第2章 神の恵みに反する、根深い劣等感 Dis-Grace


本連載は、イエズス会のグレゴリー・ボイル(Gregory Boyle)神父(1954年生まれ)が、1988年にロサンゼルスにて創設し、現在も活動中のストリートギャング出身の若者向け更生・リハビリ支援団体「ホームボーイ産業」(Homeboy Industries)(ホームページ:https://homeboyindustries.org/)での体験談を記した本の一部翻訳です。「背負う過去や傷に関係なく、人はありのままで愛されている」というメッセージがインスピレーションの源となれば幸いです。

 

ギャング出身*の親しい仲間たちにささげる(*訳注:「ギャング」とは、低所得者向け公営住宅地等を拠点に、市街地の路上等で活動する集団であるストリートギャングを指します。黒人や移民のラテン・アメリカ系が主な構成員です。)

 

グレゴリー・ボイルGregory Boyle(イエズス会神父)

訳者 anita

 ルラは、私たちのオフィスで育ちました。今は20代前半で、息子が一人います。彼が最初にオフィスに居候するようになったのは10歳の時です。私が彼に初めて会ったのは、アリソ・ビレッジで毎年行われていたイースター・エッグハント(探し)の中でした。これはホワイトハウスで開催されているような立派なものではなく、小教区の婦人たちが直前にやりくりして準備した催しですが、それでも子どもたちは喜んで参加しているようでした。ルラはやせっぽちで、第三世界からそのまま飛び込んできたように栄養失調で、みすぼらしい格好をしていました。彼はぽつんと一人で立ち、他の子たちは、彼から卵をくすねるため以外には彼を仲間に入れたり気にかけたりしようとしていませんでした。

 「ボク、ルイスっていうんだ。でもみんなからは『ルラ』って呼ばれてるよ」

 その1週間後、私が運転中に交差点に差しかかった時、ぎこちなく自意識過剰な様子で横断歩道を一人で渡ろうとしている彼を見かけ、このことを思い出しました。車の窓を開け、彼の注意を引きました。

 「やあ、ルラ」

 はたから見ると、私が彼を感電させたように見えたでしょう。自分の名前が知られ、呼ばれ、自分の名前が声に出されるのを聞く喜びが、彼の全身からあふれ出ていました。ルラは、横断歩道を渡り切るまでずっと、私の方を何度も振り返りながらニコニコしていました。

 ルラの学校の成績は良くありませんでした。骨の髄まで「特別支援学級」の子で、のろまで有名でした。3回繰り返してようやくこちらの言うことを理解できることがままありました。スタッフのルぺ・モスケダが、動く針を付けた紙皿を使って説明してあげるまで、時計の見方も分かりませんでした。時間という概念を理解できたのは、彼がおそらく15歳の時です。

 ホームボーイのスタッフ一同は、自分の誕生日を覚えておくようにと彼に教えました。14歳になるまでつゆ知らずだったのです。ある日、何かの記念で学校からもらった赤いリボンを付けてオフィスに入ってきました。

 「なあ、ルラ」と私が話しかけました。「そのリボンは何だい?」

 ルラは、リボンをじっと見つめ、しばらく考えていました。

 「フリー(無料)ドラッグのため」と彼は言いました。

 「あのね、ルラ」と私から助け舟を出しました。「もしかすると…ドラッグフリー(ドラッグ禁止)週間のことかな?」

 「そう、ソレ」

 彼は17歳の時、首都ワシントンDCに遠足に行く青年グループの中に入れてもらいました。誰かが彼の旅費を払ってくれました。現地滞在中、彼はショッピングモールで公衆電話を見つけ、ホームボーイの通話無料ダイヤルにかけてきました。

 「オレ、記念堂から電話してるんだ」と彼は叫びました。

 彼の背後の騒音に負けじと「どの記念堂だい、ルラ?」と私もどなり返しました。

 ルラはとても長い間、黙っていました。おそらく、彼自身、どこか知らなかったのでしょう。

 「1セント硬貨のおじさん!」と彼が叫びました。

 「リンカーン記念堂のことかい?」

 「そう」と彼はうなずきました。「ソレ」

 私がルラと初めて会った直後にルラがオフィスに出入りするようになった頃、彼は一直線に私のオフィスに来ると、ただそこに座っていました。あまり会話上手な子ではありませんでした。

 

