大井靖子・訳(カトリック調布教会)
主よ、いつまでですか?
過去の出来事の記念日が、なにか新しいものをもたらすとは限りません。わたしたちは、その出来事が今日、社会や人びとにどのように反映しているのか考えたり追求したりせずに、出来事の日付や思い出にとらわれがちですが、出来事やその始まりを振り返り、未解決のままの状態が続いているときは、じっくり考えてみなければなりません。
第一次世界大戦、第二次世界大戦開始から2年目を、ヨーロッパの人びとがどのように受けとめたのか、わたしにはわかりませんが、ここ、ロシアでは2022年2月24日から、ちょうど2年たち、ロシアとウクライナという国を構成している、さまざまな民族の間で、聖書にあるような「いつまでですか?」(*1)という問いが囁かれるようになりました。けれども、今のところ、答えは見つかっていません。
忘れてならないのは、ロシアのカトリック共同体は多民族、多文化の共同体であるということです。「いつまでですか?」という問いに対して、わたしたちの共同体はロシア人やウクライナ人だけでなく、隣り合う国も含めるなら、ベラルーシ人、ポーランド人、リトアニア人が共に住む共同住宅だということを考慮した上で、答えを出すべきでしょう。
わたしは、教区を司牧のために訪れるとき、現在の痛ましい状況について、信徒のみなさんとの対話に多くの時間を費やしてきました。紛争開始後の最初の数か月は、いかに憎しみの感情や、赦すことの困難さ、いら立ち、怒りが生まれ、いかにそうした感情を克服し、新たに歩むことがむずかしいか気づかされました。それからあきらめムードが蔓延しはじめ、未来へのプランをたてるのが困難になり、疲れがあらわれてきました。
司牧者としてわたしたちができることは、赦しについて、また、人との出会いと対話の扉を決して閉ざしてはいけないという説教でした。それは、人と出会い、話し合いを続ける限り、常に解決を求め、それが神のみ旨ならば解決の道を見つけることができるからです。
現在、わたしたちからの最良の提案は、わたしたちが希望の種をもたらす状態や状況にあることを謙虚な気持ちで確信するということです。困難な状況にあるときでさえ、イエス・キリストの信仰のうちに留まるなら、わたしたちはすばらしい家になります。これは、わたしがアゼルバイジャンで、シリアで、そしてトラピスト修道院で実際に体験したことです(*2)。シリアの砂漠に、平和と、対話と、慈みのオアシスを生み出しているシスターたちが、そこに留まっていることで、そばに住む異なる民族、異なる宗教の人びとの希望の源となっているのです。
心が変わらなければ世界は変わらない
昨年のご降誕節に、わたしは精神科医ボルニアの友情についての名著を夢中で読みました。特に、エティ・ヒレスム(*3)の日記からの引用は、わたしたちが現在、置かれている状況を的確に描写し、「希望をもたらす者」になれるかどうか、つぎのようなヒントが示されています。
「人生は偉大ですばらしい、やがてわたしたちはまったく新しい世界を創らなければならなくなるだろう。そして、わたしたちは新しい犯罪や恐怖に対して、自分の中で愛と善の小さなかけらを見出し、そのかけらで立ち向かわなければならない。苦しいかもしれないが、嘆いてはいけない」(エティ・ヒレスム)
愛と善の小さなかけらがわたしたちを捉え、わたしたちの心の中で大きくふくらんだとき、わたしたちは希望をもたらす者となることができます。もし、心が変わらないなら、世界を変えるのは困難です。それは、人間の心はさまざまなことを認識する世界だからです。神秘的な北の空や、カフカースの山や谷間や、果てしないシベリアの平原を認識するのも、難民や移民や犠牲者のドラマ、人と自然、犯罪と恐怖のドラマを認識し、痛みを覚え、無関心でいられなくなるのも人間の心です。
このようにしてわたしたちは、「平和の創り手」になりますが、それは世間の平和ではなく、唯一、平和を実現できる神からの、復活のキリストから生まれる平和です。この世の強者の悲劇は、かれらが地上の世界に固執し、人間を勝利者か、あるいは敗北者・侮辱された者・抑圧された者としか見ようとしない、ますます複雑化する悲劇的で残忍な世界に固執していることにあります。
悲しいことに、悪や犯罪がわたしたちの生活に多く関わるようになっていますが、それに対して唯一、可能な答えは、復活祭の答え、つまり、犠牲と、十字架と復活と、美と、慈しみと、そして平和の神秘にあることに変わりありません。(出典Vatican News 2024.02.24)
