あおむしの記憶


宮本智子(宗教科教員)

その絵が記憶に残るのは、小さな指を丸い空(くう)に差し入れるというアクションがあったからかもしれません。現時点で最も多くの言語に訳されている書物は、もちろん聖書。では絵本では? ……答えはエリック・カール『はらぺこあおむし』(1969)、穴があき、サイズ違いのページが続く特殊な構造の絵本です。こんな製本しづらい作品でありながら、多数の言語で出版されているのは、みことばのように、子どもたちに響く豊かなメッセージを持っているからだと言えそうです。

地方の宗教科の教員不足は深刻で、でもそのおかげで、小・中・高・短大それぞれの教室に出入りする機会を得ました。聖書やキリスト教についての温度差は様々な彼らですが、この『はらぺこあおむし』は、性別・年代を問わずに「知ってる!」「なつかしい!」という反応が返ってきます。「宗教の時間に、なんであおむし……?」と言いたげな表情が、読み聞かせが進むにつれて、しだいに目が輝いていくのを感じます。話の展開を思い出すと同時に、読んでくれた人のぬくもりや初めて聞いたときのわくわく感も呼び戻されているようです。

あおむしはしゃべりません。第三者の視点で語られるストーリーから、絵本の冒頭に登場する月や太陽のような、ちっちゃな卵のときから見守り続ける存在が浮かび上がってきます。日ごとの糧も、お腹が痛くなって泣いたときに気がついた葉っぱも、すべて与えられ、満たされているあおむし。ふとっちょになったあおむしは、さえない茶色の蛹の眠りに入ります。そして「あっ、ちょうちょ」、ラストは見開きで大きなチョウの絵が飛び込んできます。

エリック=カール著/もりひさし訳『はらぺこあおむし』(偕成社)

「あれ? あおむしとチョウって、おんなじ顔だったんだ!」
「太陽って、何回も登場してたんだね」
「蛹の絵があったの忘れてた、一番色が少ないからかなぁ」

あおむしが別物に変身するのではなく、卵からチョウまでが一続き、姿形は全く違えど一貫性(同じ顔)があることに、子どもたちは気づきます。はらぺこの私、はらいたで泣く私がいて、お腹を満たすものも、癒すものも与えられてきたことにも。そして、あおむしは地上での動きを止め、真の完成へ向かうこと。かたい蛹のなかでは、一旦すべてがどろどろに溶けてしまうのだそうです。それを経ての輝き、復活の朝の喜び。

復活のイエスと弟子たちが待ち合わせるのは、なじみ深いガリラヤです。子どもたち、かつて子どもだった若者が慣れ親しんだ絵本を通して、自分の歩みのそこかしこに、またこの先もずっと、神のいつくしみが共にあるということに思いをはせてほしい。卒業したら書物としての聖書を手にすることはなくとも、どこかで、あおむしの絵を見かける機会はあるでしょう。そのときに、どうかあなたと共にいる神のことを思いだしてほしい。そう願いつつ、今年も新しい教室というガリラヤで、この絵本を開こうと思います。

 


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