山本潤子(絵本セラピスト)
めぐるめぐる
家族で山の温泉宿に行きました。朝、窓を開けると深夜に降った雪で山の樹々は粉砂糖をふりかけたように美しく、昨日は勢いよく湯気を上げていた川床は墨を流したような静けさでした。湿気を帯びた大気は山に雪を降らせ、身軽になって東の空へ飛んでいったのでしょうか。
場所やその形態は変わってもエネルギーは変わらない、学校で「エネルギー保存の法則」を学んだとき、なんてカッコイイ法則なのだろうと思いました。そして、そのエネルギーは永遠に消えることはないのです。「それなら最初のエネルギーは何なのかしら?」そんな疑問を追いかけても意味のないことはわかっています。それよりも場所も姿も形も変えながらエネルギーは廻り続けるということが神秘でなりません。
『せんねんまんねん』
まどみちお:詩、柚木沙弥郎:絵、理論社
ヤシの実がひとつ落下しました。その地響きにミミズが飛び出し、ミミズはヘビに食べられてしまいます。そして、そのヘビを今度はワニが食べ、ワニは川に飲み込まれるのです。川の水は土の中にしみ込み清水となってヤシの根が上へ上へと吸い上げ、ヤシの実の中で眠るのです。熟したヤシの実は立派なヤシの木になるために、また落下します。
人間のいなかった時代、千年も万年も繰り返されてきた自然の営みというのでしょうか。ヤシの実の落下が終わりのないピタゴラスイッチのスタートを切ったように思えました。
「これは子どもの読む絵本なのでしょうか?」初めて読んだ時、東洋思想を学ぶテキストのような崇高感がありました。動画が目に浮かぶような詩と色彩豊かな絵、後半の絵は拡大顕微鏡から飛び出した細胞の粒に見えました。絵本に吸い込まれると果てしなく長い時空を超えて大元の世界に導いてくれます。詩だけでも十分にイメージが膨らみますが、そこに具象的な絵と抽象的な絵が重なることで私は自然界の命の循環を見たように思いました。
概念を変えて考えてみると、私の行動も発した言葉も思考も誰かや何かを刺激し続けているということになります。そして、私もまた、誰かや何かの刺激を受けて日常生活を営んでいるということです。すべての存在が影響し合う世界、「因果応報」や「自分で蒔いた種」といった原因と結果を繋ぐ言葉もありますが、それを包み込むような大きいも小さいも長いも短いもない世界、ただただ存在している事に意味があるのだと思いました。
そして、せっかく存在しているのなら、気持ちの良いエネルギーを発したいものです。「いつか のっぽのヤシの木に なるために……」ヤシの実が地べたに落ちたように、いつか私も気持ち良い風に吹かれるために、気持ち良い言葉と前向きな思考を心がけたいものです。
季節の絵本
『はるさんがきた』
越智のりこ:作、出久根郁:絵、すずき出版
寒い朝、高い空の上で水たちは雪になりました。雪は結晶になり風に舞って降りてきます。悲しいことに雪たちは降りてくる場所を選べません。地面に近いところに降ったらその上に降り積もる雪の重さで重く窮屈で何も見えません。先の見えない毎日に「いつまで こうしていなくちゃ ならないんだろう?」「なんでも 春がくるまでだってさ」、雪たちは春が来ることを待ち望んでいます。でも、春が誰でいつくるのか何なのか知らないのです。
一番地面に近いところにいる雪たちが「はるさんはまだですか?」とききました。
「まだですか、まだですか……」、下から上へと積もった雪たちの伝言がつながります。
ところが、いちばん上にいた雪たちも春さんのことはわかりません。そこで、「はるさんはまだですよ」、上から下へと「まだですよ、まだですよ……」と伝言が降りていきました。返事を待っていた雪たちはがっかりしましたが、冬の間何度も何度も下から上へ「はるさんは まだですか?」、上から下へ「まだですよ」と同じ問いと答えが繰り返されました。
ところがある日、いちばん下にいた雪は丸まった小さなものにグイッとおなかを持ち上げられました。それは春になったのでタネから出てきたと言いました。雪たちは「はるさんがきた」と大はしゃぎ、解けて土にしみ込み、それを小さな芽が吸い込んでグングン大きくなりました。雪たちが待ち望んでいた春さんは上からではなく地面からやってきたのです。
舞い降りる雪の六角形の結晶は本当に美しく、手のひらで儚く解けてしまいます。でも根雪となった雪たちは春になるまで動くことも解けることも出来ません。雪たちの窮屈そうな絵を見ながら、雪囲いに窓を塞がれ悶々と過ごす雪国の暮らし、春を待つ気持ちを雪たちが代弁しているように思えました。
2月、日差しが明るく昼間の時間が長くなったと感じる頃、雪の割れ目や小川の傍にぽっかりと空洞が見られます。よく見るとそこには球根や山菜の芽が出ていることがあります。春は地面から顔を出すのです。
ところで、私は人生に冬を感じ閉じこもり、春を待ち侘びたことがありました。春は遥か彼方にいってしまったとさえ思いました。でも、それは空から降ってくるものでも、誰かが運んでくるものでもありませんでした。十分に冬籠をしたら春を迎える心の準備が整うのでしょう。そして、種子を育てる雪解け水のように、身近にいる人たちの優しい気持ちや言葉を私の心がゆっくり吸い込んで、お日様に向かう事ができたのだと思います。
この季節に必ず読んでいる絵本です。越智のりこさんの丁寧な時代を感じる言葉も寒さ厳しいヨーロッパで暮らす出久根育さんの絵も可愛いだけではありません。最後の展開に人生の春を待つ人々への励ましのメッセージが聞こえてきます。
押しつぶされそうな長い時間の先に春は必ずやって来る。それも思いもよらぬところから!
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東京理科大学理学部数学科卒業。国家公務員として勤務するも相次ぐ家族の喪失体験から「心と体」の関係を学び、1997年から相談業務を開始。2010年から絵本メンタルセラピーの概念を構築。