訳者から………
ロシアによるウクライナ侵攻が始まって間もなく、ソ連の児童文学の翻訳など、長いことロシアに関わってきた者として、わたしはいても立ってもいられない思いに駆られ、在日ロシア大使宛てにロシア語の抗議文をつくり、友人たちの署名を集めてロシア大使館に送ったり、またオーストリアのクラーゲンフルトに住む友人カーリンと相談して、ウクライナからの避難民への連帯と励ましのカードを教会の友人たちの協力で作成し、各地のカリタスなどへ送ったりした。
そんな折、インターネットで「部分動員令に関するロシア・カトリック司教評議会からの訴え」の記事に出会い、切実な思いがこもった力強いアピールに感動したわたしは、早速、その記事を訳し、友人たちに送ったところ、ある友人を通して「AMOR」の編集部にたどり着き、同記事は昨年の4月に掲載されることになった。
バチカンニュース(ロシア語版)、シベリアカトリック新聞などの記事のAMORへの投稿は、「部分動員令に関するロシア・カトリック司教評議会からの訴え」に始まって、以下のように続いた。
「わたしたちカトリック信者が平和に貢献できるのは赦しです」
「信仰を黙っていたら、わたしたちは死んでしまいます」
「すべての人よ、主をたたえよ」
「凍った大地に平和の種を蒔きましょう」
「良心の囚人ウラジーミル・カラ=ムルザ著教会と戦争」
そして今、パーヴェル・ペッツィ大司教の最近のメッセージ「小さな愛と善のかけらが大きくふくらんであらゆる悪に立ち向かいます」が新しく仲間入りしたところである。
いずれの記事にも、平和への願いと祈りがこめられているが、ウクライナ戦争はいまだに終息に向かう兆しは見えず、ロシア国内では、戦争反対を叫び、自由を求める人びとへの弾圧が強まるばかりである。ロシアにとって脅威であるNATO陣営の拡大や、各国からの経済制裁などによって、国際的に孤立化が進めば進むほど、国内の排外主義者たちは勢いづく。
そして2月に入って、ついに、わたしの危惧していたことが起きた。ロシア・カトリック共同体の中でいちばん大きいモスクワ・無原罪の御宿りマリア大聖堂には、誕生の歴史的事情を反映して、ロシア人のほかにさまざまな民族の人びとが所属しているが、異民族、異文化の信徒が集まる、この大聖堂の周囲で、ロシアの極右団体「民族解放運動」(NLM)のメンバーがデモを行ったというのである。
これに対して、パーヴェル・ペッツィ大司教は、モスクワ市長にデモ参加者による宗教的憎悪を煽り、日曜の礼拝を妨害するような行為をはやめさせてほしいと、書簡で要望している。結果について、今のところ情報はないが、たとえ、状況がこれ以上、悪化しても、ペッツィ大司教は多民族・多文化のロシア・カトリックの導き手として、ご自分の置かれた場所に留まり続けるだろう。シリアのトラピスト修道院で出会ったシスターたちのように………。
ウクライナ侵攻開始から三か月後、ペッツィ大司教は母国イタリアの雑誌のインタビュアーに答えて、つぎのように語っている。
「洗礼によって復活したキリストの命を分かち合う人びとは、すべての人びとの希望の炎となります。最近、わたしはロシアの北の地で真っ暗な夜に、1 つ、2つ、3つ…星があらわれ、無数にふえていくのを見ました。星は夜を照らし、真っ暗闇も消えていきました。
その夜、自分たちがその炎であることを、無意識のうちに、わたしに気づかせてくれた人たちのことを思いました。特に、時々、出会うダウン症の子どもや若者、それから赦しの秘跡に与った麻薬患者です。わたしも、かれらのような清らかな心と、神の御手への心からの信頼をもちたいと願っています」(*5)
(*1)詩篇13「いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか」参照。
(*2)AMOR掲載「信仰を黙っていたら、わたしたちは死んでしまいます」参照。
(*3)1914年~1943、オランダ系ユダヤ人。家族と共にアウシュヴィッツのガス室で殺害。日記には神との対話、愛の探求、時代の証言などが綴られ、
日本では『エロスと神と収容所』のタイトルで刊行。
(*4)経歴についてはAMOR掲載「部分動員令に関するロシア・カトリック司教協議会からの訴え」参照。
(*5)イタリアの雑誌『Trace』掲載のインタビュー記事より。ロシア語訳はТайга.инфоによる。