10円玉の調書


わたしが子どものころ。

高度成長期の真っただ中。

子どもたちも元気に外で遊んでいた時代。

思えば近所にキャベツ畑があったせいかモンシロチョウが飛び交い、アオスジアゲハを追いかけ、蝉を取りに木に登って、近所のおばさんに怒られていた時代。

今では考えられないが、醬油がきれると「となりのおばさんとこにもらいに行って~」と母から声がかかるのが当たり前。

子どもたちも地域で見守られて育っていました。そんな時代にわたしの家のすぐそばに派出所がありました。

お巡りさんが交代で勤務。

毎朝小学校に行くときに前を通ると「おはよー」「行っといで~」と声をかけてくれたお巡りさん。

何人か交代での勤務でしたが、皆顔見知りになりました。

2B弾って知っていますでしょうか。

子どもの使う小さな爆竹です。

地域のガキ大将だったわたしは、皆と一緒に車が通るタイミングで道路の真ん中で爆発させていました。当然お巡りさんにこっぴどく叱られました。

春。近所の公園の桜が咲くと、花見に沢山の人が訪れます。みんな日本酒を飲んで当たりはお酒の甘ったるい匂いでいっぱい。皆酔っぱらって帰るころ、公園は酒瓶でいっぱい。その一升瓶のコルクの蓋を集めるのが子どもたちの遊びでした。

蓋を探して、公園をうろうろしていると自転車にのったお巡りさんが「暗くなったから帰りなさ~い」と声をかけてくれました。

当時牛乳瓶は円で返却できました。

近所の牛乳瓶を子分たちに集めさせて、パン屋さんにもっていって小遣いをせしめ、駄菓子屋で皆に儲けを配ってお菓子を買いました。

これも両親とお巡りさんにどやしつけられました。

前日、小学校でけがをして翌朝の登校時に足を引きずって、派出所の前を通ったことがあります。

お巡りさんが「どうしたんだい。遅刻しちゃうよ。」と声をかけてくれました。

そしてなんと自転車の後ろに乗せて小学校まで連れて行ってくれました。通学途中の友達が「いいなぁ」と声をかけてくるのを尻目に、鼻高々に自転車に乗っていったのを覚えています。

お巡りさんが自転車の二人乗りですよ。当然ヘルメットなんてものは使っていませんでした。今なら考えられません。

ある時、「お巡りさん。お金拾ったよ~。」と私たちガキ連が派出所へ。

「えっどうしたんだい。お金拾ったの。どこで。」と話を聞きながらお巡りさんが調書を取ってくれました。

「半年たって落とし主さんが現れなかったら、このお金は君たちにあげるよ」と確か言われたような気がしますが、取りに行った記憶もありません。

今思えば、たった10円の調書をとってくれたお巡りさん。

大人になった今のわたしから思えば、きっと面倒だったろうなと思います。

当時お巡りさんとそんな関係でした。

派出所の看板が交番に代わりました。

わたしも大きくなりました。

いつしか交番との関りも薄くなりました。

(あき、横浜教区)


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