「隣人としてのアジア」は平和のために行動する――2023年SIGNIS ASIA大会(タイ・バンコク)参加後記


倉田夏樹(立教大学日本学研究所研究員、南山宗教文化研究所非常勤研究員、

同志社大学一神教学際研究センター・リサーチフェロー、

明治学院大学キリスト教研究所協力研究員)

たしかにアジアの人々の日本を見る目は厳しい。

しかしそれは、単に批判と罪責を問い詰めることにとどまらない。

アジアの人々は、日本に人々に対して、

今彼らが抱えている問題を共有し、

アジアの未来を共に考えていきたいと

願っているように私には思える。

少なくともそのような思いを共有できる友人を、

日本に求めているのではないかと思う。

――蔵田雅彦『隣人としてのアジア』

コロナ禍を乗り越え3年ぶりにリアル開催されたシグニスアジア大会

10/2327日までの日程で行われた、バチカンによるメディア人のアジア国際会議、Signis Asia Assemblyに出席するために、タイ・バンコクに行っていた。前後合わせ、一週間の海外滞在になり、無事、今は日本の現実に戻っている。タイに出してくれたSIGNIS JAPANのメンバーには心から感謝したい。

アジア大会には、インド以東12カ国の代表が集まり、いろいろ討議したり、親睦を深めることができた。何しろ、アジアの仲間ができた。

感じたことは様々だが、まずもって日本の存在感の弱さを痛感した。元々日本人は、国際会議などでガンガン論議するタイプではないのだが、日本の経済不調もあるのだろうか、ジャパンパッシングはより進み、もはや日本はアジアの盟主などではなく、日本円も弱く、ハイテクも過去のものになり、「貧しくなった日本」(プア・ジャパン/野口悠紀雄)を感じた。「日本の売りは何だろう」と考えた時に、日本の売りは、アニメーションくらいしかないように感じられた。ただ、タイでは、トヨタ、いすゞなど、日本車はよく走っていた。

シグニスアジアの会場は、Baan Phu Waanというバンコク大司教区のPastoral Training Centerで、豪華なリゾートホテルの趣、湖まであった。本編は、セッション1から5までで形成されている。これについては、後述する。

 

Pastoral Training CenterのBaan Phu Waan

シグニスアジア・タイ大会の概要

Signis Asia Assembly 2023は、主にDay-1Day-2Day-3Day-4の四日間で構成されていた。国際会議であることから、前後1日ずつ、移動日が必要である。内容としては、主にDay-1Day-2の二日に、セッション1、セッション2、セッション3、セッション4、セッション5が行われた。

Day-1において登場したセバスティアン・フランシス枢機卿(ペナン教区司教)は、「デジタル時代を心を開いて受け入れることは、神聖な責任」と話し、「Chat GPTAIを怪物として見てはいけません。福音宣教はどのような空間からでも可能です」と強調した。

セッション1「デジタル世界で心をもって福音を伝えること~若者、女性、信徒の射程から」は、パネルディスカッションの形式で行われた。担当者は、アンソニー・レドゥック司祭(タイ/神言会)、ボージャ・エドガー(インドネシア/若者代表)、ルーシー・ガブリエル(インド/女性代表)、ラチャダ(タイ/信徒代表)の四人。レドゥック神父は、今回のSignis Asia Assemblyの最重要人物のように思われた。神学者であり、修士号をUC Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)で、博士号をアサンプション大学(タイを代表するカトリック大学、日本の上智大学に似ている)から修得している。現在は、神学雑誌「Religion and Social Communication」の編集長を務めている。パネルディスカッションでは、巧みに若いパネリストから意見を汲み上げていた。まさにアジアの俊英に見えた。パネリストは皆、「デジタル礼賛」の立場で、エドガーさんは、「Homo Digitalis」(デジタル化する人間)とまで言っていた。

セッション2の様子。一番左がレドゥック司祭

Day-2に行われたセッション2「福音宣教と仮想現実~完全な存在感に向けて」は、レドゥック司祭による講演であった。「キリストの弟子として、福音宣教にSNSやインターネットを『道具』として使うべきだが、どのように宣教するのか、アルゴリズム(情報処理において、対象となる問題を解決するための一定の処理手順。AIがこれを重視する)に決めさせないで」と警鐘を鳴らした。私たちが(信徒も含めて)、いかに、誰に、どのように、福音宣教するかは、自分の頭で考える、ということである。

セッション3「心をもって使命を伝える」は、韓国のアンナ・ジヒュン・ユ博士による講演であった。コミュニケーション論で博士号を修得した立場から、福音宣教がコミュニケーションの視点から語られた。

セッション4はワークショップで、「デジタル世界において心のこもったコミュニケーションをテーマとすること」というテーマで行われた。ワークショップなので、各班に分かれ、一人一人が英語でディスカッションする方式である。

