こころを開く絵本の世界 11


山本潤子(絵本セラピスト)

 

いるだけで

  2022年、寅年、新しい年を迎えました。

「明けましておめでとうございます」の挨拶を交わしながら、今年はどんな物語が描かれていくのかとワクワクしています。出会う人達と交わす言葉も手の温もりも、味覚を感じる瞬間も私がいなければありえないことです。当たり前のことですが『私がここにいる』という感覚を、今年はもっと意識しようと思います。

 昨年は嬉しいことと、嬉しくないことがたくさん起こった年でした。プライベートでは母に会えない日が続いたこと、「私は何のために生きているの?」母が電話で呟く度にその呟きは同時に私自身への問いかけでもありました。自信を持って「お母さんがいるだけで私は嬉しいのよ、いてくれるだけで!」と言い続けた一年、母の言葉をポジティブに変換する度に、何より大切なことは自己肯定感なのだと感じました。役割や肩書きは社会生活に都合の良い制服や表札のようなもの、素の自分の存在を肯定し続けたい、例えば名前だけの名刺こそ私らしさなのだと思います。

『たいせつなこと』 
マーガレット・ワイズ・ブラウン:作、レナード・ワイスガード:絵、うちだややこ:訳
フレーベル館

  「グラスに とって たいせつなのは むこうがわが すけてみえること」、日常生活に当たり前にあるものたちを敢えて主役の座に置き、改めてそのものについて形状や役割を淡々と語る散文詩、最後にそのものにとって大切なことを的確な言葉で締め括ります。最後の言葉に「そうそう、そうよね!」と、深く頷きながらページをめくっていきました。

 グラスの次はスプーン、その次はひなぎく・雨・草・雪、人の姿は描かれていませんが視点が室内から屋外に移ったことを感じます。そして、りんご・風・空、りんごをかじりながら窓から風が吹いてきたのかな、つられて空を見上げたのかなと、人々の日々の動きさえ目に浮かぶようで、そこに意識を向けているのは私自身であるような錯覚を起こします。

 一日の活動が終わったのでしょうか、脱いだ靴が登場しました。「くつに とって たいせつなのは あしを つつんでくれる と いうこと」、自分を包んでくれた靴を脱いだ後は最後のページです。このページのためにそれまでがあったかのような読者へのメッセージは、「あなたに とって たいせつなのは あなたが あなたで あること」、胸に抱いて持ち帰りたいような言葉で絵本はおしまいになりました。

 

ところで、『あなたが あなたで あること』とはどういうことなのでしょう。今の母に一番贈りたい言葉です。絵本を読んだ後には感覚的に腑に落ちるのですが、言葉でどう表現して良いか分からなくなります。

 昨年の暮れのことです。年末の帰省客でごった返すターミナル駅、急に決まった秘湯の旅に行くため乗車率100パーセント超えの新幹線自由席に座ろうと私は30分前に乗車列に並びました。運よく旅友と並んで座ることができホッとしていました。

首都圏の停車駅からはどんどん乗客が増え、通路はすれ違いも困難なほどです。「これ以上先に行けないよ!」通路側に座っていた私の横で声がしました。見ると3歳くらいの女の子を連れた家族が立ち止まっています。混み合う自由席ではよくある光景ですが、女の子だけでも何とか座れないものかと考えました。「お膝に座りますか?」と話しかけると、女の子は大きく「うん!」と頷きました。スーツケースを指差し「ここに座らせますから……」とお母さんは遠慮していましたが、「ヨイショ!」と膝に座らせると背中を倒してもたれかかり、初対面の私に身を預けてくれたのです。お母さんも女の子の様子に安心したのか「よかったね〜」と笑顔を向けてくれました。女の子との1時間ほどの旅はおしゃべりが弾んで本当に楽しかったです。「いいお天気、あっゴミ収集車、きれいな雲、山だよ〜」などと、車窓からの景色を話題に取り上げる3歳児はコミュニケーション能力抜群です。「おばあちゃんのお家で大きい雪だるまさん作るの」と教えてくれました。リュックサックのポケットには雪だるまの腕になる木の棒が用意されていました。アンパンマンのキャラクターの話では私が「てっかのまきちゃんが好き」というと「その絵本持っている」と共感してくれ、本当に嬉しかったです。雪景色を見ながらあっという間に目的地に着いた私たちの席は、今度は親子3人の席になりました。

