本連載は、イエズス会のグレゴリー・ボイル(Gregory Boyle)神父(1954年生まれ)が、1988年にロサンゼルスにて創設し、現在も活動中のストリートギャング出身の若者向け更生・リハビリ支援団体「ホームボーイ産業」(Homeboy Industries)(ホームページ:https://homeboyindustries.org/)での体験談を記した本の一部翻訳です。「背負う過去や傷に関係なく、人はありのままで愛されている」というメッセージがインスピレーションの源となれば幸いです。
ギャング出身*の親しい仲間たちにささげる(*訳注:「ギャング」とは、低所得者向け公営住宅地等を拠点に、市街地の路上等で活動する集団であるストリートギャングを指します。黒人や移民のラテン・アメリカ系が主な構成員です。)
グレゴリー・ボイルGregory Boyle(イエズス会神父)
訳者 anita
序 ドローレス・ミッションとホームボーイ・インダストリーズ(産業)(Homeboy Industries)について 3
火災前の初代ベーカリーは、開業当初から大人気で、ほぼ毎日、取材班が訪れました。敵同士が隣合わせで働く写真入りの記事も多く掲載されました。世界各地から観光客が訪問し、大勢の日本人ツアー客が何台ものバスでやってきました。チャールズ皇太子の事業アドバイザーの「襲来」も受けました。
偉大なるイギリスとギャングメンバーたちとの出会いです。
当時、ルイスという20代半ばの男性が現場の主任でした。彼は、私たちのコミュニティでは随一の稼ぎ手として、最も抜け目のないドラッグのディーラーだったかもしれません。私と知り合ってから10年以上経っていましたが、彼に仕事の口を紹介しても、毎回丁寧に、でも必ず断られていました。ルイスは、非常に賢くて頭の回転が速い男でした。
彼いわく、「オレらがガキの頃は、缶けりをしていたけど、サツも同じさ。つまり、メキシカンけりや、プエルトリカンけりさ」
彼は一度も捕まりませんでした。ヘマをするには賢すぎました。もし警察が近くを通りかかった際に彼が私と一緒にいた場合には、「スコッチテリアさんよ、オレをマークして捕まえてみな」とつぶやきました。ただ、娘のティファニーが生まれると状況が変わりました。彼はベーカリーで働きたいと志願し、カリスマ的なリーダーシップを発揮して主任になりました。彼は、元ライバルと一緒に働いただけでなく、彼らを監督しましたが、これは至難の業です。
ある日、カルフォルニア州のセントラル・バレー地方の農家たちから、「ベーカリーを見学したい」という単発的な依頼を受けました。バスいっぱいの客やテレビ取材陣を迎えるのもルイスの仕事です。彼はこの役目が大っ嫌いで、彼の愚痴に付き合っているとだんだんと歯痛のように感じてきます。
「これ、本当にやらねえとダメか?」
農家の人たちを乗せたバスの到着を彼と2人で待つ間、私は、まるで大量のうっとうしいコバエを追い払うかのように、彼の泣き言を振り払っていました。
ようやくバスが、気まずい雰囲気のベーカリーの駐車場に到着すると、私は腕を振って、予約スペースへとバスを誘導しました。モダンな車体で、ガイド用のマイクが座席の一番前に設けてある最新型のバスでした。
ルイスは、ツアーガイドごっこをしました。「ホームボーイ・ベーカリーにようこそ」と、ガイド風の鼻がかった作り声で淡々と話します。「生息地にいるギャングメンバーを、とくとご覧ください」
声を増幅するために、マイク代わりにこぶしを口に当てます。「お手は車内から決して出さないようご注意ください。ギャングメンバーにエサを与えないでください。まだ飼いならされておりません」
私は、バスから降りてくる農場からのお客様を笑顔でお迎えしながら、「バカモノ、黙っとれ」とこっそり言いました。
その数時間後、私のオフィスから数ブロック離れたベーカリーに立ち寄りました。ルイスを見かけると、その日の数時間前のツアーのことを思い出しました。
「それで」と私は彼に話しかけました。「ツアーはどうだった?」
「おい、G(ジー)」と彼はかぶりを振りつつ言いました。「白人って何でああなんだ?」
実に、私たちの何がどうなのか、興味がそそられました。
「僕たちが一体どうなんだい?」
「だってさあ、いつも『スバラシイ』を連発するんだぜ」
「そうかな?」
「マジ、そうだよ。例えばさ、奴らがここを見学して、全部いい感じに清潔で、機械も順調に動いてるのを見て、彼らは『ここはスバラシイ』て言うんだ。次にさ、敵同士が一緒によく働いているのを見て、『君たちはスバラシイ』と言うのさ。で、今度はオレたちのパンを食べて『このパンは…スバラシイ』とこう来るんだぜ。なあ、G(ジー)、なんで白人は『スバラシイ』を連呼するんだ?」
