「復活祭」という祭り


石井祥裕(AMOR編集部)

復活祭という祭りの名前や祝い方を調べてみると、実に独特な興味深い点がたくさん見つかります。参考書、事典情報からセレクトして、いくつか紹介してみます。

 

「パスカ」が本来の名

「復活祭」というのは、日本語の名前で、この祭りがキリストの復活を記念するものであるということをもっともよく表しています。
ところが、教会の歴史をたどると、元来の名前は、ギリシア語でもラテン語でも「パスカ」(pascha)といいます。そしてヨーロッパ諸国語の名称も、ラテン語を受けるかたちで、スペイン語、ポルトガル語では「パスカ」、イタリア語では「パスクア」、フランス語では「パック」、それだけでなく、オランダ語は「パーセン」、デンマーク語は「パスケ」、ノルウェー語は「パスキット」と北欧圏の言語までそうなっています。

この「パスカ」は、元来、ユダヤ教(旧約聖書~現代ユダヤ教)のもっとも重要な祭り「過越祭(すぎこしさい)」を表す語です。ヘブライ語では「ペサハ」と呼ばれる過越祭が、いわばキリスト教のもっとも重要な祭りの母体です。復活祭とはキリスト教の「過越祭」といえます。

どうして、このような言葉遣いになっているかというと、ユダヤ教の「過越祭」のころにイエスが十字架上で死に、葬られ、復活したということが、福音書によって証言され、教会の伝承となっているからです。ユダヤ教の過越祭で記念されているのは、神の民イスラエルが体験した解放の出来事、すなわち主である神に導かれて、隷属させられていたエジプトから脱出し、神から契約と律法を授けられて「神の民」として形づくられたことです。

キリスト教の「過越祭」としての復活祭は、イエス・キリストの死と復活によって、全人類が罪への隷属から解放され、イエスを通して結ばれた新しい契約(=新約)によって、神の民とされていくということが記念されるのです。この意味で、パスカ(過越)という言葉は、闇から光へ、死からいのちへ、罪への隷属から神の子の自由への移り行きを意味するものとして理解されるようになります。

日本語の「復活祭」という名称は、はっきりとキリストの死と復活を記念し祝うのだということを示しているという意味でとても明快であるとするなら、「過越祭」という元来の名称は、その歴史的な奥行きを示しているといえるでしょう。

 

イースター/オースタンという呼び名

ところで、英語のイースターは、ドイツ語のオースタンと並んで、ヨーロッパ諸国語の中では異色の名前です。一般には、古代ゲルマンの春の女神の名がもとになっているという説が歴史的には知られていますが、近年の研究では結局は不詳のようです。ただ、ヨーロッパ諸国にとって、復活祭はまぎれもなく春の祭りで、名前だけではなく、復活祭をめぐる習俗には、さまざまな春祭りの要素が入り込んでいるのは興味深いことです。

 

キリストの復活とは?

クリスマスがイエス・キリストの誕生祭であるという点が一般の人にも受け入れやすいのは、さまざまな人の誕生を祝うという普遍的な興味にもかなっているからかと思います。それに対して、「キリストの復活」というのは、信仰の神秘ともいえることなので、まずそのことがそもそも、信者でない人にはわかりにくいのかもしれません。キリストが復活したというのが、使徒たちの宣教の最初のメッセージであり、そこからキリスト教は始まっていきますが、その経緯をここでお話しするにはとても大きなテーマとなってしまいます。ただ、少なくとも、それを告げるようになった言葉がヒントにはなるでしょう。

日本語で復活というと、再生や蘇生とそう変わらない意味に感じてしまうかもしれません。しかし、死んだ人間が再び息を吹き返したとか、この地上の命に戻ってきた、ということではありません。そうだとしたら、また死ぬことになるというのが地上の命の定めだからです。

ヒントを求めて、聖書でキリストの復活を表すギリシア語を調べると、それは、「起き上がる」「目覚める」という意味をもつ言葉で告げられています。ラテン語も「再び立ち上がる/起き上がる」を意味する言葉で復活を表し、それをヨーロッパ諸言語も受け継いでいます。日本語でいえば「再起」といえるでしょう。このような言い方の背景には、死を「永眠」と考える古今東西共通の観念が背景にあります。死は眠りに就くこと、眠りの中で横たわっているというイメージが働いています。そこから「再び起きる」ことというイメージで復活が考えられ、告げられています。ただ、この「再び」も、地上で生きていたときの同じ命に再び戻るということではない、というのが復活です。

