松橋輝子(東京藝術大学音楽学部教育研究助手 桜美林大学非常勤講師)
「四旬節は、灰の水曜日に始まり、主の晩餐の夕べのミサの前まで続く」1、悔い改めの時期に当たり、華やかな音楽の演奏は避けられて、グレゴリオ聖歌を中心とした聖歌が歌われるという伝統がありました。一方、復活際に先立つ1週間は「聖週間」と呼ばれ、イエスの受難に思いをはせて過ごす期間であり、特別な礼拝が行われました。聖金曜日には受難曲が演奏されました。
カトリック教会の中で、日本語聖歌が広まってきていた1930年代ころに、四旬節中にどのような音楽が歌っていたかをすることのできる記事を紹介します(太字強調は引用者による)。
「主日の御ミサの聖歌に就いて」『聲』 1931年5月号、357頁。
[問] 或る教區の教會では、待降節でも四旬節でもかまはず、御ミサ中にオルガンを奏して、日本語の聖歌を盛んに歌つて居りますが、一體御ミサ中に何時でも、日本語の聖歌を歌つて(悲しみ、つ々しみ、の季節でも)よいものでせうか?受持神父或は、教區々々の自由の権利でせうか?これは各教區一致しなくてもよいものでせうか?迷つて居りますから、詳細御教示お願ひいたします。(小樽 赭丘生)
[答] 歌ミサ即ち唱歌ミサ或は正式のミサの時には、羅典語の一定の聖歌の限度が、讀誦ミサ(司祭が歌ふ事なくして、ミサの祈りなどを單に讀誦するミサ)の時には、待降節、四旬節中でも、日本語の聖歌を歌つても可い。オルガンも聖歌の伴奏であれば、何時でも禁ぜられてゐません。聖歌の伴奏でなく、只オルガンのみを引くことは悲しみの季節には禁ぜられてあります。又、待降節、四旬節でも、其季節のミサでなく、聖人の祝日のミサであれば、例へば三月十九日聖ヨゼフ聖母の浄配の大祝日は何時も四旬節中であるが、此聖人を紀念するミサを行ふ時は、悲しみの節でないのと同じく喜悦を表すためオルガンを引き或は其他種々の装飾を施しても差支えありません。
このように、日本語聖歌が四旬節中に禁止されていたことはなく、聖歌集の中にも四旬節の聖歌は多く掲載されています2。そしてそれらは、「悔悛の聖歌」、そして聖週間中に主に歌うことにできる「ご苦難の聖歌」の2種類に分類できます。
悔俊の聖歌
「悔悛の聖歌」として古くから歌われてきた聖歌に〈まぼろしの影を〉という聖歌があります。(1918年に出版された『公教會聖歌集』で初めて掲載されて以来、1948年版まで引き継がれてきましたが、1966年版『カトリック聖歌集』には掲載されていません)。この聖歌の原曲〈Gott, vor deinem Angesichte〉は、18世紀のドイツ語聖歌集(『ランツフート聖歌集』1777)にまでさかのぼることができます。
Gott, vor deinem Angesichte 神よ、憐れな回心者の群れが
Liegt die arme Büßerschar; あなたの御顔の前にいます。
Sie bekennt mit Reu’ und Schmerzen. 彼らは痛悔をもって、
Ihre Sünden am Altar. 祭壇で自らの罪を告白します。
Dein Gebot hab’ ich verachtet, 私はあなたの掟を軽んじました。
Diente nur der Lust der Welt; この世の欲望にだけ奉仕しました。
Ach, ich habe Gott verlassen 私は神を見捨てました。
Und den Weg des Heils verfehlt そして、救済への道を逃してしまいました。
1933年版では、「放蕩息子のたとえ」(ルカ15:11-32)を踏まえた日本語歌詞があてはめられていることで、興味深い聖歌となっています(太字強調は引用者による)。
1.まぼろしの影を 追ひしわがたま
淡きゆめさめて いまぞかなしき
主よこひ願はく つみのみゆるし
いざ帰り行かな あいのふるさと
2.みちちは扉に ゆび折りまちて
わが名呼び給ふ うれしきみこゑ
み旨のまにまに こころをささげ
いざや従はなん きよけきみことば
3.悔ゆるわが胸に 十字架をしるし
偲ぶみかむりの いばら染めたる
血潮のいづみに いのち汲ままし
みめぐみの光り 受くるうれしさ
ご苦難の聖歌
続いて「ご苦難」の聖歌を紹介します。もっとも有名といっても過言ではない「いばらのかむり」は、カトリック教会では、1918年の『公教會聖歌集』〈いばらの冠冕〉以来、引き継がれてきたものであり、プロテスタント教会では、由木康作詞の〈血しおしたたる〉の名で親しまれています。
元となっている聖歌は〈O Haupt voll Blut und Wunden〉です。これは、17 世紀のルター派讃美歌作者ゲルハルト(Paul Gerhardt, 1607〜1676)が、クレルヴォーのベルナルドゥス(1090〜1153)によって作詞されたラテン語テクストを1653 年にドイツ語翻訳し、ハスラー(Hans Leo Hassler, 1564〜1612)の世俗歌の旋律を転用したものです。ドイツにおける受難コラールとして極めて有名であり、バッハはこの旋律を編曲し、4 声の和声を付けて《マタイ受難曲》をはじめとして、他の声楽作品にも利用しています。
(バッハ《マタイ受難曲》より)
(「いばらのかむり」)
1. O Haupt voll Blut und Wunden, 血と傷にあふれる御子の頭よ
voll Schmerz, bedeckt mit Sohn, 痛みにあふれている。
o Haupt, zum Spott gebunden, あざけりにあって、
mit einer Dornenkron! イバラの冠をつけさせられている頭よ。
O Haupt, sonst schön gekrönet 最高の栄誉と誉の冠を
mit höchster Ehr' und Zier, 受けているはずの頭よ。
jetzt aber frech verhöhnet, いまや、あざけりを受けておられる方よ。
gegrüßet seist du mir! 私はあなたを敬う。
日本語の歌詞では、このドイツ語の詩の第1節をもとにしながら、イエスの受難の苦しみが描写されています。
注)
1 「典礼暦年に関する一般原則」28項。日本カトリック典礼委員会(編)『典礼暦年に関する一般原則および一般ローマ暦』(カトリック中央協議会 2004年)20頁。
2 この原則は、基本的に今も同じである。「ローマ・ミサ典礼書の総則」313項「四旬節には、オルガンと他の楽器の演奏は、歌を支えるためだけに許される。ただし、四旬節第4主日(レターレ)と祭日と祝日は例外である」。日本カトリック典礼委員会(編)『ミサの式次第』(カトリック中央協議会 2022年)100頁。