13世紀末から14世紀初頭に活躍した神学者ドゥンス・スコトゥス(スコットランドはダンスのヨアンネス/ Ioannes Duns Scotus、以下スコトゥス)の思想、なかでも「存在の一義性」に関する議論です。アヴィセンナ(アヴィチェンナ/Avicenna、または、イブン・シーナー/Ibn Sina)のスコトゥスへの思想的影響から、オッカム(オッカムのグリエルムス/Guillelmus de Ockham)との関係に関する議論を中心に扱う本書は、中世哲学入門でありながらも、同時に、著者の遍歴エッセイでもあり、また、「ドゥルーズ・ファンにとっても存在一義性入門書となることを目指して」(215頁)書かれています。そして読了しても、何か新たなウンチクを知ったり、何か謎が解けたりする事もないでしょう。むしろ、謎が深まるかもしれません。実際、著者はあとがきで「中世哲学の門前に佇み続けている気分」(386頁)を吐露しています。つまり、『中世哲学入門』を読み終えても、中世哲学に入門できるとは限らないのです。
こういった案内をされると、しり込みしてしまうかもしれません。ですが、カントが言ったように、「哲学」を学ぶことはできません。学ぶことができるのは「哲学すること」だけなのです。現代社会は、安易な回答が求められ、情報があふれています。そんな時代に書かれた『中世哲学入門』は、著者と共に格闘しながら「哲学すること」を手ほどきしてくれる、今日求められている「入門」書であるといえるでしょう。