生き方を導く光


石原良明(AMOR編集部)

これが40歳か

個人的なことになりますが、昨夏40歳になって、体調の変化、または体質の変化のような不調に陥り、ボーっと生きている時間が長くなりました。オンラインによる授業や会議が日常に溶け込んで2年目も半ばのこと。あまり気にはしていませんが、手元の文字にピントが合いづらくなり始めました。眼精疲労を強く感じ、何も手につきません。こうしたタイミングにオンライン時代が重なってしまったわけです。長年の不摂生の報いとはいえ、これが、40歳になることかと、身をもって思い知りました。

健康診断を受けたところ、幸いにして特にこれと言って異変はありませんでした。しかし、これまでおいしいと思っていたシングルモルトウィスキーも、味覚が変わったようで、さっぱり魅力を感じられなくなりました。そんな状態が、世間ではエフフォーリアが有馬記念を制した頃まで、そしてその後も続きました。

2021年は、大学での一年生向けの授業の傍ら、論文の翻訳、新しい研究会での年2回の口頭発表などをしながら忙しく過ごしていました。情けないことに、過去にそんなに忙しく研究発表をした経験はありませんでした。伝統ある聖書研究会でほぼ10年ぶりに研究発表を行い、近年になく研究者らしく過ごしていました。3年目を迎えたある連載も危うくこなし、小さな学内展示も準備・開催するなど、いつにない経験をたくさんさせてもらっていました。

 

書きたいこともやりたいこともない。

体調については、大きな変化、といえば大きな変化でしたが、日常に支障はありませんでした。しかし徐々に体力が削がれていたようです。これに歯痛が追い打ちをかけ、心身のバランスがくずれがちになりました。お食事は良く噛んで、落ち着いて頂きたいものです。

ちょうどその頃、このAMORも5年目を迎えるにあたり、編集会議でも様々な課題が意識されるようになりました。これからは、これまでの5年間を繰り返すことはできないのです。

詳細な内部事情は控えますが、私の意見が編集メンバーの間に亀裂を生じさせてしまいました。ドンパチと続く意見の応酬。これにより粛清されてしまったのであった、とはならず、強く優しい人生の諸先輩方はむしろ私の主張を深く理解してくださり、打開策を見出す一方、私を謹慎処分とはしませんでした。ありがたいことではありましたが、休む機会も泡と消えました。

それからヒーヒー言いつつ1月が終わり、2月には研究発表をごまかしごまかし行いましたが、無理に提出した論文がうまく行かず、暗礁に乗り上げました。這う這うの体でどうにか辿り着いた春休み。息切れの中モチベーションも見失い、昼夜逆転が加速しました。一日の始まりにテレビをつけると、ゴゴスマがNスタに切り替わります。そもそも、自分が言いたいことも特になく、書きたい内容も本当は特になく、むなしい気分で時間だけが過ぎました。無気力。これまでの自分の積み重ねは何だったのか。否、個々バラバラに摂取してきた種々の情報が頭にあるだけで、別にこれといって、新たな理論に到達したわけでもありません。よくもまぁみんな、こんなにも言いたいことがあるものだと、学術雑誌を開いては閉じました。自分は、どこかで道を間違えたのでしょうか。

ちょうどそんなある日、ある学生から連絡が来ました。彼はオンライン授業初年度(2020年度)に入学し、私の授業を受けていた学生で、朝の授業後そのまま昼くらいまで雑談するような、教員側から見れば変わった学生でした。2021年度は対面授業も再開されましたので、よく昼食に付き合ってもらったものです。そうして話しているうちに、やがて話は人文研究から生き方や人生にも広がっていきました。何でも自己流で進めるこういう学生には、何かしら王道というものを知ってもらいたい。すると、彼は私の何気ないススメを実践し、本当に信仰入門講座に通い始め、4月17日の復活祭に洗礼を受けることになったと、連絡でこう言うのです。そして、「ついては、代父を引き受けてほしい」と。

あ、はぁ。私にとっては3回目の代父体験になります。教員としては、教え始めて5年目にして初めてのことです。でもまぁ、こいつは自分で何でも学ぶし、おれでも代父くらい務まるだろう、と軽い気持ちで引き受けました。また、疲れ果てて生き方や信仰を語ることに飽きていた私だけでは不安でしたので、最近知り合ったカトリック信徒の学生にも、一緒に祈ってくれるようにお願いしました。四旬節第一主日の洗礼志願式でミサにあずかり、やっぱり教会とは良いものだと、思ったものです。

 

人生の選択の時がきた?

その頃、思わぬところから、上智大学の講師職を去ってでもうちの勤務員になってほしいという、大変ありがたいお声がけを頂きました。カトリック教会とはまったく関係のない、全国的な組織です。教会と似ている点といえば、世代的継承の必要性を抱えていることです。確かに、私のささやかな経験でも彼らに貢献できることはたくさんあるようにも思えますし、彼らのような強く優しく勉強好きな人々の役に立つならと、一考の余地はあるように思えました。社会の役にも立てることでしょう。

特にやりたいこともなく、研究もやってるようなやってないような。時間だけが経った40歳。才能なんてなんにもない。授業が好評なのは理解できていませんが、それは一重に旧約聖書に魅力があるからであって、自分の力ではないのです。とにかく、そんな自分でも大歓迎だと。この年齢で職業選択に悩むことが出来ることすらありがたいことです。しかしどうしよう。信徒ながら、こうして歩んできたこの生き方は、新しい選択をしてしまえば、なかったも同然です。あまりに新し過ぎるのです。困った。どうしよう。