 私は長女がまだ小さかった頃、頻繁に実家に帰っていました。電車の席は確保していても子どものはしゃぐ声や通路を走りたくなる衝動を未然に防ぐことはできません。車内で見知らぬ人たちが優しく声をかけてくれ、嫌な顔をせずに通路を開けてくれたことを昨日のことのように思い出しました。

 

 小さな子どもたちは無条件に反応します。嬉しいことも楽しいことも、そして、嫌なことにも瞬間に感情表現します。周りの人を気にすることも場の空気を読むこともありません。

初対面の3歳の女の子との時間は心洗われる時間でした。近くの席にいたもう一人の旅友が「おしゃべりが途切れなかったけど、みんな楽しそうに聞いていたわよ」と言いました。立ちっぱなしの人たちも嫌な顔もせずに見守ってくれていたのです。

 無邪気には敵わないと思いました。そして、絵本の締めの言葉「あなたが あなたで あること」とは、大人が魅了される子どもの姿そのものなのだと思いました。

 

 「子どものように無邪気でいてほしい」ことを母に話しました。いてくれるだけで嬉しい、ありがたいという気持ちがうまく伝わったかどうか分かりませんが、私自身がそうあることを意図して、2022年は静かに幕を開けました。

 

季節の絵本

『ゆき』 
きくちちき:作 / 絵、ほるぷ出版

 

 森の動物たちは雪が降り始めると落ち着きません。雪は地面をおおい食べ物を隠してしまうからです。音もなく降り積もる雪に、慌てて駆け回る動物たちはどこへいくのでしょう。

森は雪でかすんで何も見えません。クマは洞穴でじっと寄り添い、森は静かな眠りにつきました。

子どもたちはといえば、もっともっとと雪を大歓迎です。暖かい部屋の中、窓の外には白くてきれいな雪が降っています。

 

雪の様々な表情が色鮮やかに描かれています。「雪は白い」、それはもちろん正しいです。

でも、雪国で育った幼い私には眩しい黄色い雪も、氷のような青い雪もありました。

視界が遮られるほど降る雪はモノトーンの世界を描きます。そして、一夜明けて快晴の朝は、キラキラと眩しい雪の曲面が連なります。この雪の描く曲線を「究極の神のライン」と呼ぶそうです。何億年もの年月をかけて生まれた地形があって、そこに生きる草木や岩石に降り積もる雪と風が描く曲線は、太陽の光に輝きながらまた形を変えていくのです。

 

 雪が冷たくて厄介だ、脅威だと身にしみて感じたのは17歳の1月でした。高校生の私は週一回、学校帰りに中学生の家庭教師をしていました。勉強を終えていつものようにバス停でバスを待っていましたがドカ雪の影響でバスがちっとも来ません。家までは6キロの道のりです。公衆電話で母に電話を入れタクシーで帰ることになりました。しかし、タクシーも急なドカ雪に動いていないのです。泣きたい気持ちを必死で堪え雪まみれになって歩き続けました。1時間くらい歩いた頃、私を呼ぶ声が聞こえました。見通しの悪い車道の向こうに父の姿が見えた時、私は声をあげて泣きました。大袈裟ではなく、これで生きて帰れると思ったのです。

除雪が間に合わないほどのドカ雪の中では人間は無力です。車は立ち往生し、ただただ、動かず降り止むことを祈るばかりです。でも、子どもの頃の雪は違いました。ふわふわと柔らかく、きらきら眩しく、雪穴に潜り込めばきれいであたたかいとさえ感じたものでした。そんな子どもの頃の雪を見事に表現した絵本、まだ柔らかい五感がピクピクと起き上がるような気がしました。

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東京理科大学理学部数学科卒業。国家公務員として勤務するも相次ぐ家族の喪失体験から「心と体」の関係を学び、1997年から相談業務を開始。2010年から絵本メンタルセラピーの概念を構築。

https://ehon-heart.com/about/


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