では、キリスト教でいう「復活」とは何か。これについて「復活」とはこうです、と答えることは難しいともいえます。少なくとも死はほんとうに死なのですが、命はその死では終わらないという信仰、そして希望が「復活」の意味するところといってよいでしょうか。死を回避することではなく、まったく完全に死を受け入れて、死を通り抜けたその先にさらに未来がある、新しい命がやってくる、という信仰であり、希望といえるでしょうか。復活祭が旧約からユダヤ教へと受け継がれている「過越祭」を背景にしている、というその根本には、このような「死」と「復活」についての根本的な信仰、そして希望があるのです。

 

復活祭の日取り

クリスマスが12月25日と日が決まっているのに対して、月日が固定していないというのが、復活祭の特徴です。でも、日本人にもよく知られている「母の日」が5月第2日曜日であるように、月と曜日で決められている日もあるでしょう。広い意味では、復活祭もそのような祭日ですが、復活祭の場合は、もっと複雑です。「春分の日のあとの満月の日の次の日曜日」というのがその決まりなのです。なぜ、このような決まり方になったかについては、今回の特集の別稿「イースターはいつ祝われる? ――その日程をめぐる歴史について」、また過去の〈特集7 復活〉で扱った「復活祭:太陽と月が抱き合う、主の過越の祝い」をご覧ください。

その決まりの前半「春分の日のあとの満月の日」というのは、旧約=ユダヤ教の過越祭の日の原則でした。しかし、キリスト教は、結局、「そのあとの日曜日」に祝うようになっているところがミソです。

「日曜日」のことを教会では「主日」(ドミニカ)といいますが、これは、キリストが復活した曜日でもあります。4つの福音書がすべて、イエスの墓が空になっていてその復活が告げられる日が「週の初めの日」とされています(マタイ28:1;マルコ16:1;ルカ24:1;ヨハネ20:1参照)。つまり、週のサイクルの中で、キリスト者にとって「日曜日」はいわば毎週の復活祭です。この主日こそ、キリスト教の暦にとっては根源的な祝祭日です。そこで、キリストの復活を一年に一度、もっとも盛大に祝おうと、(いろいろな議論や経緯があったのち)最終的に「主の復活の曜日」、つまり「日曜日」に祝うようになっています。

さて、現在の太陽暦の中で、春分の日は、3月20日か21日ですが、そのあとに来る満月の日というのは、月齢のサイクルによって毎年変わります。したがって、そのあとの日曜日(主日)が何月何日になるのかということも、毎年変わってきます。春分の日のあとの最も早い復活祭日の可能性は3月22日、もっとも遅い可能性は4月25日ということになります。毎年、復活祭の日付は、この原則により、春分の日、そのころの月齢、そしてその年の暦日と曜日の関係など、さまざまな要素を複合させて算定されます。また、これによって復活祭と関係して日程の定まるすべての祝祭日の日取りがこれだけの幅で移動があるというのが復活祭の特色です。もちろん、これは前もって算定されているので、大抵は典礼書に一覧表が掲載されています。

Missale Romanum 2002の移動祝日表

 

4日がかりで祝われる「聖なる過越の三日間」

教会の掲示板や教会暦の本を見ると、復活祭当日(つまり復活の主日)の前から聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日という言い方の日もありますが、あれは何でしょうか?

元来の名前がパスカだと説明したときに暗示されていたのですが、キリストの死と復活を記念する祝祭日は、長いこと復活の主日だったといわれています。つまりその前の土曜日の日没から日曜日の日没まで(昔は日没で一日が終わり、それ以降は翌日に属する時間帯になるという観念でした)ということなります。

4世紀の後半ぐらいから、福音書の述べるようなイエスの受難の経過に沿って、最後の晩餐を記念する典礼を木曜日の夕方に、そして、イエスが十字架上で死んだといわれる金曜日にはその記念をするというふうに、イエスの受難の道を克明に記念して祈る典礼が発展して、それから聖木曜日から復活の主日までの一続きの典礼が生まれました。これを現代のカトリック教会の典礼では「聖なる過越の三日間」と呼び、一年の典礼暦の頂点と位置づけられています。