そんな、今年の3月は瞬く間に過ぎていきました。この特集が決まっていった編集会議の経緯も覚えていません。その頃、国際情勢は目まぐるしく動き、阪神は連敗を重ねていました。

そしてズルズルと始まる新年度。なんとなく務まってしまうから不思議です。新たに受け持つ授業もありますが、伝えたいことを話していると100分なんて時間はすぐ過ぎるものです。研究については師匠の先生にも相談しましたが、半分ほども理解できず、まぁまたいずれ飲みに行こうと話すばかりでした。

今なら分かりますが、聖書解釈のためには、まず何が分からないのかを特定するのが大切なのです。なぜ、一読しただけでは意味が判然としないのか。何が曖昧なのか、何の情報が足りていないのか。それを特定して初めて解釈が始まります。そしてそれはなぜか。語り手の意図は何か。などなど。

しかしその時には、これを続けて何になるものか。何もかもがバカバカしい。せめて給料が上がったらなあ。そんな思いでいっぱいでした。

 

感じた大きな存在と、自分の生き方

そうして迎えた4月17日、復活祭。洗礼式の当日です。受洗者本人と合流し、ぼんやりと代父のマニュアルを確認します。

そうして、その時がやってきました。私にとっても恩師のお一人、偉大な神学者が、彼が通う入門講座の担当者でした。講座ごとに洗礼の行列ができます。そして、順番が巡ってきました。その神父様が、彼の名前を呼び、洗礼を授けて、洗礼名を与えます。とてもとても優しい響きの声でした。こちらは、受洗者の肩に手をかけ、それを見守ります。

思いもよらず、心の底から不思議と喜びが湧いて出てきた気がしました。自分の席に戻り、「良い、素晴らしい」とつぶやいた気がします。受洗者本人は、意外とあっさり終わったと思っているのか、キョトンとしていました。いいんだ、こういうのはジワジワと実感がわくもんだ。私の方は、なお続く受洗者と代父母の行列を見つめつつ、視界が明るくなっていくのを感じていました。感じたのは、理屈ではない大きなものです。それは、いかなる意味でも科学ではないし、経験に収まるものでもありません。視界が、明るいのです。

これだ、これなんだ。自分の、生まれてきた理由、使命。そして召命。間違いない。ここにこそ、自分の生きている意味がある。確信が生まれました。つまり、人々を真理に導き、洗礼へと招くこと。そこで一人ひとりに関わること。ともに同じ先を見つめること。これが自分に与えられた何ものかに違いないのだと。そう思うと、バラバラに思えてしまっていた自分の頭の中の様々な事柄が、一筋の糸にまとまっていきます。これまでの自分の学びも研究も、このためにあるのではないかと。そして、これに関わっていかないならば、自分には生きている意味がないのだと。光はなお強く輝いているのです。

「良い、素晴らしい」。当の新受洗者本人は「あ、はぁ」と言いました。まぁいいんだ。こういうのはジワジワ分かる。そう思いつつ、洗礼の契約の更新を震えながら唱えました。

考えてみれば、これまでも事あるごとに、神さまは美しいものを見せてくれたことを思い出しました。その都度、思ったものです。ここに自分の道があると。荒れ野というほどでなくとも、こうした狭き門、細い道筋を生きていけるなら、それは自分の実力ではなく、一重に神さまのおかげなのです。以前にもあきらめかけたことは何度もありましたが、その都度、神さまが導いてくださるのです。そう強く感じたものです。つまり、自分が執着しているのではなく、聖書が自分を放してくれないのだと。自分は、それに応えるのみです。たとえ、この先も上智に残れるとは限らなくとも。

しかしここで、私はなお、自分の生き方について改めて考えさせられました。仮に、本当に、周りの人々を洗礼に導くようなことに自分の召命があるならば、信徒のままでいてしまった自分の生き方は間違っているのではないか。司祭への可能性をなぜ自分は若い頃にしっかり考えなかったのか。生きづらさを感じるのは、自分の歩みが間違っていたからではなかろうか。

 

でもまぁ、こういうことなのかなぁ

そんな考えに至りつつあったところ、またある学生から連絡が来ました。それは、この洗礼に恵みがあるよう一緒にお祈ってもらえるようお願いした、例のカトリック信徒の学生からでした。大変真面目な学生です。いわく、「生き方の問題」とのこと。都合をすり合わせ、翌日には居酒屋四ツ屋にいました。飲みながら話を伺い、驚くべき追求力と自分と向き合う心の強さに脱帽しました。まだ私の半分ほどしか生きていないわけですから、いろいろ経験してもらいたいものです。神は美しいものを必ず見せてくれるのですから。

それにしても、こうした付き合い方が出来るのも、ただのカトリック信徒で融通が利きやすい立場だからにちがいありません。また、「敷居が低い」のでしょう。過去に私の授業を受講してくれた学生からも日々連絡をいただきます。夕方からたまたま話しているうちに、自然と食事に行くということもめずらしくありません。ありがたいことです。学生なしには先生は先生ではいられないのですから。

彼らの成長をただただ願い、これからも聖書を研究する。そして、同じ先をともに同じ先を見つめてくれる学生が現れれば、洗礼に導く。それが、自分の生き方のようです。

 


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