セッション5は「シグニスアジアのコンスティチューションとその批准を再検討する」であった。

Day-3は、「文化的、メディア的野外エクスカーション」ということで、バス1台を貸切っての市内バスツアーを行った。ずっとBaan Phu Waanに缶詰だったので、嬉しい時間となった。仏教寺院(ワット・アルン/暁の寺)を訪ねたり、タイ最古のテレビ局(MCOT)を見学したり、ミッションスクールの生徒と交流したり、チャオプラヤ川リバークルーズに参加する機会もあった。このタイミングは、参加者を飽きさせない運営側の努力と感じられた。

 

「微笑みの国」タイのミッションスクールの子どもたち。

Day-4Business Dayで、特定の国の(日本も含む)Country Reportの発表、翌年2024年の大会候補国のプレゼンテーションが行われた。既定路線では、大会候補国は日本で、ライバル国が手を挙げることも想定されたが、結局ライバル国は現れなかった。SIGNIS JAPANの土屋至会長が、パワーポイントを用いてアピールし、おおむねSIGNIS ASIA ASSEMBLY 2024が日本・東京で行われることが決定した(現時点では、本決まりとなっている)。

 

「日本代表」として日本のよさをアピールするSIGNIS JAPANの土屋至会長

 

『隣人としてのアジア』という本

「起承転結」の「転」ではないが、話をアジア全体の話題に広げたい。日本とアジアの関係について考える際に、大事にしている本がある。蔵田雅彦著『隣人としてのアジア』(日本基督教団出版局、1993年)という本である。今回のタイ渡航の折にもこの本に同伴してもらった。

 

蔵田雅彦著『隣人としてのアジア』
(日本基督教団出版局、1993年)

蔵田雅彦(この稿を書いている倉田とは血縁上の関係なし)は、1947年に神戸に生まれ、1970年に東京大学教養学科国際関係論を卒業する。クリスチャン(プロテスタント)であり、アジアに対しては常に「贖罪」の想いで向き合った誠実な人物である。元々、ヨーロッパに憧れ、東大闘争後、国外に飛び出して出会った北アイルランドでは、北アイルランド紛争を目のあたりにする。

著書によると、比較的貧しい家庭に育ったが、教育には熱心で、いい大学を出ないと会社でも出世できないということを、両親からいやというほど聞かされて育ったという。そうした環境の中で優等生であろうと精一杯努力し、受験勉強など、今思い返すのもいやなくらい、毎日毎日勉強に追われていた。

大学に入ってからは、競争に負けまいとがむしゃらに猛勉強してきたことに対する反動か、大学を卒業してもいわゆる一般の就職はしなかった。むしろそれまでの人生から逃避したいという気持ちの方が強く、日本を脱出したいという思いにかられて英国へ渡る。一応の形としては、大学院でロシア史の研究を続けるつもりで、いくつかの大学に入学申請し、ロンドンの大英博物館で古い文献を読みながら勉強していたら、自分が本当にこれをやりたくてやっているのか段々わからなくなってきたと本書にはある。

蔵田が英国にいたのは197073年頃で、北アイルランドで激しい対立・衝突が続いており、それを受け、ある時思い立って、ベルファスト(現・北アイルランド)からダブリン(現・アイルランド)までヒッチハイクを行う。この時のインタビューをまとめたのが、「幻の軍隊”IRAの実像」『朝日ジャーナル』(19711210日号)である。

帰国し、まずアムネスティ日本支部で、197782年、アジア・キリスト教協議会(CCA)の都市農村宣教部で働く。アジア・キリスト教協議会の仕事では、オーストラリアやアジア各地を訪ねることになる。このアムネスティ、アジア・キリスト教協議会で出会った人々の影響で、蔵田は受洗する。呉在植(オジェシク)、金容福(キムヨンボク)、李仁夏(イインハ)といった人々の知己を得る。プロテスタント側のエキュメニストの要人ばかりだ。

その後、アジア・キリスト教協議会の仕事で、2年間香港に滞在する。これが蔵田にとって初のアジア体験になる。198286年、日本キリスト教協議会(NCC)のキリスト教アジア資料センター総主事として働く。

韓国人のクリスチャンから受けた強烈な衝撃を忘れることができず、198789年、韓国の延世大学校大学院の神学科に留学した(延世大学校語学堂においても学ぶ)。この頃に、徐正敏(ソジョンミン/現・明治学院大学教授)と知り合う。

帰国後の1989年、桃山学院大学文学部国際文化学科専任講師に就任し、後に助教授になるが、1997年、49歳の若さで亡くなる。アジアを駆け巡った人生だったと思われる。今でも『隣人としてのアジア』は、現代の日本人に様々な示唆を投げかける。アジアに橋を架けた日本人として、同胞なら知っておきたい人物だ。

 

 三六年にわたる植民地支配の歴史は、韓国の人々の心の中に深く刻印されている。それを克服するということは、過去を忘れて仲良くするということではなく、むしろ過去を直視することによって共通の課題を見出していくことではないかと思っている。私が韓国教会史の勉強をしたのもそのためだった。

