くまさん くまさん


伊藤 一子(レクレ-ション介護士、絵本セラピスト) 

今年は、熊の被害が相次ぎました。人里へ出没するアーバンベアは、狂暴だと思われていますが、熊には熊の言い分をありそうです。どんぐりの不作のみならず、人と獣の住処を分ける里山の荒廃。高齢化による耕作放棄地の増大、地球沸騰化による餌の減少など、改めて人が熊との付き合い方を考えていく必要がありそうです。

熊と言えば、後ろ足で立ち上がり歩行をしたり、お座りして器用に手を使うなど、人に似てかわいい姿を見せることもあります。熊のプーさん、テディベア、くまモンといったキャラクターがすぐに思い浮かびます。ぬいぐるみや着ぐるみの世界では、熊は人気者です。

子供の本でも、こぐまちゃんやくまの子ウーフ、パディントンは人気です。『さんびきのくま』(トルストイ:文)は、わけのわからない恐ろしさを秘めています。『なめとこやまのくま』(宮沢賢治:作)は、殺生の業について考えさせられます。絵本には様々な熊が登場しますが、私のお気に入りの1冊があります。

『オレゴンの旅』(ラスカル:文、ルイ・ジョス:絵、山田兼士:訳、らんか社)です。煤けた空が広がる工業都市、ピッツバーグのサーカスで、オレゴンという名の熊は、曲芸をしていました。ピエロのデュークは、曲芸の終わった熊を檻に連れていくのが日課でしたが、熊のオレゴンと友達となりました。ある時、「オレゴン州の森まで連れていってほしい」と、熊に頼まれました。ピエロと熊は、サーカスを抜け出し、バスでシカゴへ、ヒッチハイクでアイオワへ、徒歩で麦畑やトウモロコシ畑を超え、ロッキー山脈の麓へやってきます。再びのヒッチハイク、貨車に飛び乗ったりしてロッキー山脈を越え、オレゴン州の森にたどり着きます。熊のオレゴンが夢見た森、二足歩行のサーカスでの囚われの日々を忘れ、熊が熊でいられる森へと、四つ足になり駆けていきます。デュークは、熊のオレゴンとの約束を果たしたのです。平原の風に吹かれる心地よさ、あたたかな草の上の転寝、川での水切り遊び、スパイクという黒人との出会い、オレゴンとの旅は、デュークの心にも変化をもたらしました。熊のオレゴンと過ごす最後の夜、ピエロのデュークは、心を軽くして僕の旅に出ようと決心しました。オレゴンと別れ、雪の道を一人行くデュークの後ろには、捨てられた赤い鼻がありました。

ピエロは、滑稽な言動で観客を笑わせ楽しませますが、滑稽さの裏に、自分の本当の心、喜怒哀楽を隠しています。デュークもまた、クマのぬいぐるみも与えられない孤独な子供時代を過ごしています。熊が熊として生きられるよう、オレゴンを森に連れていく旅は、五感を通して自然の豊かさを知り、様々な人や地域と出会い、ピエロとしてしか生きられないデュークを縛りつけていたしがらみから、解放される契機となりました。

人生の中で、人は様々な役割を演じて生きています。子供として、学生として、社会人として。夫として、妻として、父として、母として、職業人として、老人として。自分の心のありようと役割に齟齬があると、役割は呪縛のように自分を縛るものとなります。時には、一人旅に出かけて、心を軽くしてみることもおすすめです。デュークの旅のように。

  小春日や赤き頭巾の道祖神

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