石井祥裕(カトリック東京教区信徒)
“私にとってのイエス”、あるいは“さまざまなイエス像やキリスト像”への呼びかけを前にして、一信徒として自分の体験をことばにしてみなくては、という思いに駆られた。ひとりのキリスト者(カトリック信者)として生きてきたなかでその土台をなしているに違いない、と思われてならないこと、一度、しっかりと思い起こし、ことばにしてみようと思う。
あれはなんだったのか、という問いがずっと消えない。心の中に保たれている5歳頃、幼稚園児だった頃の思い出である。
自分の周りには、絵本がさまざまにあった。キンダーブック(フレーベル館)がメインだったが、ほかにも多種あった。動物の絵本の記憶が多いが、なぜか、その中でイエス伝の絵本があった。断片的な記憶でしかないが、二、三の場面が心に刻まれている。正確にいうと、一つは場面、広い景色の中で十字架が何本も立っているという絵(別にイエスの姿がそこにあったわけではない)。他の二つは、場面ではなく、イエスが語ったことばである。一つは、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)、もう一つは、ヨハネ福音書8章の「姦通の女」をめぐる場面、その中の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)ということば。文脈をその絵本がどう伝えていたかは覚えていない(罪の女、姦通の女のことが絵本でどのように扱われていたのだろう?)。たぶんイエスという名前もそこで知ったのだろうが、自覚はない。イエスの顔や姿を描く絵も、そこにはない。あくまで、心に焼きついているのはイエスのことばである。静かな衝撃の感触が今も残る。あの不思議な感覚、“聖なる絶対性”とでも言うしかない、威力と鋭さにハッとさせられている5歳児の魂がそこにあった。
その本に出会った家の部屋の記憶も伴われている。もうどこにもない家のほんの一瞬の記憶が、これほどに強い生命力をもつとは。60年以上前のその一瞬に、たぶん“永遠”が潜り込んだようだ。イエスの画像的イメージはそこには一切ない。そのことばにイエスは宿っている。
所属の教会でもどこでも、「どうして信者になったのですか」と聞かれたときには、この出会いの記憶を物語ることになる。家族は信者ではなかったが、母がミッション高校育ちで聖書の授業を受けたことのある人だったことから、何かキリスト教的な本が幼少の私の周りにあったのかもしれない、と思うが、きっと覚えてはいまい。だれが、あの本を私の前に置いたのか? 何がきっかけで、その絵本のそのページが自分の前に開かれたのか? わからない。
心が内向する10代半ばから20代初めにかけて、イエス・キリストとの“闘い”が始まった。ある共同体の「共同幻想」なのか、実在する人物なのか……イエス・キリストに対する現代の“闘い”の一端に身を置くことになり、今から思えば親世代にあたる先輩たちの“闘い”の書にも触れた。たとえば、荒井献『イエスとその時代』(岩波新書 1974年)、八木誠一『キリストとイエス――聖書をどう読むか』(講談社現代新書 1969年)、同『キリスト教は信じうるか――本質の探究』(同1970年)、遠藤周作『イエスの生涯』(新潮社 1973年)――やがて“大祭司としてのイエス・キリスト”を知ったときに、自分の中に「イエスはキリストである」という告白が貫徹され、洗礼を受けて教会の信仰宣言に与する者となった。やがて典礼神学にたどり着き、以来ずっと“大祭司キリスト”の周りを巡り続けている。
「キリストによって、キリストとともに、キリストのうち」にある人類、地球、その歴史と未来を探る今の旅の始まりには、5歳のときの記憶がいつもある。あのとき魂に宿った“聖なる絶対性”の感覚に今もこれからも駆り立てられていくのだろう。