『隣人としてのアジア』25

 日本人は過去の歴史を忘れようとしているかむしろ合理化しようとしているのに、アジアの人々は、過去の苦しみを決して忘れないということだ。例えば、香港というところは金もうけ中心の町で、政治的意識は乏しいと思ってきたが、八二年に侵略から進出への教科書の書き換えが行われると、市民が街頭署名をしたり、香港始まって以来の二万人の抗議集会が開かれたり、大変な騒ぎだった。

『隣人としてのアジア』56

 在日経験も長いタイの社会学者スリチャイ・ワンゲーオ教授は、アンケート結果に見られる日本の若者の姿をアジアから遠い存在と見ている。

「日本の若者は実感としてアジアからかなり遠いなあというのが第一印象です。むしろ日常生活においても欧米に親近感を抱いていて、日本人はアジア人ではないという意識を感じ驚きでした。日本人だけが、自分はアジア人だと本当に思っていないようですね。……(中略)」(『アジアと私たち』一一九~一二〇頁)。

『隣人としてのアジア』60

 この世にあってイエス・キリストを証しするわれわれキリスト者は、未来を先取りするような存在としてこの世との関わりを求められているように思われる。とりわけ、日本社会が国際化と文化多元主義に基づく共生社会の実現に向けて動きつつある今日、これを商業主義的な外的要因にのみ委ねるのではなく、内発的な力を生み出していくうえで、キリスト教会の果たす役割は大きい。

『隣人としてのアジア』95

 

シグニスアジア・東京大会(2024)のために——シグニスアジア・バンコク大会(2023年)から学ぶこと

さて、私たちが2024年にアジア大会を主催するにあたって、シグニスアジア・バンコク大会(2023年)から学べることは何であろうか。

バンコク大会では、若い参加者がたくさんおり、大会全体を若いものにしていた。聞くと、神学生を動員しており、シグニスアジア・バンコク大会への参加が「教育の一環」になっていたらしい。神学生たちは20人ほどいただろうか。神学生たちにとっても、いい学びの場になったようだ。私たちもまた、ぜひ日本の神学校とパイプを作り、神学生に大いに参加してもらえるような「しかけ」を作りたい。

さらには、タイではハイテクを見せつけられた。ちなみにタイには、Signis Thailandという組織は存在しない。代わりに、CSCTCatholic Social Communications of Thailand)という組織が、現場のデジタルカメラの撮影や音響などの仕事をやっていた。

「ハイテク」の一例を挙げると、現地では、紙資料が一枚たりとも渡されなかった。プログラム一つとっても、受付にQRコード(日本企業デンソーウェーブ社の発明)が貼り出されており、各参加者が自らのスマホを用いて、ダウンロードして使う。しかし、これはやりすぎと思った。参加者のほとんどは、海外旅行中であるので、気軽に書き込める紙のプログラムが欲しいところである。2024年の私たちは、紙資料をある程度は用意したいところである。

大会を通して、筆者には一つ違和感があった。「デジタル世界における福音宣教」はいいにしても、これは私のステレオタイプかもしれないが、貧困化するアジアの呻吟といった話がもっと聞けるのだと思った。対話はずいぶんあったが、表面的な話に終始したことも否定できない。もっと言えば、ミサの共同祈願も含めて、ウクライナやガザの戦争の話が、一度も出なかったのである。現実世界(Real World)からデジタル世界(Digital World)に逃避しているのではないかと思われた。

2024年の東京大会のテーマは、世界各地で繰り広げられる戦争に面して、おそらく「平和」についてのものになるだろう。「日本にしかないもの」というものは、あまりないが、「唯一無二の戦争被爆国」として、アジア各国の代表に、戦争の悲惨さを伝える責務もあろう。被爆者は高齢になってきているが、当事者による被爆体験を聞いてもらうこともまた、重要な「平和の務め」となりそうである。それを踏まえてのグループディスカッションは有意義なものになるだろう。

堅苦しい話ばかりでは、皆疲れてしまうので、レジャーも用意しなければならない。蔵田雅彦もユーモアのある人だったらしい。東京近郊で、温泉、墨田川屋形船クルーズ、カラオケなども用意できればいいと思う。SIGNIS JAPANのニュースレター「タリタ・クム!」でも指摘したが、ベトナムのジョセフ神父からは、「SAA 2025は、ベトナムでできたらいいねえ」といった声も上がっていた(実現できれば歴史的な快挙である!)。「2024年の東京大会には、神学生を連れていきたいのでアトラクティブなイベントがあるといい」という助言もジョセフ神父からもらった。

本稿の初めでも少し触れたが、「ドラえもん」(小学館)、「ONE PIECE」「NARUTO」「鬼滅の刃」「呪術廻戦」「SPY FAMILY」(集英社)など、日本のアニメーションはベトナムでも、タイでもよく知られており、2024年の東京大会では、「日本アニメ」のツアー企画も立ててみたいと思っており、目下「日本アニメ」について研究している。重い根幹があればこそ、軽妙な枝葉を持つというのも、日本という名木であろう。

20231231日記)

空港に向かう途中、土屋会長とともに訪れた
バンコク・カテドラルのアサンプション教会。
結婚式の準備がなされていた


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