私は分からない、と答えました。ただ、言っておくと、私はその後、彼に会うたびに、彼が「スバラシイ」と伝えました。少しちょっかいを出すためです。
それから約4ヶ月後、終業時間間近の夜、私はベーカリーに行きました。ルイスは駐車場にいる私の姿を見つけ、屋内から外に飛び出してきました。ルイスは興奮していましたが、今まで「熱意」とは無縁な彼でした。彼はいつもクールだったからです。私が車から降りるのもそこそこに話し出しました。
「よお、G(ジー)」と私に会うのがとても嬉しそうに話しかけました。「昨日、オレのシフト上がりに何が起こったと思う?」
ルイスは、昨日の仕事上がりに、ベビーシッターに預けた4歳の娘のティファニーをお迎えに行ったとのことです。娘を車に乗せ、彼らのとても小さいアパートに向かいました。ここは、ルイスが初めて真っ当にかせいだ金で家賃を払っている場所でした。ルイスが玄関を開けると、ティファニーは、廊下をかけ抜け、質素なリビングルームに入りました。そして両足をふみしめて立ち、両腕を大きく広げて、部屋全体をじっくり味わうように見渡しました。そして、満面の笑顔で「これ…って…スバラシイ」と宣言しました。
ルイスは、「てっきりティファニーが白人ぶっているのかと思ったぜ」と私に言いました。
ルイスは娘の目線の高さに合わせるためにしゃがんで、バランスを取るために自分のひざに自分の両手を乗せました。
「何かすばらしいんだい?」
ティファニーは自分の胸をギュッと抱きしめながら勢いよく言いました。「あたしのおうちいいいい!」
ルイスはここで言葉につまったようでした。私たち2人は見つめ合い、魂があふれてくるのと同時に、私たちの目もあふれてきました。お互い目をそらすことができず、やがて涙が我々の顔をつたっていきました。実際よりも長く感じましたが、その後しばらくして、私は口を開きました。
「お前が…これを…成しとげたんだよ。お前には今まで一度も『おうち』がなかったけど、今はちゃんとある。お前が成しとげたんだよ。お前は街一番のドラッグの売人だったけどそれをやめてパンを焼いている。お前が成しとげたんだよ。お前の人生には一度も父親がいなかったけど、今やお前は父親だ…そして…これは…言いにくいけど…お前は…スバラシイ」
そして、これは読者の皆さんに言いにくいのですが、私の記憶の金庫からこの話を初めて取り出したのは、ルイスの葬式の時でした。ある水曜日の午後、彼は何も悪いことをしていなかったのに殺されました。彼は、友人たちとキャンプに行くために、公営住宅地区内で自分の車のトランクに荷物を積んでいたところ、顔を隠した2人のギャングメンバーが「敵の領地」に侵入してきて「気のゆるんでいる野郎」を探しました。ルイスを見かけて「アイツでいいか」と思ったのでしょう、彼らはルイスに近づいて処刑したのです。
私がルイスの葬式で「スバラシイ」にまつわる話を語った主な理由は、彼が死んでから埋葬されるまでの間、彼の友達や仲間たちから何度もこう質問されたからでした。
「もしこんなことが起こってしまうなら…よいことをする意味ってあるのか?」
これはごもっともな質問であり、回答すべきものです。私は、教会内にあふれかえった会衆に向かって、ルイスが本当の自分を発見し、その姿を好きになった人間であったと語りました。
14世紀の英国の女性神秘家であったノリッジのジュリアンは、人生における苦労とは、自分が「神の恵みをまとっている」ことに気づくための過程だ、ととらえていました。
これが、ルイスのライフワークになりました。ルイスは、神の恵み、つまり自分自身の尊さを受け入れたことで、これまでの世界が一変しました。これを知ることに比べたら、死は何でしょう?どんな銃弾すら、これに穴を開けることはできません。
その月のことばで
白状しよう。
会う人みんなにあなたは言う。
「私を愛して」と。
もちろん口には出さない。
口に出せば通報されるから。
それでも、これを考えてみよう。
人とつながろうとする、どうしようもなく強い引力について。
両目に満月を宿して生きながら、
この世のすべての相手の目が無性に聞きたがることばを
いつも甘くささやくその月のことばで語るような者に
なってみようではないか
(ペルシャの詩人 ハフェズ)
TATTOOS ON THE HEART by Gregory Boyle
Copyright © 2010 by Gregory Boyle
Permission from McCormick Literary arranged through The English Agency (Japan) Ltd.
本翻訳は、著者の許可を得て公開するものですが、暫定版です。