シャンタル・アケルマン映画祭より『わたし、あなた、彼、彼女』


皆様はベルギーと聞いて何を連想されますか? ワッフルやチョコといった甘味でしょうか、それともビールやムール貝といった独自の酒文化でしょうか。食文化の他にもベルギーは豊かな芸術文化の歴史があります。歴史的にはフランドルと呼ばれる地域に位置するベルギーは、美術の世界ではルーベンスやブリューゲル、ファン・ダイクといった日本でも親しまれる画家を輩出しており、音楽ではオケゲムらフランドル楽派を生み出しました。広島にあるエリザベト音楽大学もベルギー王妃エリザベトの名を冠しており、その芸術的伝統は日本でも感じることができます。国土は小さいながらも芸術大国であるベルギーは、映画の分野でも優れた作品を生み出してきました。例えば、『ロゼッタ』(Rosetta/1999)や『息子のまなざし』(Le Fils/2002)など緻密な性格描写で社会問題を描くダルデンヌ兄弟は、こんにちを代表するベルギー人映画監督と言えるでしょう。

 

さて、そんなベルギーの映画を語る上で欠かせないのが、4月29日から開催される映画祭で特集されるシャンタル・アケルマン(1950-2015)です。18歳の若さで映画を製作したアケルマンは、男性が多い映画監督の世界で珍しい女性であっただけでなくユダヤ人でバイセクシャルであったため、ジェンダー、エスニシティ、セクシャリティのマイノリティでした。ナチスに祖父母を殺されたアケルマンは、1950年に生まれ、1968年から映画製作を始めています。つまり、ゴダール(1930〜)やトリュフォー(1932〜1984)といった戦前生まれの人々が中心となったヌーヴェル・ヴァーグの次の世代にあたります。いわゆる戦後世代にあたるアケルマンの作品は、戦争を経験したヌーヴェル・ヴァーグの監督たちとは必然的に異なる作風となっています。思想的にはサルトル(1905-1980)などの実存主義的思潮と呼応したヌーヴェル・ヴァーグの次世代ということもあり、デリダ(1930〜2004)やドゥルーズ(1925-1995)といった脱構築哲学の影響を受けているといえるでしょう。そんなアケルマンの作品の中でも今回は『私、あなた、彼、彼女』(Je Tu Il Elle/1974)を紹介します。

アケルマンが監督と主演を務めた『私、あなた、彼、彼女』は閉塞感のある小さな部屋から始まります。上映時間の実に3分の1が過ごされる部屋での生活は、常識から考えると無気力的かつ自堕落に見えるような形で展開されます。社会問題を正面から捉える表現方法でも、イデオロギーを声高に叫ぶスタイルでもない、一見無気力なアケルマンの映像美と演技は脱構築の哲学を見事に体現しています。すなわち、「AかBか」という単純な二項対立や理論的正当化ではなく、従来の理性偏重的哲学が見落としてきた「差延」(différance)へのまなざし、言い換えるならばマイノリティの声を伝えているのです。

 

人種や性的マイノリティへのまなざしは、ここ数年になってようやく様々なメディアが広く伝えだし、一般の人々の問題意識にのぼるようになりました。半世紀以上前の作品である『私、あなた、彼、彼女』は、こんにちの人々の関心と合致する先進的作品です。この作品に代表される20世紀にベルギーが輩出した女流監督アケルマンの映画をご覧になって、マイノリティに関する様々な問題に触れ合ってみてはいかがでしょうか。

石川雄一(教会史家)

4月29日(金)から5月12日(木) ヒューマントラストシネマ渋谷 ほか全国順次公開

公式ホームページ:https://chantalakerman2022.jp/

 

『私、あなた、彼、彼女』

監督/脚本:シャンタル・アケルマン/撮影:ベネディクト・デルサル

キャスト:シャンタル・アケルマン、クレール・ワティオン,ニコル・アレストリュブ

1974年/ベルギー・フランス/モノクロ/86分/原題:Je, tu, il, elle/配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム


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