 ある日、ルラが途中のデスクやスタッフ全員の前をすっ飛ばして私のオフィスに向かっていると、数名のスタッフが彼を呼びとめました。「ルラ、ちょっと待ちな」「どこ行くんだよ」。彼らは、ルラに、「私たちは無視していいほどどうでもいい存在なのか?」という概念を教え、人にあいさつせずに通り過ぎることは失礼にあたると説明しました。そしてもう一度やり直してごらん、とルラに言いました。ルラは、正面玄関へと戻り、自分からあいさつされたがる人がいる、という考えにウキウキしていました。再登場すると、歌うような陽気な声で、グレゴリアン聖歌とよく似たトーンで「やっほぉぉぉぉ、みぃんなぁぁぁぁぁ!」と言いました。

 その後5年間、ルラは毎回、これとまったく同じあいさつをしました。

 ルラは大家族の中に生まれ、私たちのオフィス以外では構ってもらえていませんでした。スタッフたちからは、よそではもらえない愛情をたっぷり注がれました。

 10歳になったルラはある日、私のオフィスの戸口に立ちました。部屋に入ってこないのは、私たちがちょうど就職あっせん担当者たちと会議中だったからでしょう。彼は入口で1枚の紙切れを掲げながら満面の笑みを浮かべ、トイレにかけ込む必要がありそうな動きに似た踊りをしました。私が座っている位置から、その紙切れが通信簿であることが分かりました。成績がとても悪いルラが、自分の評価を見て有頂天になっているのは、会議を中断する大義名分です。

 「ルラ、こっちにおいで」と私は彼を手招きして呼び入れました。するとルラは、席に着いた大人たちをよけながら、こちらにやってきました。彼は、私に通信簿を渡してからそばに立ち、ひじを私の肩に乗せました。彼の歓喜は隠しようがありません。私は、目の前の紙に目線を移し、教科の欄を見ました。「1、1、1、1、1、1」。見事なまでに、どう見てもオール1。(なんでルラはこんなものを私に見せたいんだ?)と内心思いました。通信簿をすみずみまで眺め、何か、いや何でもいいからルラをほめるものを必死に探します。見つけました。

 欠席日数:ゼロ。

 「ルラ、息子よ、よくやったね。1日も休まなかったんだね(無欠席ならば、さぞかし学んだはずなのにね、と密かに突っ込みました)。1日も休まなかったんだね」

 私とハイタッチをして、彼はオフィスから出ていこうとしました。

 就職あっせん担当者の一人のジョン・トスタドが、ルラを呼びとめました。

 「なあ、ルラ、5ドルを手に入れたくないかい?」

 ルラは、欲しい、と言いました。

 「じゃあ、こうしよう」とジョンは言って、5ドルの新札を自分の財布から取り出しました。「次の問題に正解できたら、この5ドルは君のものだ」

 ルラは、くすくすと笑い出し、闘いの準備をしているのが手に取るように分かります。実際、彼はウォーミングアップをして身ぶるいをしています。ルラにとってこれは、大学アメフト試合の大舞台です。

 「さあいくよ、ルラ。では問題」とジョンは切り出し、その声音はまるでドラムロールの効果音です。

 「僕が…君の…年だった時…僕は…いくつ…だったでしょう?」

 ルラは顔をしかめ、小さなこぶしでおでこを叩き、正解をしぼり出そうとしました。部屋の一同は、かたずをのんで見守ります。やがて、ルラの頭の上に、電球が「ピコーン」とひらめいたのが分かりました。

 「10歳!」とルラは大声で言いました。

 一斉にハイタッチした後、ルラは現金を受け取りました。ドアのところまで行き、ゲットした賞金を両手で掲げました。

 「チョロかったよ」

 フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの次の言葉は正しかったのです。「不幸な人は、この世で欲しいものは何もありません。ただ自分に注意を向けてくれる人が必要なのです」

 これに付け加えるならば、「好かれるために媚びる」気持ちを自分の中からひっぱり出して捨てる必要があります。そうすれば、好意を得るために媚びたりしようとせず、あなたが元々ちゃんと好ましい者だったと気づくことができるからです。

 

TATTOOS ON THE HEART by Gregory Boyle

Copyright © 2010 by Gregory Boyle

Permission from McCormick Literary arranged through The English Agency (Japan) Ltd.

本翻訳は、著者の許可を得て公開するものですが、暫定版です。

 


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