「そうはいっても、じっさいには4日間ではないですか?」と、たちまち質問されそうです。普通の週日の数え方だと、確かに聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日、復活の主日(日曜日)とあしかけ4日の行事になるのですが、典礼的には、3日間といういい方がなされます。古代ではやはり日没から次の日が始まるという感覚があったということが大きな理由です。

つまり聖木曜日の日没後には最後の晩餐を記念する「主の晩さんの夕べのミサ」が行われますが、次の金曜日の15時が、十字架上でイエスが引き取ったといわれる時刻で、この日までが「受難の日」という1日目になります。イエスの復活については「主は3日目に復活し」と信仰宣言で唱えられるように、受難の日を1日目とし、次の1日をおいて、3日目が復活の日ということになります。

この復活の出来事は、聖土曜日の日没後(つまり日曜日に属する時間帯)に「聖なる復活の徹夜祭(復活徹夜祭)」として祝われます。これは、聖土曜日の典礼ではなく、復活の主日の典礼です。そして、日が上がってから日中のミサでもってさらに祝われます。その意味で、一般の曜日感覚では4日かかりますが、典礼的には3日間です。1日目は「受難の日」、2日目は「イエスが埋葬されていた日」、そして、3日目は「復活の日」という流れです。

聖なる過越の三日間

 

聖木曜日、聖金曜日のさまざまな呼び名

復活祭(復活の主日)に先立つ聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日の呼び名も各国語で違います。ここでは英語、ドイツ語、フランス語の例だけにしますが、日本語とぴったり一致するのはフランス語の呼び名です(jeudi saint, vendredi saint, samdi saint)。

英語では、聖木曜日のことをHoly Thursdayとも言いますが、伝統的なMaundy Thursday (モーンディー・サーズデー)という名称が興味深いです。Maundy の語源はラテン語のマンダートゥム(mandatum)で、これは「掟」を意味する言葉です。さらにそれは洗足(式)を意味する言葉でもあります。ヨハネ福音書13章、14章でイエスが「新しい掟」として弟子たちに授けた「愛の掟」を、イエスは弟子たちの足を洗うという行為で模範を示しています(ヨハネ13:1~20参照)。このことから、聖木曜日の主の晩さんの夕べのミサには洗足式が含まれるようになり、そこから、Maundy Thursdayと呼ばれるようになったと考えられます。

ドイツ語では聖木曜日の呼び名として、ホーアー・ドンナースターク(Hoher Donnerstag)=「(一年の)頂点の木曜日」という言い方もあれば、グリュンドンナースターク(Gründonnerstag)という言い方もあります。この「グリュン」というのは「緑」ではなくて、「嘆き」を意味しています。それは、自分の罪を悔い改めて嘆くという意味です。これは、四旬節という罪の悔い改め(回心)の季節の最終日が聖木曜日であるということから来ていると思います。つまり、この日には罪の償いを果たした信者に対する和解式(罪の赦免式)が行われていたという古代教会の慣習が踏まえられているのです。罪の嘆きが終わる、という意味なのでしょう。フランス語でも「赦免の木曜日」(jeudi absolu)と呼ぶ慣習が一部にあったことも、このような伝統の名残でした。

ドイツ語の場合、聖金曜日、聖土曜日を「カルフライターク」(Karfreitag)、「カルザムスターク」(Karsamstag)と呼びます。このカル(kar)には、「死者を弔う」という意味があるそうです。主の死の嘆きの中で弔う、埋葬し墓の世話をするといった聖金曜日、聖土曜日の記念の内容によく触れているものといえます。

面白いのは、英語での聖金曜日の伝統的な呼び名「グッド・フライデー」(Good Friday)です。よい(good)の古語的意味として「敬虔な pious, 聖なる holy」があるというところから来ているようです。たしかにミサの祈りの中では、キリストの受難を「ベアタ・パッシオ」(baeta passio=聖なる受難)といってたたえる伝統がありますので、ここのgoodの意味も推し量れます。もっとも、「神の金曜日」(God Friday)に由来するという俗説もあるようですが。

これらのさまざまな呼び名の中でも、聖なる過越の三日間、すなわちイエスの受難の死から復活への道のもつさまざまな意味合いが含まれ、また、示されていることがわかります。

 

【参考文献】
『暦とキリスト教』(オリエンス宗教研究所 増補改訂版 2015年)
『教会暦 祝祭日の歴史と神学』K. -H. ビーリッツ著、松山與志雄訳(教文館 2003年)
『新カトリック大事典』項目「過越の三日間」「復活祭」
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