ある一人の青年の苦悩の記録


K.K.(大学生)

「しってるよ」。「わかってるよ」。この二つの単語は、日常のなかで同じように用いられている。しかし、これまで知識として「知って」いたものが、ある体験を通して突如として、べつの、全く異なった意味と響きをもって「解った」と感じられることを考えれば、この二つの意味の差は大きなものであると理解されるだろう。ある人は過去の出来事の意味が、ある人にとっては過去の出会いが、ある人にとっては一つの聖句が。

これは、ある青年の苦悩の記録として書かれたものである。

この青年は受験、心身の病苦、コロナ禍――、様々な選択を迫られる場面において決して判断を人任せにせず、常に自ら考え抜き最善と考えられる決断を下してきた。……はずであった。

しかし、あることをきっかけに、突如として、これまでの自身の決断は正しかったのか、今の自分が本当にいるべき正しい場所にいるのか、これから向かっていく道は本当に正しいのか、わからなくなったのである。

その青年は過去の自分を呪い、必死に正しい答えを求め問うた。そして、その過程においてこれまで「知って」いたものが「解った」という体験を、経験したのだった。それは二つの読書体験によってであった。

一冊目は、『夜と霧』で知られるフランクルの講演録『それでも人生にイエスと言う』である。

「人生の意味におけるコペルニクス的転回」。この言葉の意味とフランクルの実存思想は高校生の時に読んだ『夜と霧』を通して理解して知っていたものだった。しかし暗中模索の中で、再びフランクルの言葉に出会うことによって、この青年ははじめてその真意の片鱗を「解った」と感じられるようになった。少々長いが、そのまま引用する。

その(コペルニクス的)転換を遂行してからはもう、「私は人生にまだなにを期待できるか」問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。(カッコ内引用者)

二冊目は、遠藤周作の小説『深い河』である。この青年はフランクルの講演録とほぼ同時にこの小説を読み、ある一文に出会った。様々な人物の群像劇の中で、大学生である大津という人物が同窓生の美津子に棄信を迫られる場面の一言である。短いのでそのまま引用する。

「ぼくが神を棄てようとしても……神はぼくを棄てないのです」

この、全く異なるように見える二つの文章が、当時苦悩の中にあったその青年には似たような響きをもって、心に共鳴したのであった。この二つに共通するのは、物事の「軸」といえるものが「自分」といえる存在からずらされる、という構造である。フランクルでは人生の意味を問う主体が「私」から「運命」へ。遠藤周作では信仰が「私」から「神」へ。

その時、その青年は「自分は……」「自分が……」という軸から重心がずらされたことで、解放される思いがした。まさに、フランクルの言う「コペルニクス的転回」である。

自分自身が下した過去の決断や、向かっていく未来に対して自分自身を信じられなくなった時でさえも、「その人」が自分を信頼してくれている。その青年にはそのように感じられ、苦しみがやわらいだように感じられた。

当時、その青年の悩みを真摯に聞いてくれたある先生は、「君はこの先も悩み続けるだろうね」と言った。事実、悩みや苦悩そのものが消え失せたわけではなかった。

しかし、これからは運命の問いに誠実に答えるだけであり、たとえ苦しみは続けども、「その人」は、この青年の真摯な答えを信じてくれるであろう。

最後に、神谷美恵子が『生きがいについて』の中で引用したアシジの聖フランシスコの言葉をもって、この不器用な青年の独白を締めくくりたい。

「苦しみと悲しみの十字架こそわれわれの誇りうるものである。なぜならば「これこそわれらのもの」であるから。」

 


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