【新連載】ママのばか(1)私はこうして救われた


片岡沙織

はじめに

4歳になったばかりの我が家の双子の息子たちは、まだ赤ちゃんの面影を残したクリクリの目にいっぱい涙をためて、私に力いっぱい叫びます。「ママのばか!」と。

そんな時、私は冷静にも感心してしまうのです。本当に聖書の言葉通りだなぁと。

神の国はこのような者たちのものである。

(ルカ福音書18章16節)

毎回、テーマに沿った絵も添えながら、お送りしたいと思います。今回の絵のタイトルは「ママのばか!」です。実際に、うちの次男はよくこの言葉を私に向かって浴びせるのですが、この言葉が彼の口から出てから少し待つと、泣きながら「抱っこ」のポーズを取って近づいてきます。「どんなことがあっても、ママは絶対に抱きしめてくれる」と、彼は体で分かっているのだと思います。

さてこれからこの場をお借りして、母として、キリスト教信者として、1人の人間として、子を持つ親として、日々の体験や考えたことを僭越ながら発信させていただこうと思います。

「母」という生き方は、ごく一般的で平凡で身近ながら、奇跡のような出来事だと、実際に母になってから知りました。親業4年生とまだまだ半人前ではありますが、子育ての喜びはもちろん、息苦しさや困難など、声にしたくても出来ない声を少しでも代弁出来ればと願いながら、書かせていただけたらと思います。

さっそくですが、今日は私の産後うつ体験を通して、日頃考えていることをまとめてみたいと思います。

 

私はこうして救われた

「あの時の私は、産後うつだったんだ」と気づいたのは、子どもが2歳になった頃でした。
現在の私はというと、双子の子どもたちが4歳にまで成長し、慌ただしくも子育ては楽しく、子どもが可愛くて仕方がないと感じています。
しかし、そうでない時が確実にありました。

振り返れば、子どもが2歳を超えるまでは、控えめに言って地獄のような日々でした。

昼夜問わず代わるがわる泣く子どもたちを必死で世話し、眠る時間も考えたり悩んだり泣いたりする余裕もほとんど無く、時には感情のコントロールが効かず我を忘れて大声で怒鳴ることもありました。そのような状態は2年弱続きました。

当時の育児日記を開いてみても、その時の自分の異常さがよくわかります。

「自分はまだまだがんばらなきゃ」「楽したらダメ」「人に子どもを預けるなんて子どもたちがかわいそう」

追い詰められていた自分がそこにいました。
しかし、家族の理解が無かったわけでありませんでした。
夫も仕事に行きながら家事や子育てを共にし、私の母や父までも参戦してくれていました。家族皆で確かに頑張っていたはずでした。
それでも、私は心も身体も疲弊し、どんどん孤独になっていきました。子どもたちとお散歩をしても、ご飯を食べさせていても、眠らせていても、いつも何か孤独で絶望していました。それでも当時は、自分は至って普通、順調だと思っていたのだから、恐ろしいことです。

自分がおかしくなっていると気づいたのは、1歳半の双子を連れて、初めて子育て支援の施設を訪れてみたときに、支援員さんからかけられた言葉がきっかけでした。

「これまで、よくがんばったね」

ただこれだけの単純な言葉でした。
涙が止まりませんでした。
自分が限界だったことに、この時気づいたのでした。そして、かわいいはずの子どもたちをかわいいと思えないことが、皆に起こりうることと知って、心の底から安堵しました。

この時のことを振り返ると、自分と子どもたちの命が今あるのは、このことのおかげだと感じます。いつ命を落としてもおかしくなかったと思うのです。

この日を境に、私をとりまく状況は変わっていきました。
特に育児支援員の方からの手厚いサポートには、本当に助けられました。

ある人には双子の検診に付き添ってもらい、ある人には私が自由な時間を過ごせるよう双子を預かっていてもらい、ある人には家事をする間に双子を見てもらいました。皆さん、子育ての先輩でした。こんなこと、人に言えないというような内容でも、打ち明けることが出来ました。「こうすればよいのよ、あれは大丈夫よ、たいへんよね、みんなそうよ、そう思うのは当たり前、よくがんばっているね」。あたたかな言葉をたくさんたくさん頂いて、私は産後うつから復活することが出来たのです。

子どもたちが2歳になり、いよいよ保育園に入ることになった時、親身にサポートをしてくれていた支援員のMさんが
「あなたと初めて会った時、危ないなと思ったのよね!」
と言い、ガハハと笑いとばしてくれました。

「産後うつってのは忍び寄ってくるのよ。自分でも気づかないうちになっちゃってて、気づいたころには遅いってこともあるのよね。でも、あなたはもう大丈夫ね。」

私はこうして救われたのでした。

子育てとは、社会のなかでは当たり前のこと。皆が当たり前にしていること、普通に行われていること、特別ではない平凡なことと、子を授かる前は感じていました。
しかし、いざ自分の番になって、当たり前は当たり前ではないと気づきました。
子育ては命がけ。命を削る行いです。
命を削る行いを、一般的に普通に当たり前に平凡に行える、すべての親の愛とはなんととてつもないものでしょう。

きっと私と同じように、子育てで苦しい思いをしている方はたくさんいるでしょう。本当はほとんどの人がそうなのでないかと思うくらい。
でもそれは無言の努力によって成し遂げられてきた「当たり前」に隠れて、なかなか知られづらい。
もし周りに、子を育てる方がいるのなら、今よりもう少しだけ、心配してあげてほしいのです。
親は、もともと親だったわけではありません。
親も子どもと共に育つものなのだと感じます。

そして、その重要な役割を担う人の周りには、たくさんのふとした暖かな支えが必要です。
「よくがんばったね」と声をかけてくれる人、道端で声をかけてくれ「ママ大変でしょうけど、かわいいね」とほほ笑んでくれる人、立ち往生するベビーカーを代わりに押してくれる人、子どもが泣いていると「元気だなー」と笑ってくれる人、たったそれだけできっと救われる命があるはずです。

子を育てるという時間は有限です。
それは奇跡のような時間です。
どうかその奇跡のような時間を、すべての親が安心して不安なく過ごすことが出来ますように。

 

終わりに

初めて、エッセーを書かせていただきましたが、ちょっと今回は暗めのお話でしたでしょうか。読んでくださった方の心が少しでもほっとする、そのような記事を書けるよう努めたいと思います。そしてぜひ、もし疑問や問いなどありましたらお聞かせください。ではまた次回お会いしましょう。

 


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